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【ショートショート】やわらかな膜

あたたかい水に満たされたやわらかな膜のなか、それがぼくの居場所だった。
時々ぱあっと差し込んでくるひかりと、やさしくひびく女のひとの声と、膜の上をそっとなぞるそのひとの手のぬくもり・・・・・・それだけがぼくにつたわってくる、とても静かなところだった。
ぼくはまいにち、あたたかい水のなかをただよいながら、気持ちいいな、しあわせだなぁ、ただそのふたつだけを考えていた。

だけど時々、いつもぼくにやさしく語りかける女のひとの声が、とてもかなしそうな声になることがあった。
そのたびに、ぼくはやわらかな膜にさわってみたり、足をおしつけてみたりした。そうするといつも、そのひとの手が膜の上をなでた。その手はかなしそうにふるえていた。

そんなある日、だれかの声が、ぼくの耳をくすぐった。
――おねがいだよ、はやく彼女のところにいってあげて・・・・・・。
ぼくはこたえた、ぼくはずっとここにいるよ、せかいでいちばん、このひとのちかくにいるよ。
その声は、さっきよりもつよく、ぼくの耳をくすぐる。
――そうじゃないよ。彼女にきみのすがたが見えなきゃ、意味がないんだ。
彼女がきみをぎゅっとできなきゃ、意味がないんだよ・・・・・・。
ぼくはとたんに、彼女のところにいってあげたくなった。
1秒でもはやく、彼女にぎゅっとしてもらいたくなった。
わかった、いますぐいってくるよ。
そういって水のなかでまわってみせると、ぼくの耳をくすぐっていた声はクスクス、と笑ったみたいだった。

まっていてね、ぼくのたいせつなひと。
ぼくは膜にほっぺたをおしつけて、水のなかでくるくるくるくる、めいっぱいまわった。
彼女のところにいけるまで、ずーっとまわっていよう、そうこころにきめた。
彼女のところにいけたら、いやになるくらいぎゅっとしてもらうんだ。
ドキドキしながら、ぼくはずーっとまわりつづけた。

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