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TEARDROPSが何者か知りたいときに読むnote

TEARDROPS(通称;ティア)は,2021年1月に任意団体として設立。


2022年1月から「NPO法人ふらいおん」に参画し,さまざまな事業を展開。

「TEARDROPS」は、神戸市西区伊川谷町を中心に活動している団体です。地域活動や学習支援、社会問題への啓発など、幅広い分野で地域貢献を目指しています。地域住民のコミュニティ活動や交流を促進するイベントの開催、ボランティア活動のサポートなどを通じて、地域のつながりを強化する取り組みを行っています。

また、「TEARDROPS」は学習支援にも力を入れており、代表である私が運営する中学生向けの無料塾「しずく学習塾」とも連携しています。この塾では、子どもたちが無料で学べる機会を提供し、学習意欲を高めるとともに、地域の若者たちが成長するためのサポートを行っています。特に、学習に困難を抱える子どもたちや、家庭で十分なサポートを受けられない生徒を支援することを目的としており、地域全体の学力向上にも貢献しています。

「TEARDROPS」の活動は、地域の課題に寄り添い、住民一人ひとりが支え合う社会を目指す姿勢が特徴です。伊川谷の地域の強みであるコミュニティ意識や、自然や歴史といった資源を活かしながら、未来の世代に豊かな地域環境を継承するための努力を続けています。

また、オンラインでの居場所づくりも、「TEARDROPS」の活動の一環として進めています。具体的には、Discordのサーバーを活用して、参加者同士が安心して交流できるコミュニティを提供しています。このオンライン空間では、趣味や興味関心について自由に語り合えるだけでなく、学びや相談の場としても機能しています。例えば、「哲学話の部屋」「リソース共有」などのチャンネルを通じて、参加者が知識やアイデアを共有し合い、互いに学びを深めています。


このように、オンラインとオフラインの両方で居場所を提供することで、地域や年齢、バックグラウンドに関わらず、多様な人々がつながりを持てる場を築いているのが「TEARDROPS」の特徴であり強みです。


1.「名前のない痛みを聴く」とは?

私たちの団体では「名前のない痛みを聴く」というビジョンを掲げております。

さて「名前のない痛み」とは何を指しているのでしょうか。

現代では「HSP」「LGBTQ」「不登校」のように「生きづらさ」のような、一般的に「属性」と呼ばれるものは「分類し」「名付け」「詳細に記述する」のが当然だと思われている。

「職業」でも同じです。どんな職業に就いていても「自身が持てないから、自分の職業を明かせない」「非正規雇用である。無職である。」などのように、日々、会社や学校、地域社会の中で差別や偏見の目に怯えながら過ごしている人がいます。

じゃあそのような人々は、症状の回復、社会復帰等ができれば、それで終わりなのか。そうではない。差別や偏見(スティグマ)への向き合い方を知り、尊厳を持って地域社会に包括されている,そう感じることが重要です。⦅外側から向けられるスティグマだけでなく、内側から向けられるスティグマ(=自分が自分自身に向けるスティグマ=「セルフスティグマ」)とも付き合っていかなければなりません⦆

無意識にゾーニング、セグメントすることが当たり前になっています。わたしはあのひととは違う。そうやって段々と「見たいものしか見ない」ようになっていきます。自分とは異なる思想や価値観を「腫れ物」として触れなくなります。多様性が認められているように見えるけれど、実際は分断を進めているという現状。

私たちTEARDROPSでは主にこの「スティグマ」の存在を、対話しながら認知し、理解し、向き合い、対処していく。そして尊厳を持って地域社会に包括されると感じることを目指しています。

そこで重要となってくるのは「クオリア(≒体験質)」で「生きづらさ」や「痛み」を共有できることです。そのような体験をするには痛みを伴って越境する覚悟が必要。だけど共同体の概念が崩壊した現代で,わざわざ自ら傷つきにいくような人は稀。でも,ずっと同じカテゴリーに属していると「周りと自分はちがう」ことがどんどん浮き彫りになり,ずっと「満たされない」という感覚に襲われる。

痛みのカテゴリーが違っていても、対話していると「私とおんなじだ」と思うことがあります。私自身、学生団体のリーダーをしていた時の悩みが、NHKの「#8月31日の夜に」という番組で出演していた生きづらさを抱えた高校生の人たちと似ている、とスティグマから解放されるような体験をしたことがありました。痛みのカテゴリーが同じじゃないと理解し合えない、そんなことはないと思います。スティグマに向き合うには他者と積極的に関わり「差異」を感じ、差別や偏見を感覚的なものとして捉えることが重要なのではないでしょうか。

