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19870108


1987年1月8日
皆さんは何をしていましたか
今から37年前ですから
覚えていないでしょう
生まれていない人もいるでしょう

ワタシはハッキリと覚えています
多分一生忘れない
なのにそれから1週間後からの
約3ヶ月間の記憶が
全くありません
記憶喪失でもないのに

しかもこの年の3月は
高校を卒業した時でした

人生の節目
一生の中でも思い出深い
そんな時期の事なのに

これは
記憶が途切れる前の
1ヶ月ちょっとの間の話

毎年この時期になると
必ず思い出す話


+++++

1986年も終わりが近づく
11月のとある日のこと
ワタシは1年後輩の女の子に
急に屋上に呼び出されました

名前も知らない顔も分からない
どこの誰かも分からない
そんな子に

友人は言いました
アレ俺の彼女の友達だから
話しを聞いてあげて

・・・これは思春期とかに
よくあるシチュエーション
何処にでもあるような
そんな話


皆さんは「ハンドマン」と言ったら
どんなイメージを持ちますか?
1980年代はまさにバンドブーム
猫も杓子もバンドを組むような
そんな時代

ワタシは中学時代バスケをしていて
憧れの先輩が居ました
高校に入ってもその先輩を追いかけて
バスケしようと思っていましたが
先輩はバスケを辞めていました

それを知ったワタシは
急にバスケ熱が冷めてしまい
代わりに当時熱中していた
YMOのようなバンドを組みたいと思い
バイトを始めてキーボードを
買おうと思ったんです

そして訪れた初めての文化祭
そこにバンドでギターを弾いていた
憧れの先輩を目にして衝撃を受け
キーボードじゃなくて
ギターだ!となり
ギターを始めました


知ってましたか?
バンド組んでると当時は
誰でもメチャメチャモテたんですよ

当時組んでいたメンバー
ドラマじゃないですけど
定期的に下駄箱に
ラブレターとか入ってましたから

ワタシはと言いますと
小学校時代からずっと仲が良かった
女の子の友達が高校まで
ずっと一緒でよくつるんでいたので
どうもその子が彼女と思われていたらしく
誰も寄っては来ませんでした
(この事実は卒業後に知りました)


そう
ワタシを呼び出した女の子は
学年が違ったのでそんな事実を知らず
ギターを演奏する姿を見て
ずっと好きだったみたい

次の年には卒業してしまうので
その前に告白を!と
そんな感じでした

ワタシの友人の彼女の友達だったから
そこを通じてワタシがフリーだと
知っていたから

その子はノリコ
ちっちゃくて可愛らしいコ
最初のイメージ

お友達になって下さい

そんな初々しい言葉に
ワタシは心が安らいで
OKしました


ノリコはとても明るい子
いつもニコニコしていて
一緒に居ると落ち着くような
そんな子

そんなノリコにいつしかワタシも
惹かれていったんです


その年のクリスマス
ノリコはワタシに
猫の手のキーホルダーと
手編みのマフラーを
プレゼントしてくれました

母や姉の話によれば
マフラーを編むのは
慣れていてもなかなか出来ない事
そんな物をプレゼントしてくれるのは
あなたよほど愛されてる証拠よ

ワタシは嬉しくて
毎日巻いていました


年が明け1月8日
初年初登校の日

全体朝礼で体育館に集まった時
ワタシはノリコの姿を探しました

ノリコは言ってたんです
何かの集会とかで校庭や体育館に
集まった時いつも先輩のこと
探していたよ
いつもすぐに見つけられた
ずっとずっと見つめていたのに
先輩ちっとも気づかないんだもん!
なんて鈍感なんだ!って

最後まで恥ずかしがって
ノリコはワタシの事を
先輩と呼んでいた

そんな恥ずかしがり屋のノリコが
ずっとワタシを見つめていたなんて
今回ばかりは先にワタシがノリコを見つけて
見返してやるんだ!
そう思って必死になって探したけど
結局見つからず

でもきっとノリコは
ワタシを見つけていて
もう!またずっと見てたのに!
って
ぷっくりするんだろうなと
その時はまだそう思っていました


ホームルームが始まると
担任から
今朝通学途中に本校の生徒が
事故に遭い病院に搬送された
意識不明の重体らしいと
そう説明があった

・・・いやな予感がした
朝礼で見つけられなかったのは
見つけられなかったんじゃなくて
そもそもあの場にいなかったから
なのでは?

