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【活動報告】2023年を振り返る

2023年は、活動を始めて2年目の年でした。

正直に言えば、立ち上げた当初ほどの熱量は消えてしまいました。いや、というよりは、形が変わっていった、と言えばいいのかもしれません。

もちろん、衝動のまま、我を忘れ、中動態で、活動することができたら、それが理想なのだと思いますが、「怒り」という、人間にとって強烈な「生」のエネルギーが私を動かすの出なければ、何が私を動かすのだろう、という好奇心もありました。

私はどちらかというと、脳の中で映像や絵を呼び起こし、その絵を言葉という記号を使ってどうにか表せないかと考える人間です。活動を始めた当初から、名前のない痛みを聴くと決めた時から今に至るまで、脳の中にある映像というのは全く変わっていないのですが、2年経った今でも、その映像をうまく伝えられたと思う経験はしていません。

「じゃあその映像に当てはまるような言葉を探せばいいじゃん」
私も初めはそう思いました。そう思ったので、インターネットの記事や学術書、論文に至るまで、いろんな資料を漁りました。そのおかげで、自分の頭の中にある映像を、多種多様な言葉で表現することが可能になりました。

しかし、私はこうも思いました。
「いくら言葉を知ったからと言っても、相手に体験がなければ伝わらない」と。

でも「同じ体験」をしたから同じ感情になるか、と言われたらそれも違う。

人を傷つけたくても、自分の思い通りには傷つけられないのと同じで、
相手の価値観や属性、人生の中でどんなタイミングで、どんな経験や体験をしてきたか、どんな本に感動して、どんな食べ物を美味しく感じるか、などのように独自のクオリアが積み上げられていって、人生の必要なタイミングで「あっこれだ」と自分の中のクオリアが反応してくものだと、僕は思っています。

2022年

2023年に入る前に、2022年の活動について少し話します。
私がこの団体を立ち上げたのは2021年。まだコロナ禍だったのもあって「地域活動」と呼べるものは、まったく出来ていませんでした(しかしこの頃から神戸市の「ローカルスクールプロジェクト」と呼ばれるプログラムに参加して人脈や自分の知見を広げていたりはしました)。

2月ー子ども食堂に関わり始める

どうにかして、活動を形にできないだろうか。
そう悩んでいた時。社会福祉協議会の方に「子ども食堂が近くで毎月開かれる予定だけど興味あるかい?」というお誘いを受けました。タイミングが良かったのでしょう。ちょうど自治体として「子どもの居場所づくり」を推し進める段階にあり、私たちはうまくその波に乗らせてもらうことが出来ました。

もちろんこの時はうれしかった。

「子ども食堂」と言えば「子どもの居場所」の最たるものだと(当時は)思っていたし、いずれそうした場所を開きたいと思っていたからこそ、運営に携わ私はれることは、私にとって幸運極まりないことだった。

私は、この子ども食堂の運営の方と、子どもたちにとても多くのことを学ぶことになります。運営の方は、他の区でも子ども食堂や不登校支援を実施されている方もいれば、保育士の方もいらっしゃって、とっても勉強になる。この場所にいるだけで、物やヒトが流動的にやってきては、去っていきます。もちろんきれいなモノだけではなく、忖度なども見え隠れすることもあって。実際に現場にいるからこそ、そういうものを感じ取っていけるのだと、痛感しています。

ここの子ども食堂には、現在に至るまで毎月、一回も休むことなく関わらせてもらっています。

8月ー無料学習室を開放し始める

「無料で静かに勉強できる環境が欲しかった」

そういう想いが団体を立ち上げた1つのきっかけでもあった私は「コープデイズ神戸西」さん協力の元、学生の夏休み期間である8月に無料学習室を開放できることができました。

ある意味、このときが、初めて自分で何かを作った経験かもしれません。

わたしは学生団体でイベント運営やリーダーを経験したけれど、その組織の文化や風土という後ろ盾がどれだけ有難いものだったのか、痛感しました。毎週日曜日、計4日間開放して、来てほしかった中学生や高校生の方は呼べなかったけれど、子ども食堂に携わっていたので、そのつながりで発見してくださった方が来てくださったりして、ほんとにうれしかったです。

