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だからもう少し、一緒に夢を見ようよ。(元タイトル:性格の悪い元演劇部員が「菅田将暉のオールナイトニッポン」に出会って中之島のモノ書くOLになるまで)

 此処数日、「はるちゃんぶっく」を更新出来ず、大変申し訳ございませんでした。言い訳するつもりはありませんが、この数日の間にあった大きな出来事と、それに対する私の気持ちを書きます。
 この文章はあくまでも「或る共鳴者の戯言」です。私は自分のことを共鳴者代表とも菅田将暉さんのファン代表とも思っておりません。私はたまたまnoteをやっているが故にこれを書いているだけです。
 なお、一部の内容は純粋に菅田将暉さんやオールナイトニッポンを愛好されている方にとって不快に感じられる可能性がありますが、可能な限り文中でフォローをしております。予めご了承下さい。

 12月21日午前1時、もう少し「らしい」言い方をすれば12月20日25時、私が現在一番好きなラジオ番組が終了することが決定した。失礼ながら理由を簡潔にまとめれば「体力の限界」とのこと。
 無理もない。年が明けたら「月9」の主演を務め、同時期に始まる大河ドラマでも大役を務める。秋にはもう1本、映画の主演が決まっている。月9の方は殆ど撮り終わっているというが、宣伝などで忙しくなるだろう。
 プライベートでは先月結婚を発表し、いわゆる「30の代」になる。節目の年を迎える前に自分の人生を見つめ直して、熟考した結果だというのがよく分かった。早生まれだから本当に30歳になるのは再来年だけど。

 私がこの番組と出会ったのは、今から3年ほど前、2019年2月4日のことだった。敢えて言うとすれば、「間違って聴いてみたら意外と面白かった」というのが、聴き始めたきっかけだった。
 実は元々この番組を聴く前に、姉の勧めで知った星野源さんのオールナイトニッポン(源さんは高校時代から好きだったし、この週は同じく高校卒業直前から好きになった大泉洋さんが出演していた)を聴こうとしていた。
 深夜ラジオを聴いたことがなかった私は、言葉通り「火曜日の午前1時」にradikoを起動した。ラジオ大阪のロゴの下にはファイティングポーズの青年が大きく写っている。
 写真の中と横に書かれた「菅田将暉のオールナイトニッポン」の文字を見て、すぐに私は自分の間違いに気が付いた。火曜日の深夜1時って、今日じゃなくて明日のことか。よく見りゃ随分眉毛も濃いし。
 しかし、翌日に所属ゼミの研修(という名の遠足@伊勢神宮)を控えたワクワクで眠れなかった私は、「しばらく」と言い訳し、「月曜日の27時」ごぜんさんじまで「菅田将暉のオールナイトニッポン」を楽しんだ。
 結論から言えば、2時間で「肉糞亭うねりアバラ」を襲名し、ゲストである野性爆弾のくっきー(現:くっきー!)さんと天下一品の話で盛り上がるこの番組とパーソナリティに、すっかり夢中になっていた。

 調べたところ、「高校時代に見たドラマのヒロインの弟役をやっていた、可愛らしくて表現力のある役者さん」は、件の「肉糞亭うねりアバラ」であることが分かった。
 もっと言えば、肉糞亭うねりアバラ、もとい菅田さんは「その当時で2年前にやっていたドラマの最終回に出てきたヘタレのバスジャック犯」を演じていたし、「その当時のバイト先でたまに流れていた曲」も歌っていた。
 たまたま見ていた「しゃべくり007」で、私が高校時代から好きなTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの曲を弾いていたのも菅田さんだった。出身地が私が幼い頃に少しだけ住んでいた大阪府箕面市と知った時はテンションが上がった。記憶無いけど。
 あーもー高校時代から好きになっとけよ。何で大学の5年間で菅田さんが出てた映画「銀魂」と「火花」と「あゝ、荒野」しか知らねえんだよ。チョイスが演劇部過ぎるだろ。(※個人の意見です)幽霊部員のくせによ。
 敢えて言い訳するなら、演劇部に所属していると劇団や舞台出身ではない俳優さんは好きだと言いづらいし、「映画を見る1500円があれば、同じ金額で小劇場に行ける」という考えもあった。(※個人の意見です)