ワタシはすぐさま担任に
事故に遭ったのは誰ですか?
と聞いてみましたが
担任も第一報を聞いたのみで
名前は確認できていない
少なくとも3年生ではない
としか答えが返ってきませんでした

・・・不安
不安だ
嫌な予感しかしない

ホームルーム後
すぐに友人のもとに駆け寄り
話を聞くと
サキ(友人の彼女)が言うには
ノリコが学校に来てない
事故に遭ったのはノリコだ

その話を聞いた瞬間
居ても立っても居られなくなり
職員室に駆け込む

だが先生達の話によると
現在意識不明で面会謝絶
病院に行っても何も出来ないから
今はご家族にまかせて
あなたはちゃんと授業を受けなさい

もどかしい
よく聞く台詞だけど
この時程その言葉の意味が
理解できたことはありません

何も出来ない
何も出来ない
ただただ待っているだけなんて

けどそれは
病院に居る両親も同じ事
むしろ自分なんかよりも
遥かに心配に違いない

ワタシは自分に言い聞かせて
その日は帰宅しました

一睡も出来ない
まさか自分にそんな夜が
訪れるなんて

ワタシは不安に押しつぶされそうで
本当に眠りにつく事が
出来ませんでした

次の日は瞼を腫らしたまま学校に行き
何も進展がないままに1日が過ぎ
また何も出来ず帰宅

流石にその夜は
いつの間に眠りに落ちてしまい
幾許かの睡眠を取れましたが
次の日の登校直後に
完全に目を覚ます
聞きたくなかった最悪の結果を
知らされるのです


1987年1月10日0時過ぎ
脳挫傷によりノリコ永眠
享年16歳



よく
慟哭とか号泣とか
涙が枯れるまでとか
言うじゃないですか

けれど一生のうち
本当の号泣
本当の慟哭を経験する人って
一体どれだけいるのでしょう

ワタシは学校で第一報を聞いた瞬間
目の前が真っ暗になり
周りの世界の音
全てが遮断されました

ノリコがいなくなった
もう会えなくなった
もうあの笑顔が見れないんだ
もうノリコに
なんでよ!って
つっこんで貰えないんだ

ワタシの世界は
一瞬にして変わってしまった

なのに何故
周りの皆はいつも通り
いつもと同じ普通なんだ?
どうして普通にしていられる?
どうして?なんで?

ワタシは叫びたくなるのを
必死で抑えて
でも悲しくて気持ち悪くて
トイレの個室に駆け込んで
レバーを何度も叩きながら
泣きました

泣いて泣いて
流す涙が無くなっても
ずっと泣いて
チャイムが鳴って
授業が始まっても止まらずに

結局ワタシは
1時間近くずっとトイレに籠ったまま
授業を受ける気にもならず
そのまま家に帰って
一晩中泣き続けました



人の記憶は本当に不思議
ここまでの事は
37年経った今も克明に覚えているのに
次に覚えているのは
いきなりノリコの告別式の場面

棺の窓を開けて
最後のお別れの場面

ノリコの両親は
ノリコの死後に日記を見て
ワタシと言う存在を知ったようでした

ノリコはワタシを初めて知った時から
事故に遭う前日まで毎日
日記を書いていて
そこにワタシへの想いや
ワタシと過ごした時の事が
事細かに書いてあったそうです

そんなノリコの想いと
ワタシの気持を両親が汲み取ってくれて
出棺前の最後のお別れを
ワタシにさせてくれました


死因は脳挫傷
外傷は全くなし
ほぼ無傷といっていいような
そんな状態

まるで寝ているかのような
声を掛けたら起きてくるんじゃ?
そんなノリコを見ていたら
思わず言葉が溢れてしまい

・・・ノリコ?
ノリコ?

シーンと静まり返る会場に
ワタシの声だけが響き渡る

応える筈のない
ノリコ
それでも名前を呼び続ける

ノリコ!
ノリコ!