2.伊川谷町について

「トカイナカ」

神戸市西区伊川谷町は、いわゆる「トカイナカ」(都会と田舎が融合した地域)と言える要素を持っています。「トカイナカ」とは、都市の利便性と田舎の自然がほどよく共存しているエリアを指しますが、伊川谷はその特徴に合致していると言える地域です。

伊川谷町は、兵庫県南部に位置し、神戸市の中心部からは少し離れたエリアにあります。伊川谷町は神戸市西区内でも特に交通の利便性が高く、主要な幹線道路や神戸市営地下鉄西神・山手線が通っており、三宮や明石市方面へのアクセスも良好です

伊川谷町には教育機関や商業施設、公園も多く、住みやすい環境が整っています。農地も一部残っており、近隣の人々は地元産の新鮮な野菜を楽しむことができるのも魅力です。また、自然豊かな風景や神社仏閣も点在しており、歴史や文化を感じられるスポットが多くあります

このように、伊川谷町は都市生活の便利さと豊かな自然が共存し、家族連れや高齢者にも人気のエリアです。

国宝である大山寺

地域課題を解決するための基盤になる場所?!

伊川谷を起点として地域課題を解決すべき理由は、地理的な特性や社会的背景を活かして、周辺地域との連携を強化し、持続可能で効果的な支援が実現できるからです。以下にその理由を詳しく説明します。

1. 立地的な利便性

伊川谷は、神戸市内から近く、交通の便が良いため、他の地域と連携しやすい立地にあります。神戸市内と接しているため、行政機関や支援団体との連携がしやすく、また周辺地域(例えば、玉津や西区の他のエリア)とのアクセスも良好です。この立地は、地域間で情報を共有したり、支援活動を調整したりする上で有利です。

2. 多様な地域資源の活用

伊川谷には、農業や自然資源、さらには地域コミュニティが強固であることが知られています。これらの資源を活用して、地域の課題に対する中間支援が可能です。たとえば、地域の農産物を使った産業支援、農業や地域活動に関する教育や支援、さらには空き家の活用によるコミュニティ支援など、地域資源を最大限に活かした取り組みが行いやすい場所です。

個人的なおすすめスポットは「鶴田農園」です。

「鶴田農園」の主 および 「伊川谷オフラインサロン」のドン 鶴田さん

3. 地域の課題に対する敏感さ

伊川谷周辺は、過疎化や高齢化などの問題を抱えている一方で、地域社会が活発で新たな取り組みが模索されています。こうした地域の課題に対して、外部からの支援を橋渡しする役割を担うことができます。また、伊川谷の近隣にある玉津町では、過去に虐待事件が起こるなど、社会的な問題もありますが、このような課題に対しては、コミュニティベースで解決策を提供できる中間支援が重要です。

4. 中間支援機関としての役割

伊川谷は、地域の行政や市民団体、企業、教育機関などとの協力体制を構築しやすい場所です。例えば、地域の非営利団体(NPO)やボランティア団体が中間支援機関としての役割を果たすことができ、地域住民と外部の支援をつなぐ役割を担うことができます。また、伊川谷周辺には既にいくつかの地域活動や支援活動が存在しているため、これらを補完・強化する役割も期待されます。

5. 地域コミュニティの活性化

伊川谷の地域コミュニティは活発で、人々が助け合う精神が根付いています。これにより、地域内での支援活動やネットワーキングが自然と生まれやすく、外部の支援を受け入れやすい土壌があります。中間支援的な立場として、地域内外のネットワークを活用し、協力しながら地域課題の解決を図ることができる場所と言えるでしょう。

私たちの団体が設立時からお世話になっている某生協さんによると、地域団体(地域サークル)が30個ほどあるらしい。これはほかの地域でも例がないらしい。これは、なぜだろうか。ポテンシャルがこれだけある地域。もっと私は活かしていけると思います。

6.外国籍の住民が多く住んでいる

伊川谷町は、神戸市内に比べて静かで広々とした住宅地が多く、生活コストも安定しているため、郊外での生活を望む人々に魅力的です。JRやバスで神戸市中心部へのアクセスが良好なので、仕事や学業のために通う外国籍の方々にも便利です。また、周辺地域に外国人が多く、同じ国の人々と繋がりやすい環境が整っています。

