見出し画像

冷めた自分

ちょっと真面目な話(ほぼ独り言)をしますー
てっちゃんです。 

僕はある日を境に人を簡単に信用できなくなりますた。
まぁ心から信用していた人に裏切られて...

これまだ「てっちゃんについて」のシリーズで語ってないんですけどね笑
連休で仕上げようかな〜

簡単に信用できなくなった、
んでまず人を疑ってかかる。

上から目線な言い方をすれば
信用に値するか見極めるということ。

結構壁を作るタイプというか〜
一応防御体制をとっておくみたいな笑


友達かそうでないかのハードルも
結構高くなってしまった。
まぁそれも我儘かも

友達と思ってた人から裏切られたことも
多々あったのでね笑。
僕にとっての裏切りが何なのかはまたの機会に

もしかしたら
僕にとっての友達=世間一般で言う親友?
とかなのかな〜?
そう考えたらやっぱハードル高いか。

んで、気づけば何に対しても
とても冷めた人間になってしまった。


花見に行ってもつまらない。

感動的な映画?(君の名は。とか)
を見てもなんとも思わない。

卒業式もただ形式的なものにしか感じない。

今こうして振り返ると病的だなぁ

冷めたといえば悪く聞こえるけど
物事を冷静に見れるようになったと言えば
聞こえは良いですよね笑

野球観戦したり、YouTube観たり
自分の好きなことは楽しめたんですけどね。

自分の中で
これは好き、これはどうでもいい!
みたいに区別しちゃってたのかもなぁ
ガキかよっ!?笑

でもやっぱりどこか冷めてて
周りからは悟ってるだとか達観しててクールぶってるカッコつけだとか言われたこともある。

実際人間観察(変な意味じゃなく)たまにしてたし、1人で色々考えたりするの好きだったし。

人間いらなくね?とか
人間不信のとき思ってましたからね笑笑
陰キャすぎるけど、それはそれで考える力だったり観察力は育まれた...かも?

まぁ事実悟ってはいたし今もそう笑
いやイケメンじゃない人がクールぶっても意味ないでしょと心の中でツッコミ入れてた。

あのときは別に感情をあまり表に出さなかっただけなんだよなぁ〜
ネガティビティバイアスやー。

ただ中高のときに涙を一度も流すことはなかった。
あ、中学の時はメンタル終わってたときは泣いたかも。
嬉し泣きは大学受かったときくらい笑

養護学校(高校)では身体障害の子は少なく基本知的・発達障害の子が多かった。
別にそれを馬鹿にしてるわけではないけど
やっぱ先生も対応が優しめ。

それが故に、
"みんな仲良く" "みんな友達" というような
まるで小学生みたいな扱いして、雰囲気を作る先生達。 ある意味障害者差別感あった。

それが僕にとってはとても苦痛で。
そんなことをする暇があったら自分の目標のために勉強したかった。

ただそんなところから逃げ出すことなどできず、諦めて自分の感情を殺して合わせてた。

まぁざっくり言えば猫を被ってた。
本心なんて誰にも話さず。

それはもちろん心理職を目指して、
まず大学入学まで立ち止まってなどいられないという思いから。

もちろん今まで出会った親友や友達もいるけど、やっぱり学校が違えば相談することもあまりなかった。
謎のプライドがあった気がする。

でも
信用できる恩師みたいな先生ができたり、
なんでも話せる友達が高校でもできたこともあり嫌なことも乗り越えられた。

素の自分を受け入れてくれる人の存在って
やっぱり大切だと思う。



なんか書いているうちによくわかんなくなったけど、受験期間は本気だったからか余計なことが気にならなくなった。

時間ってものが解決してくれることもあり
大学生なってからは
変わらず冷めてはいるけど
インスタで風景の写真や絵、花とかを見て綺麗だとも思える。
一時期よりも感情は豊かかも笑

たまにブラックてっちゃんが出ますけど笑
意外と僕毒舌ですし?
まぁそーいうキャラです笑

あ、人を傷つけるようなことはもちろんしませんし言いませんよっ?!


今回はこんなところで。
長く書いてるとよくわからんようになりがち

ではでは〜♪