 しかし、大学の演劇部を引退して1年近く経っていた私は、自らにかけていた呪いを解くように、「菅田将暉のオールナイトニッポン」と菅田さんの活動にのめり込んでいった。
 毎週ラジオをリアルタイムで聴けるように、翌日の火曜日のアルバイトは午後からにしていたし、最終出勤日は3月初旬の月曜日にした。送別会を開いて頂いたが、1次会で解散した。当時の門限が22時だったのもあるが。
 そう言えば初めて「ショートシャンクの空に」に送ったショートストーリーが読まれた週、私は奇しくもかつての演劇部の同期達から用済み扱いされていたことを知った。精神的に不安定な幽霊部員の扱いなどこんなものだ。
 その時は荒れたが、たまたまその週だけ忙しさで聴けていなかった放送をギリギリにタイムフリーで聴いて、自分の書いた物語で笑う菅田さんの声が嬉しかった。有名なジョークをちょっと変えただけのだけど。
 そんな性格の悪い女も大体の演劇部の同期から1年遅れて大学を卒業した。末永い希望を願う友などいなくなったのに、帰り道はこの曲を聴きながら、一人で卒業証書を抱えて帰った。

 あれから3年ほどが経つ。あの日が菅田さんの誕生日の直前と言うズルはあるものの、私はあの頃の菅田さんの年齢を超え、新卒で入社した会社でプログラマーをやっている。
 日本アカデミー賞主演男優賞に比べたらどうってことはないが、初年度には会社の新人賞を頂いた。「あゝ、荒野」での菅田さんの熱演と違って、私が出来たことなんて本当にくだらないことだけど。
 3年目を迎え、最近卵が孵ってひよこになったぐらいだが、今まで仕事を辞めずにいられている一因として、この番組を毎週聴いてテンションを上げているから、と言うのは大きいだろう。
 私生活でこの番組に関係することを挙げるなら、「ショートシャンクの空に」が読まれたことをきっかけとして、私は高校時代以来7年ぶりに小説を書き始めた
 ここ最近はリアルタイムで聴けることのほうが少なく、火曜日以降の移動中に聞くことが多いものの、この3年で、この番組は確実に私の生活の一部になっていた。
 それでも、有り体に言えば、菅田さんがこの3月でオールナイトニッポンを卒業することについて、私は「理解」するどころか「覚悟」さえしていた。「大丈夫だよな?」の一言で抑え込んできたけど。
 今年だけでも4作の映画に主演し、連続ドラマの主演も務めた。私がこれまでに読んで頂いた唯一のコーナーだった「ショートシャンクの空に」を行わなくなったのは、それこそドラマが終わった頃からだっただろうか。
 今年3本目の主演作「キネマの神様」と時を同じくして、私のもとに番組名物の赤ペンが届いた。最後にメールが読まれてから、もう2年近く経ったにもかかわらず。赤ペンは嬉しかったが、「疑念」が生まれた。
 この時生まれた「疑念」が「覚悟」に変わったのは、番組グッズの第3弾が発売された時だった。過去2回に比べて、今回は企画から発送までの流れが圧倒的にスムーズだった。
 その流れを、私は「慣れ」と「直後に放送されているファーストサマーウイカさんのオールナイトニッポン0を見習った結果」だと思いたかった。しかし、私は自分の「覚悟」を正しいと思わざるを得なくなった。

 あと3ヶ月で「菅田将暉のオールナイトニッポン」は終了する。簡潔に言えば寂しい。もっと言えば、月曜25時に「菅田将暉のオールナイトニッポン」が放送されていない世界を、私は想像出来ない。
 今の私が共鳴者の端くれとしてできることは、もう三つしか思いつかなかった。一つは放送終了まで「菅田将暉のオールナイトニッポン」を応援することである。
 手始めに少ないながらTシャツの色違いを1枚追加注文した。カタログも購入した。今後はできる限りリアルタイムで聴くし、読まれるかどうかはわからないし自信もないが、毎週少なくとも1通はメールも送るようにする。
 次に、ラジオが終わってからの菅田さんの活動と、新しいパーソナリティの方が担当する月曜25時の番組を引き続き応援することである。月9も大河ドラマも見る予定だし、秋に公開される映画も楽しみにしている。
 もちろん、この後にも様々な情報が公開されるだろう。それだって楽しみにしているし、自分の時間や体力、お金の許す範囲で楽しむだろう。そして、新しいパーソナリティの方も、少なくとも初回は聴くつもりである。
 そして最後に、私が最も大事だと考えることは、「菅田将暉のオールナイトニッポン」というとても面白いラジオ番組があったことを、いつまでも忘れずにいることだ。
 まだ続いているうちに言うのは不謹慎だし、いつになるかは分からないし、本人のスケジュールが優先だが、たまに復活してほしいなぁ。あまり俳優さんのラジオ番組が復活したって話聞かないけど。つづく。

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