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「子育ての重荷感」と「夫婦の対話の難しさ」の正体

「ひと・こと・もの」に頼りながらの両立&子育てを提案しているチームわが家。みなさんから聞こえてきた「難しさ」を深掘りながら半年ほどかけて行った問い直しの旅を振り返っています。

さて、前回のnoteで書いたとおり、数ヶ月の同期&非同期の対話と経て、問い直すべき「二つの問い」がめでたく決定👏

以下の二つの問いに挑むことになりました。

・そもそも子育ては重荷か?励みか?
・「夫婦/家族の対話」の難しさはどこにあるのか?

やる気満々で問い直しスタート!早速これまでの講座や研修のアンケートのコメントやアドバイザリーや理事を務めている団体で行った調査をひっくり返して整理&分類。そこから浮かび上がってきたことを理論と照らし合わせて分析。それを
MURAL上で問い直しパートナーのMIMIGURI田幡さんに共有。時々対話を挟み、確認しながら進めました。

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分析はMURALで共有

この定性的なコツコツ&ぐるぐるを続けること一ヶ月。「子育ての重荷感」や「対話の難しさ感」がどこから来るのかが見えてきました。今回は分析の中で重さや難しさが顕著であった「妻負担過多」のケースに焦点をあてていますが、もちろん逆のパターンもあり、性別に寄らないケースもありました。
以下に主な3つの事例を紹介します。

1. 分業体制化石化→「痛みの共有」が不可能&対話不成立
出産後から妻が家事育児の大部分を担い、ケアの主担当は妻、夫は仕事に支障がない範囲でのサポートという分業体制が確立。妻が専業主婦の場合はもちろん、共働きの場合もこの体制をキープしたまま妻が復職。妻が働き方を調整し、在宅時間を確保。夫との在宅時間に格差ができ次第に分業体制が化石化。
家庭内のケアの負担量の格差が負担感の格差となり、「大変さ」の本当の意味での理解が得られない。つまり、同じ景色を見ても、妻にとっては死活問題レベルだけれど、夫は他人事レベルのことが多い。
協業体制へシフトしようとすると妻のやり方や妻基準がベースとなるため、夫が仕事を理由にケア役割から距離を取る場合が多い。
同じ景色を見ていても、そこにある「痛みの共有」ができず、対話が成立しない。

2. 職場要因のコントロール困難→「諦めモード」により対話が困難
夫婦で協業体制を創ろうと頑張ってみたものの、希望に反して分業体制になってしまった。夫婦どちらかの職場で柔軟な働き方ができない場合が多く、調整可能な方に負担が偏る。相対的に調整がより困難なのは夫である場合が多い。
職場の環境が変わらない限り協業体制を創ることが難しく、やる気はあったのに実現困難。自分たちだけではコントロールできないことが多いため、分業体制から抜け出せない。夫は「できる範囲でやっている」ことで納得感を得る。
一方妻は、もともとは協業体制でやっていくことへの期待もあったため、自分だけが働き方を変えなければならないことに余計に不満が募りやすい。
打開策が見えず八方塞がり。諦めモードにより対話が困難。

3. 仕事の負荷大→協業体制シフトへの不安から対話回避
夫婦のどちらかに仕事の負荷が大きく、仕事の負担量が多い方が今以上の家庭のケアの負担を担うことへの不安から協業体制へのシフトを避けてしまう。実際はケアの負担量が多いパートナーも決して仕事の負担か軽いわけでない。時間的にも精神的にも状況的にも毎日が綱渡り状態だが、自分が頑張ることでどうにかやりくりしてします。この状況からケアの負担の軽い方は自分の方が仕事の負担が大きいから仕方がないと思い込んでいる。今よりもっといい方法があるかもしれないのに、ケア負担が自分へ移動してくることを回避するために、対話も回避。ケア役割から距離をおく。

3つの事例はそれぞれ過程は多少違いますが、共通しているのは、

  • 分業体制の化石化を促進する職場や社会への苛立ちと諦め

  • 一緒に親になったのに経験している「痛み」が共有できない苦しさと孤独感

一緒に両立を目指しているつもりでも、実際にはそれぞれが違う両立を目指していて、対話ではなく押し問答をしている状態なのです。

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景色の共有も痛みの理解も具体策の目処もない対話は苦行でしかありません。一緒にいるのに孤独な試行錯誤と変わらない負担感との終わりなき戦い。楽しいはずの子育てを楽しいと思えない辛みもアドオン。。。
これが、「子育ての重荷感」と「対話の難しさ感」を増し増しにしているのです。

「なるほど〜」
ん? それで?そんなのこれまでも分かっていたことです。なんの発見でも
ありません。

そもそも、チームわが家は、「家族間の資源格差」「性別役割分業意識」「夫婦や家族間の役割の固定化・ケア役割の属人化」の理論に基づいて創ったんです。だから、こういう「答え」になるのは当たり前なんです。

つまり、結局1ヶ月余りのコツコツ&ぐるぐるの結末は「元に戻っただけ」なんです。だああ。。。

でも、ちょっと待てよ。ということは。。。
チームわが家の土台になっている理論こそが、「子育てを重荷」に感じさせ、「夫婦/家族の対話を難しく」しているのではないか??

大きな糸口が見えました。
って、こうして書くとすぐにわかったような感じですが、気づいたのは、
「だああ」から2週間後。
そして、さらにここから糸口を掴んだまま、しばらくぐるぐるが続いたのです。

イラスト画像:さのはるか @USANET