その一方で外国籍の方を伊川谷町ではうまく巻き込めていません。なので、例えば、地域で外国籍の住民向けに、生活相談や活動参加のサポートを行う窓口を設置することで、彼らのニーズに対応しやすくなるでしょう。

3.TEARDROPSを立ち上げたきっかけ

代表の私(児玉)は、この伊川谷町という小さな町で生活してきました。

そして「2つの想い」があって、団体を立ち上げることになりました。

1つ目は「伊川谷町に学生が無料で勉強できるスペースを作ること」です
伊川谷町は無料で勉強できるスペースがありません。あったとしても情報は中高生には届いていません。電車で移動すればカフェや有料自習室,ユースステーションなどがありましたが、バイトをしていない高校生が毎日勉強するにはかなり痛い出費。教育の機会は平等に与えられるはずなのに,地域ごとに教育格差が開いている事実に私は疑問を持ちました。

2つ目は「完璧な答えを求められ、否定される社会で苦しんでいる人を癒すこと」です
コロナ禍の時,私は大学3年生で国際交流系の学生団体のリーダーをしていました。私はリーダーに立候補した際に「あなたはリーダーに向いていない」という言葉を40人の聴衆の面前で言われて人間不信になりました。当時の日本では不祥事を起こした政治家や芸能人が必要以上に叩かれていたので,リーダーをしていた私は自分自身の立場と重ねて心が痛みました。もうこんな社会は見たくない。許せない、と心から思いました。

そんな想いを持っていた私は偶然高校時代の友人と出会い,NPO法人設立を目指しました(後に「NPO法人ふらいおん」に参画することになります)Twitterでメンバー募集を行い,オンライン上でメンバー同士で交流を深めながら,伊川谷町での活動も行うようになりました。現在,メンバー募集はactivoというサイトで行っていますが,いまだに応募してくださる方もいてくださるので,すごく言葉の力を感じています。

4.活動内容

話を変えて、現在おこなっている活動について紹介します。

1.中学生向けの無料塾「しずく学習塾」

神戸市西区池上にて「勉強に躓いている」「経済的に塾に通うことが難しい」「身近に学校のこと、家庭のこと相談できる相手がいない」といった悩みを抱えている中学生向けの無料学習塾を運営しています。

伊川谷で若者の居場所づくりを目指す「TEARDROPS」地元で20年以上建築会社として実績のある「株式会社四方継」が相互協力して立ち上げた、新しい形の学習塾です。

毎週水曜日の17:00~19:00、地域に愛着を持った大学生/社会人/シニアのボランティア講師の方々が個別指導をしてくださっています。

2.子どもの居場所「いこいこ・いかわ」(主催団体:任意団体「ふらっと・いかわ」)

「いこいこ・いかわ」~地域の子どもたちの居場所づくり

地域社会で子どもたちが安全に遊び、学び、成長できる場所はとても重要です。しかし、現代社会では家庭環境や社会的な理由で、子どもたちが十分にそのような場所を得られないこともあります。

私たちが参画している「いこいこ・いかわ」は、子どもたちの居場所づくりを目的として、2022年から活動を開始しました。

「ふらっと・いかわ」は、地域の多くの人々と協力しながら、子どもたちが集まる場所を提供する任意団体「ふらっと・いかわ」主導の事業です。具体的には、コープデイズ神戸西で毎月1回の頻度で活動を行い、子どもたちが集まり、遊んだり、学んだりできる場を作っておられます。

「子ども食堂」の立ち上げ

2023年4月からは、「ふらっと・いかわ」の一環として「子ども食堂」が開始されました。子ども食堂は、子どもたちに食事を提供し、心身の健康を支える場です。また、食事を通じて地域の大人たちと自然に交流できることも大きな魅力です。

運営には、元保育士の方や、他の地域で既に子ども食堂を運営している方々が協力しています。彼らの経験と知識は非常に貴重で、運営をスムーズに進めるためのアドバイスや注意点を学ぶことができ、日々改善を重ねています。

