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【材料】多田銅山の群青・緑青

 絵画や仏像、建造物を彩る群青・緑青は、それぞれ藍銅鉱(Azurite)・孔雀石(Malachite)という鉱物からつくられた顔料である。
 
 藍銅鉱・孔雀石は、どちらも銅が水や空気に触れて変化した二次鉱物で、塩基性炭酸銅を主成分とする鉱物である。両者は混じり合って一緒に産出することも珍しくない(Azurmalachite)。やまと絵の山水の色彩感覚は、原石の青と緑の調和した姿を想起させる。

神護寺山水屏風(部分)

 よく似た化学組成を持つ藍銅鉱と孔雀石であるが、孔雀石が安定した性質であるのに対して、藍銅鉱は不安定な性質で、水との反応により孔雀石に変化してしまうことがある。そのため藍銅鉱は、孔雀石に比べて産出量が少なく、とくに降水量の多い日本では海外産のような結晶状の良質なものはあまり期待できない。

 今回紹介する多田銅山(兵庫県)は、藍銅鉱がまとまって多く産出する鉱山として国内では貴重な存在である。銅はもちろん、銀や孔雀石の産地としても知られている。絵師の狩野山楽は、時の権力者である豊臣秀吉の許可を得て、多田銅山での紺青(群青)の独占的採掘権を獲得している。桃山時代に絵画史を彩った狩野派の濃絵(金碧に群青・緑青などの濃彩で描かれた絵画)は、この多田銅山の存在を抜きにして語ることが出来ないのである。
 一時期は権力者の直轄領となるなど、繁栄を誇った多田銅山であったが、昭和48年(1973)には閉山した。都市部からのアクセスが容易であることもあって訪れる人が多く、現在は史跡としての整備が進んでいる。その反面、産地の荒廃はきわめて深刻で、現在は鉱物の採集が禁止されている。多田銀銅山悠久の館には、孔雀石や藍銅鉱などの原石が展示されている他、鉱山の歴史を伝える絵図や文書、採掘道具などの歴史資料も展示されている。

多田の鉱山町は、かつて「銀山三千軒」といわれて賑わった。
鉱脈を溝状に掘削した露頭掘の跡
地中の鉱脈に辿り着くための坑道(青木間歩)
青木間歩(間歩は坑道のこと)
青鉛鉱・孔雀石・藍銅鉱などの欠片が観察できるジャリ池
豊臣政権滅亡後も、徳川幕府の直轄領として重要視された。

※誤りやお気づきの点がございましたら、ご指摘いただければ幸いです。

〈 参考文献 〉
・結晶美術館『色材の博物誌と化学』結晶美術館、2019年
・下林典正、石橋隆監修『史上最強カラー図解 プロが教える鉱物・宝石のすべてがわかる本』ナツメ社、2021年
・鶴田榮一「多田銀銅山の紺青および緑青について」色材協会誌72巻、1999年


〈 参考動画 〉
・「調査が進む『国史跡 多田銀銅山遺跡』~発展を遂げた採掘技術~」inagawatown

・「多田銀銅山(兵庫県猪名川町)で、青く輝く江戸期の坑道発見」神戸新聞社

〈 画像引用元 〉
・神護寺山水屏風(部分):https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=4268
※その他の画像は、執筆者撮影。

執筆:田中 良征(平成13年京都府生まれ。Technèプロジェクトメンバー、金沢美術工芸大学 美術工芸学部美術科日本画専攻在学)

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