多分これが慟哭と言うのだと思います
ワタシは静寂の中
ただ叫びそして泣きじゃくりました

それに反応するかのように
堰を切ったように
周りの皆も泣き始め

崩れ落ちるワタシを
誰かが支えて


次の瞬間
場面はいきなり霊柩車が
出発する場面に
記憶が切り替わります

頭の中にはなぜか
当時好きでよく聴いていた
高橋幸宏の「SAYONARA」が
永遠にループしていて



+++++

ワタシの高校生の最後の記憶は
ここで途絶えています

この後どうしていたのか
何をしていたのか
全く覚えていないんです

卒業式の記憶すら
全くありません


人って辛い事があると
それを思い出してフラッシュバック
しないように
ある程度の記憶の改竄とか
するのでしょうか?

それともノリコの死が
あまりにもショック過ぎて
他の記憶が薄れているだけ
なのでしょうか?


いずれにしても
これだけ克明に覚えている部分が
あるにも関わらず
その他が全く覚えていないなんて
こんな事あるんですね



ワタシはノリコを失ってから
誰かと別れる際に

サヨナラとか
バイバイと言うのが
とても怖くなり
必ず
じゃあね
またね

言うようになりました

なにせ
ノリコの最後の言葉が
バイバイ

それが本当に
バイバイになってしまったのですから


そしてワタシは
事あるごとに
生きるってなんだろう
死ってなんなんだろうと
考えるようになりました


けど
答えはいまだに分からないし
多分一生分からないんだと思います

初めの頃は
色々悩みました
だけど今は前を向いて
明日に向かって歩む大切さを
昔よりは分かっているつもりです

ノリコの分まで
とか
そんな事は言いません

けれど
ノリコが居た事
ノリコと過ごした日々は
紛れもない事実だし
消えるものじゃない

その思い出を胸に
今日もそして
これからも
自分の人生を
生きていくのだと

毎年この時期になると
思うワタシなんです

+++++

ずっと後になってから
当時ノリコの後ろを自転車で走っていて
事故を目の当たりにした
一緒に通学していたノリコの
友人の話を聞くことができました

当時はショックで
失語症になりかけていた彼女
時間が経って落ち着いてきたので
是非聞いてほしいと

ノリコはいつも
友人にワタシの話をしていたと
言っていました

その日も久々の登校で
学校でワタシに会えると
ウキウキしながら
自転車を走らせていた

出会い頭
まさにそんなシチュエーションで
でも勢いはあまりなくて
ほんとうにコツンと言う位に
軽くかすった程度

その場にドンと倒れ込んだだけ

とは言え
動かさない方がいいからと
そのまま救急車を待ち
友人も一緒に救急車に乗ったのだそう

救急車の中では会話も出来たし
痛そうにもしていなかったみたい
だからノリコは
先輩に救急車で運ばれたって
恥ずかしくて言えないよう
なんて事も言っていたらしく

そのうちに
なんだか急に眠くなってきちゃった
もう寝るね
といい
そのまま目を閉じて
それが最後の会話でした

友人が言うには
寝ただけ(のように見えた)なのに
やたら救急隊員が慌てていたらしいのですが
この様な症状・状態は
かなり危険なものらしいです

救急隊員が何度も何度も
名前を呼んで
聞こえますか?
聞こえますか?
と言ってたのだそう

こう言う時は
名前を呼ぶのが1番なのだと
その時初めて知りました


この経験が無駄にならぬ様
似た様な場面に出くわしたら
絶対に名前呼び続けますと
ノリコの友人は言いました

ワタシも全く
同じ思いです

とは言えこの時代
まだAEDなんてものは無かったし
救急車にどれほど設備があったか
そしてこの頃はまだ
救急隊員が医療行為をする事は
許されていませんでした

もし今の時代だったら
違った結果もあったのでは?
もしかしたら助けることも
出来たのでは?