地域のつながりと学び

「ふらっと・いかわ」では、単なる居場所づくりだけでなく、地域全体が子どもたちを見守り、育てるという意識を育てています。地域の中で「子ども食堂」を運営することは、地域コミュニティの一体感を高め、世代を超えたつながりを作り出しています。また、参加する大人たちも、子どもたちと直接触れ合うことで、教育や育成に関する知識や視点を広げています。

私たち「TEARDROPS」もこの活動に初期から運営に参画しており、地域の力を最大限に活かして、活動をより充実させています。私たちは、子どもたちが自分らしく成長できる場を提供するために、さまざまなサポートを行っています。

これからの構想

私たちは、「子ども食堂」の立ち上げ、「無料塾」の立ち上げ、その両方に関わってきました。その経験を活かし、今後は、地域の小中高生が毎日訪れることのできる場所-生活のできる場所を、作ることを目標にしてます。この場所は、誰でも気軽に訪れ、過ごすことができる場所です。学びの場として、遊びの場として、また交流の場として、子どもたちにとって価値ある時間を提供し、彼らが自分の個性を発揮できる環境を整えたいです。

3.多世代交流の場「Uzume」

2つ目は、伊川谷のお寺で多世代交流の場づくり。
伊川谷町にある「与楽寺」という奈良時代からの歴史をもつお寺で、月に一回多世代交流イベントを開催しています。

なぜそんなに『多世代交流』にこだわるのか疑問に持つ方もいらっしゃるかもしれませんので,私の考えをここで述べておきます。

現代社会では、隣に住んでいる人の名前さえ知らずに過ごすことができる時代になり、個々人が孤立しがちです。仕事も勉強も人間関係も、全てを個人でこなさなければならない時代の中で、「全体」を意識することが難しくなっています。その中で、地域の中で年齢や価値観の違いを超えて交流する場を作ることが、個々の存在を正しく位置づけ、地域全体を活性化させる重要な手段となると考えています。

伊川谷の「与楽寺」で毎月開催される多世代交流イベントは、その取り組みの一環です。この活動を通じて、地域住民の間で世代を超えた交流が生まれ、個々の視点から「全体」を見ることができるようになると考えています。

長い時間を共に過ごし、経験をつなげることが、スティグマを減らし、心の壁を取り払う最も効果的な方法です。特に、伊川谷のような郊外では、地域コミュニティの絆を強化することが、社会全体の問題を解決する鍵となります。

「Uzume」という名前に込めた思い

この多世代交流の場を「Uzume(ウズメ)」と名付けた理由は、日本神話に登場する「アマノウズメノミコト」に由来しています。アマノウズメは「芸能の神様」であり、世界が闇に覆われたときに、神楽を舞ってアマテラスオオカミを引き出し、世界に光をもたらしました。彼女のように、人々の心を開く存在になりたいという思いを込めて、この名前を選びました。

現代において、私が目指しているのは「発信」を通して人々の心の扉を開き、他者との繋がりを育むことです。私自身もコロナ禍でオンラインでの交流を通じて深いつながりを持つことができ、それが大きな励みとなりました。今後は、伊川谷町における活動を広め、地域内で孤立しがちな中高年や若者のために、居場所を提供する「駆け込み寺」を開設したいと考えています。

4.無料学習室(協力:コープデイズ神戸西)

地域の子どもたちに学びの場を提供

私たちTEARDROPSは、地域の子どもたちに学びの機会を提供するために、コープデイズ神戸西で月に一度、「無料学習室」を開設しています。

伊川谷周辺では小中高生の遊びの場が不足している、もしくは制限が増え、思いっきり遊ぶなどの機会が減少しています。ショッピングモールの未就学児対象の遊び場にたむろする小中学生が存在しています。

誰でも気軽に来られる場所

地域の子どもたちが自由に学べる環境を提供することを目的としています。コープデイズ神戸西の広々とした空間で、学習に集中できる静かな場所を確保し、子どもたちが自分のペースで学習できるようサポートしています。授業内容に沿った宿題の手伝いや、個別指導が必要な場合には、ボランティアスタッフが寄り添って指導を行います。

地域の大人たちとのつながり

TEARDROPSの無料学習室は、単に学習支援を行う場ではなく、地域の大人たちと子どもたちとのつながりを育む場所でもあります。ボランティアスタッフとして参加している地域の大人たちは、子どもたちにとって、学びのロールモデルとしても大切な存在です。学習を通じて、子どもたちが自信を持てるようになるとともに、大人たちも地域の子どもたちと積極的に関わることで、地域社会の絆を深めることができます。

