弱さは美しさ

人の弱さについて。

自分の嫌な面はあるだろうか。

例えば、僕は身長はそこそこ、顔もそこまでカッコよくない。

初対面の人にじゃんじゃん話しかけられないし、朝が弱くて起きられない。

先日なんて、デートを寝過ごしてそれはもう最悪な1日だった。

弱さが持つ可能性

弱さが持つ可能性について話したい。

僕はよく、趣味で曲作りをしている。

「歌詞なんてどうでもいいだろ」
「大事なのは曲調だ」

という声もあるが、僕は案外、自分の書く歌詞が好きである。

というのも

・本当に生きることに疲れた時のこと
・変わりたいけど変われない弱い自分
・あの日の後悔

辛い思い、経験が曲として進化していく過程が本当に嬉しいのだ。


ここを境界線にするのはどうかと思うが、

死にたいと本気で思ったことがあるやつとないやつ

の間には、明確な世界の境界線が引かれていると思う。

見方が変わるのだ。芸術に対しても世界に対しても。

心に弱さを宿す人が感じ取れる美しさが必ずあると思う。

逆に、悩みや弱さを持たない人の作る芸術作品は浅く感じる。
まぁそれでも天才には敵わないのだが。

例えば簡単な話、誰かの自慢話と失敗ネタを聞かされるとしよう。

「昨日のデート、恋人本当に優しくてさ〜」

「昨日デートだったんだけど寝過ごしキメてガチ怒られた。朝起きれねえわもう無理まじアーメン」

自分は後者の方が好感が持てる。
何を隠そう、InstagramよりTwitterのほうが向いている人間、ということかもしれない。

失敗や弱さは心の動きと親しみやすさを生む

まとめよう。弱さは人の親しみやすさ、心の動きを生み出すものなのだ。
弱い心があるからこそ、昇華したとき本当に美しいものに仕上がるのではないかと私は思う。


さあここまで読んでくれたあなた、ありがとう。

先に忠告すると、ここから下はヘイトスピーチなので推奨はしない。


弱さは美しさだと言ったが、不倫や浮気に関しては全く美しいと思えない。

ただ、貞操観念が狂った人間が、自分の弱さをどうにかこうにかプライドを守るために誇っているようにしか見えない。

そういう人間の行き着く先は

「昔は遊んだな〜」

という、時間に頼った昇華すらなっていない

『美化』

である。せめて黒歴史として心に刻み、他者に自慢することなく生きるべきじゃないか。


価値観は人それぞれ。


まぁ全て当人たちの問題ですが。


トゥナイヤイヤ ヤイヤイヤ 爺や!!!

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