見出し画像

11.習うこと、教えること


初めに、私は習い事は各家庭の自由だと
思っている。
だから、これはあくまで我が家の話。


うちは塾などの勉強の習い事はしていない。
理由は、将来何になって欲しいか?
と考えたとき、将来学者や医師になって欲しい
訳ではなかったから。

かかる費用に対して、付加価値が私にはあまり
感じられなかった。
もし将来、何か興味を持てる好きなものを見つけたら、自分から選択するだろうと思っている。

ただ単に"塾は受講費が高い"という経済的なこともあるけど、私自身が何も習い事をしてこなかったが、特に後悔していないから。
それが一番の理由かもしれない。

振り返ってみると、ピアノを習った親の子は、
ピアノを習っている確率が高いと思う。
何も習わなかった私は、子どもの習い事にも
こだわりがない。
そういうことかな。

ただ、水泳はしている。
夫も私も、海や川が好きだから。
溺れる可能性を減らしたいし、
子どもが楽しくないなら、やっぱり親が好きな
だけの場所には行けないから。

あと長女は剣道をしている。
きっかけは仲良くなった友達がやっていたから。
私としては挨拶や礼儀が身につくと聞いたから、やって損はないかな、くらいの気持ちで。

それに、心の成長って難しい。
私自身は、体罰やいじめがあって、いろいろ悩んだ。
今はそれで心が成長して、プラス思考に落ち着いたと思っている。
けれど、娘には体罰もいじめもあって欲しくない。
どうなるかは分からないけれど、剣道で多少は心が強くなるのではないか?と期待している。

夢の押し付け、期待のし過ぎに
ならないように、気持ちの加減が難しい。



習う、教えるといったら、朝食のことを思い出した。

うちは目玉焼きを作るとき塩こしょうをふる。
食べる直前に黄身に少しの醤油をたらして
黄身のとろ〜りソースで食べるのが好きだ。 

子どもたちが、醤油をかけるとき、料理と醤油の距離がとにかく近い!
卵に醤油さしの先が付きそうだ。
醤油はサラサラしていて、かけ過ぎるといけないから、慎重になるのは分かる。

けれど嫌だ。

ゆっくり成長してくれれば良いとか思えない。
教えてもなかなか上手にならない。
なるべく早くコツをつかんで欲しい。
ケチャップ、ソース、マヨネーズ、あと歯磨き粉も!

何回使ったら、フタがケチャップまみれ
ソースまみれ、マヨネーズまみれにならず上手に使うようになるのかと、成長を心待ちにしている。



子どもに教えるうちに、気をつけるようになったことは、

伝わるように教えること。

大人と同じ説明では、子どもが理解できないから。
大人同士の会話でも、相手に伝わる話し方を考えたり、工夫するようになった。

教えるときに悩むのは、本人が気付くのを待つか
自分の方法をさっさと教えてしまうか

ということ。

例えば、玉ねぎのみじん切り。
包丁で刻むにしても、タテから、ヨコから、
切り込みを入れてから、と人それぞれ。
便利なフードプロセッサーを使おうが、みじん切りになればいい。

だから、やり方が一つではないものは、これは
ママのやり方だから、自分のやりやすいやり方が
見つかったら、変えていってね。
と言っている。

高校生の頃、担任に
「オレのやり方に従え!」
みたいな人がいて、反発したのを覚えているので、子供にも押し付ける教育はしたくない。

なんでも近道を教えてしまいがちになるけれど
遠周りのほうが、いろいろ見て、考えて、感じることが多い
と思う。
わざわざ苦労するのは見ていられないけれど、
かまい過ぎてもダメな訳で。
親として悩むところ。



生活を通して、いろいろなことを教えていくけれど、夫婦で父と母として、こういう子になって欲しいという願いみたいなことを一つは決めておくといいかもしれない。
多いとブレるから、一つだけ。

うちは、愛嬌がある子に育って欲しい
ということ。
そこを軸に、人を不快にさせず、自分も気分が
良くなるような立ち回りかた、考え方を教えて
いる。
子供に教えながら、自分も日々学んでいる。

それって愛嬌で合っているのかな?
協調性?
一緒にいて、楽しい相手になるという感じかな。
無理に相手に合わせるってことではなく。 
うーん。感覚を言葉にするのは難しい。

ただ、頼みごとは可愛く言いなさい
と教えている。
だって、私がそうでないと腹が立つから。
例えば、食事中
「ママ、水!」
と言われると、
「母さん、ビール!」
みたい。
どこの亭主関白だ?と思ってしまう。
私は、君たちの召使いではないんだよ。
と思う。

母親業は、給料が出ない。
「ありがとう」
「ママの料理大好き」
とか、その気持ちや言葉、子どもの成長がやる気の"源"なんだから、
褒めてもらわなかったら、やる気が出ないと
子ども達へ言っている。

「ママ、お水ちょうだい❤️」
「お水入れて欲しいな❤️」
とか、可愛くお願いしてね。
そうしたら、しょうがないなぁ❤️って思うから、と。

誰だって
「おい、お前コレやれよっ!」
て態度では、自分の言うことを聞いてくれないよ。
と教えている。

それで、愛嬌が育つかは分からないけれど。



夫は、うちの子はみんな可愛い。
みんな、いいやつだ。
と言う。
ムダなくらい社交性はある気はする。
初めまして、でも楽しく遊ぶタイプ。
だけど、いいやつって抽象的だな〜。

ちょっと高いものを食べると
「高級な味がする。」
と言う夫。
それって、どんな味?
と思うけれど、私も
本当だ、高級な味だね。
と通じてしまう。

通じれば、はっきりした言葉なんていらないのかもしれない。

こうなって欲しいって
根本のところだけは抽象的でもブレずにいたい。
根もとがしっかりしていれば、ある程度の逆境にも耐えられる子になると思っているから。

子どもたちの愛嬌を良くするため
まずは自分も愛嬌が良くならなければ
と書きながら思った。


終わりに、子どもがいる生活はすっごく平和。
という昨日あった出来事。

次女が学校から帰ってきた。

第一声は
「ただいま!」

うん。元気ないい声。
私も「おかえり!」と返した。

次に言ったのが
「ママ、泥だんごは?」
だった。

おやつでも
宿題でもなく
泥だんごが大事なのか。
平和だなあ。

その泥だんごは、一昨日家族で河原に遊びに
行って作ってきたものだ。

靴を洗ったばかりで、きれいな靴なのに砂まみれにして遊ぶ子供達に、ちょっと泣きたくなった。

壊れないように、気をつけて大事そうに持って
帰ってきた。

靴は汚れたけど、学校から帰ってきて、その
泥だんごが一番気になるほど楽しかったのなら
いいか。と思った。

この子が高校生になって
少女から女性になる日が来るのか。
まだ、全然想像できない。

まだまだ、ほのぼのした日々が続きそうだ。

サポートはお気持ちだけいただきます💖 記事を読んでくださってありがとうございました😊✨