2023

「なぜ『お寺』でそんなにイベントしたいのですか?」
と、よく聞かれます。

きっかけは大学生の頃に「河合隼雄」さんの本を読み漁ったのが、要因として多いのかな、と思っています。河合隼雄さんは「明恵」というお坊さんを著書の中でよく挙げています。そのつながりで河合隼雄さんは「仏教」や「華厳経」にも興味をお持ちになるのですが、わたしも知らず知らず、読書をする中でその影響を受けていたのかもしれません。

団体を立ち上げた当初「痛みでも、なんでもかんでも言葉にしなきゃいけない」と声を荒げて叫んでいました。痛みに名前を付けることは発見してもらったり、自分を深く知る上でとても大事なことだと思います。「HSP」などのような名前を知れてよかった、という人の気持ちはよくわかりますし、それに反対する気持ちはないのですが、問題はそこから先にある気がしています。

例えば痛みに名前が付けば市場が出来上がっていきます。「不登校」「HSP」「LGBTQ」と名前が付くことで「私って〇〇っていう属性かも」という人が集まりますし、イベントや本などの告知の際に付く言葉も、それらがあるとないでは、集客数がかなり変わるでしょう。情報社会ですから、キャッチフレーズ、デザイン等、様々なものに気を配らなければ目を惹けません。(それとも、だんだんわたしたちが審美眼を持てなくなってきただけかもしれませんが)

入口というか、踏み台、という意味合いではそれでいいのでしょうが、同じ属性の人と関わっているうちに「あれ、このひとたちとは一緒じゃない」という人が必ず出てくると思うんです。そういってこぼれていくひとたちはどこで掬われていくのか。それがずっと疑問でした。

泣いている子供が目の前にいたら、大半の大人はその子供の方に異物でもみるような目を向けます。わたしはそんな大人が恰好悪く、とっても気持ち悪いな、といつも思っています。普段から異物に触れていない大人たち。そうじゃなくて、周りの目を気にせずに、動揺せずに、「どうしたの?」と問いかけられる大人がいてくれたら、どんなによかったか。

哲学者やお坊さんの本を読むと「死がとてつもなく怖い」とよく書かれてあります。そこには自分が死ぬことをどうしようもなく考えてきた人たちの言葉が連ねられています。別に本屋に行き「繊細さん」「HSP」「LGBTQ」と書いてある本を読んで自分の虚無感がなくなるのならそれで構わないのですが、それでは心の穴は塞がりません。でも、そんな穴を塞ぐきっかけがお寺にはあると思っています。

昔は、もっと死や奇妙なモノ異常なモノを気軽に語れていたと思うんです。御伽噺や古典文学、明治時代の文豪が書いた小説を読んでいるとそう思います。妖怪や鬼のようなものを物語のなかに登場させることで、みんな「こわい」と思いながらもその「こわさ」に慣れていっていた。でも現代は「みたくないものはみない」と最初から避ける時代です。そんなの「多様性」じゃない。

結局「お寺」でなにをしたいか、ということなんですが、障害、年齢、職業など、何をとっても境界が存在します。若者からしたら年長者がとてつもなく怖いと思っているかもしれないし、健常者から見たら身体障碍者や精神障害者は奇妙なものだと見えるかもしれない。それぞれカテゴリーが違うように見えて、結局は「異常なモノが怖い」という感情が全ての元凶であるのではないかと私は思っている。

自分にとって異常なモノとはなにか。
その異常なモノにどう立ち向かっていけばいいか。
そんなことを見つめる場にしたい。

4月ーお寺で詩を読む

5月ーお寺でARスタンプラリー


6月ーお寺で対話型アート鑑賞


7月ーテクスチャ―アート体験&科学実験教室


8月ーお寺でミニ縁日


9月ーお寺で詩を読む

10月ー


11月ーお寺で対話型アート鑑賞