そんな意味もない事を
ふと考えてしまう事が
今でもあります


+++++

ワタシは人付き合いが
極端に苦手で
人と仲良くする事や
誰かを好きになる事に
ある種の恐怖を感じる事があります

その原因の一端が
ノリコとの別れにあると言う
自覚もあります

出会いがあれば
別れもある
それは当たり前の事だけど
永遠の別れとなると


ノリコを失う半年前に
中学の同級生が
事故で亡くなりました

その3ヶ月後に社会の教員が病気で
さらに1ヶ月後に
クラスメイトの友人が
やはり事故で亡くなりました

僅か半年の間に
教員1人
友人2人
そして止めのように
ノリコを亡くして

ヒトって
こんなに簡単に亡くなってしまうんだ
簡単に消えてしまうんだ
って

ずっとそんな風に
考えていました

自分が生きている意味も
なんなんだろうって


でも長い時間を経て
ノリコの両親や
ノリコの友人の話しを聞いて

辛いのは自分だけじゃないし
皆辛くても前を見て
ちゃんと歩んでるのだと
そう気付いてからは
ワタシもそうしなくちゃと
そんな風に思える様になりました


+++++

昨年
新しい学校のリーダーズと言う
とんでもないグループに出会い
人生が一変して

こんなワタシが
リーダーズを通じて
誰かと関わりを持つなんて
想像もしていなかった事が
起きました

同じグループを好きと言う
共通項があるからか
そんな関わりが楽しく
そして嬉しく思うのです

リーダーズが言うように
老いも若きも男も女も関係なく
みな青春している


そんな中発表された
武道館ワンマン
日付を見た瞬間
喜びの中に
凄く小さなチクリとするものが

そして思い出した先の事故の事

もう
思い出の中に昇華されたと
そう思っていた事

不思議なもので
少しでも思い出してしまうと
整理されたと思っていた事が
雪崩のように押し寄せて来ることが
あるんです

例年であれば
もうアレから何年経ったなぁ
と言う
思いや追悼があるのみだけど

ふと過ってしまう思考

このまま皆と仲良くなって
でももしまた別れが来てしまったら
どうしよう

失う前
まだ仲良くもなって居ない
相手に対してすらも
過ってしまう思い

そして思う
1月10日を前にして
楽しめるのか
楽しんでいいのか


もう何年も
こんな思考に囚われることは
無かったのに
なぜ急に

多分目一杯楽しんだって
もう文句言う人は
居ないと思うし

出会いと別れなんて
誰にでもある普通の事で
悲観したりする事では
無いはずだし

ヒトはいつか必ず
その命の終わりを迎えます
早かろうが
遅かろうが
必ずです

でも
決して
その終わりを目指して
歩んでいる訳ではないのに
どうしても頭を
過ってしまう


そんな考えを
少しでも払拭しようとして
CDJの現場で
勇気を出して何人かのパイセンに
ご挨拶させていただきました

人と関わる事が
仲良くなる事が
怖く感じるなんて
もう何年もありませんでしたが
それはずっと
上っ面だけの付き合いが
多かったからなのだと
今回で気がつきました

その証拠にワタシ
友人というものが極端に少なく
その数人の友人にですら
今回の様な話した事
多分ありません

きっとワタシ
リーダーズを通じて知り合った方々と
本当に仲良くなりたいって
そう思ってるんですね
だから怖い


いや
今ではちゃんとわかってますよ
ヒトなんてそうそう簡単に
なくなっりしないと

けどここに来て
北陸地方での地震があったりして
いつどこで何があるか分からない


けれど
それでも時間は流れるし
息を吸って
息を吐いて
ヒトは生きていく

前を向いても
後ろを向いても
下を向いても
歩いていく
歩いていくしか無い


過去にも何回か
ひとつの思いに囚われて
立ち止まってしまうことがありました

それを何回か繰り返して
覚えた事は

そんな思いは
包み隠さずに吐き出せばいい

弱くても
惨めでも
情けなくても
それが自分なのなら

書きなぐり
自分で読み返して
何度も繰り返せば

そしたらきっと
吐き出した後に
少しはマシになるはずだ

そう信じて


+++++

三つ子の魂百まで
とは良く言ったものです

ここまで書いて
何度か読み返しましたが
まるでワタシ子供みたい

これではリーダーズに
笑われてしまう
青春日本代表の一員として
恥ずかしい

だけどきっと
幾つになっても
誰かに助けを求めたり
頼ったっていいよね
ヒトとはワタシとは
脆く弱い存在


けれどワタシは
自分が好きになった
新しい学校のリーダーズという
最高のグループを信じているし

そんなグループが大好きな
パイセン達のことも好きだし

そんな自分も好きなはず

そんな輪が
ぐるぐると回って
広がって
良い方向に向かって行くと
信じています


だから
迷えど進みます
それが青春



この話には後日談があります
よろしければどうぞ

sayonara|techii (note.com)


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