ボードゲームを使った交流の場

学習がひと段落した後、子どもたちは自由にボードゲームを楽しむ時間を持っています。シンプルなカードゲームから、戦略を練りながら進めるボードゲームまで、さまざまなゲームを準備しており、子どもたちだけでなく、地域の大人たちやボランティアスタッフとも一緒に楽しむことができます。こうした遊びの時間は、学習室での緊張感を和らげ、リラックスした雰囲気で新たな人間関係を築くきっかけとなっています。

ボランティアとして運営に協力してくださる方,協賛してくださる個人や団体,会社様がいらっしゃいましたらご連絡くださいませ。

6.各SNS(写真・URLをタップしてください)

7.雑記

武士道と云ふことは、即ち死ぬことと見付けたり。凡そ二ツ一ツの場合に、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわりて進むなり。若し圖にあたらぬとき、犬死などと云ふは、上方風の打上りたる武道なるべし。二ツ一ツの場合に、圖にあたることのわかることは、到底出來ざることなり。我れ人共に、等しく生きる方が、萬々望むかたなれば、其の好むかたに理がつくべし。若し圖にはづれて生きたらば、腰ぬけなりとて、世の笑ひの種となるなり。此のさかひ、まことに危し。圖にはづれて死にたらば、犬死氣違ひとよばるれども、腰けにくらぶれば、耻辱にはならず。是れが武道に於てまづ丈夫なり。毎朝、毎夕、改めては死ぬ死ぬと、常住死身に成つてゐるときは、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり。

http://sybrma.sakura.ne.jp/307hagakure.html

最近私は,生きる気力を失っていた。この世界には’’死にかけて’’いる人がいない。死ぬほど何かを愛している人はいない。人を救いたいと言いながら自分の安定を崩そうとはしない。そういった人から発される言葉は何も美しくない。
そう絶望していた矢先,三島由紀夫の「葉隠入門」という本を手に取った。私は恥ずかしながら今までこの本を読んだことがなかった。だが,この本を読み始めたその瞬間,この本は死ぬほど何かを愛したいと思っている私には最適な書だと感じた。「葉隠」という本の中に「武士道と云ふことは、即ち死ぬことと見付けたり。凡そ二ツ一ツの場合に、早く死ぬかたに片付くばかりなり。」という言葉がある。「武士道」というのは「死ぬこと」と同義である。人間は「生」に執着するから悩みが絶えないのだ。生きることと死ぬことの2つが目の前に選択肢としてあったとき「死ぬこと」を選べ。私は以前から不思議と西田幾多郎や鈴木大拙,小林秀雄や柳宗悦などいわゆる仏教的な世界観がまだ国家の礎として存在していた時代の日本の文化人に強く心を惹かれていたのだが,葉隠入門に触れたことで確信した。私の思想は「日本的」(≒仏教的)であるな,と。

私は「怒り」や「悲しみ」といった感情は,期待していたものが叶わなかった時に起こるものだと考えている。「○○してほしい」と「依存」を向けられた時に,十分に返せないから「なんで○○してくれないの!」と反発心が怒り,絶望し,やがて虚無する。

私も活動していると,そんな感情になることが何度もあった。活動当初は強い衝動性に動かされていたような気もしているが,どこに相談に行っても「実績が足りない」だの「企画書を書け」だのしか言われない。団体の紹介をしたら自殺対策をしている人には「死にたいと呟いている人がいたら連絡してね」と言われる始末。この人たちは「私が今死にたいと思っている」とは考えないのだろうか,と絶望した。そして約1年たった今,何かに期待することをやめた。人に嫌われるなら,自分に嘘をつくぐらいなら,死ねばいいと思った。そうしたら生きやすくはなったが,生きる意味がわからなくなった。

三島由紀夫はとあるインタビューで「戦争時に時自分はいつか遠くない未来に死ぬと考えていた時の方が幸せであった」と答えていた。何かに「生」を脅かされ,死を常に意識せざるを得ない心理状態に置かれていた方が幸せだと。

現代では国家単位で「○○しなければ死ぬ」と議論することはないように思う。(SDGsくらい?)メタバースとかデジタルヒューマンも興味がない人には生きる理由にはなり得ない。だから「何かのために死にたい」と思いながらも,そういったものが見つかりにくい今の時代はすごく生きづらいのだろうなと思う。