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甦るフランク・ロイド・ライト(3)アアルト

<あらすじ>
65年の時を経て、フランク・ロイド・ライトが甦ったら、何を語るかというエッセイです。一人称の私は、甦ったフランク・ロイド・ライトです。今回(第3話)は、アルヴァ・アアルトについて、ライトに話してもらいます。

拝啓、アルヴァ・アールト様

前回、ミースと私との相対化を図った。 
ミースへの想いが強く、少々長くなったので、他の巨匠くんたちは足早にいきたいと思う。

ル・コルビジェ(1887 - 1965)は苦手だった。建築は機械だと大衆をそそのかし、注目を集めることだけに拘った、承認欲求の塊のような建築家だ。当時、よくコルビジェと意見が対立した。
ただ、ロンシャンやラトゥーレット修道院などの後期コルビュジエは、傑作を遺している。、、が、やはり彼と私は価値観が合わない。彼は、外観ばかり気にし、建築をオブジェクトとして捉えていた。私は、建築の本質は内部空間にあり、外観は結果であるスタンスだ。意見が合うはずがない。基本的に、ここでは彼を無視する。彼のことを今後話すことはないだろう。

一方、アルヴァ・アアルト(1898 - 1976)は素晴らしい。

1939年頃、彼は、ニューヨーク国際博覧会フィンランド館を担当しており、その際、私のところに寄ってくれ、友のように建築を語らった。落水荘の施主のカウフマンさんとも親交があり、彼の依頼の仕事もしたり、落水荘にも滞在していたようじゃった。プールで遊んでいる写真が残っておる。アアルトの博覧会のパビリオンは素晴らしく、私がメディアで「天才の仕事」と評したところ、アメリカ中に彼の評判は高まった。

落水荘滞在時写真

アアルトも凄いが、妻のアイノさんも凄かった。私よりデザインができるんじゃないかと思うほどの天才じゃ。曲線の描き方が素晴らしい。アアルト夫妻の家具も良かった。アアルトが理性的に建築を構築し、アイノさんが感性で優しく空間を包み込むので、設計コンビとして最強だ。
ただ、私の弟子が、私の作品でアアルトの家具を置いた際には、ブチギレた。ただのジェラシーじゃ。すまない、ジョン・ハウよ。

アアルトの建築の神髄は、人間性に重きを置いたデザイン理念にある。

私も人間性を問題にしていた。ただ内容としては、民主主義の自由で平等であるべきだという思想に沿った、建築計画を模索していたのである。アメリカンな自由を追い求めたのだ。

アアルトの人間性は、私よりずっと重かったのではないだろうか。
彼は第二次世界大戦時、兵士として戦争に参加させられた。その際、人間とは、人間の尊厳とは、人間のための建築・空間とは、ということについて、血がでる想いで考えたに違いない。そういった極限まで高まった彼の人間性に関する感性は、並々ならぬものであったはずだ。彼の深い感性は、建築として静かに、慎ましく、だけれども情熱的な情緒を醸し出している。
なによりも、彼が作る窓が素晴らしい。光が実体化したかのような印象的な光である。薄暗い北欧の人間なのではの感性なのか。アアルトの窓から注がれる光は、戦争に傷ついた人々を優しく包み込み、活力を与える。
もしルイス・カーンが、現代に甦ったら真っ先にアアルトへの感謝を述べるに違いない。

ヘルシンキ工科大学(現アールト大学) 1949-66

・・・

ヨーロッパ人も、近代化を推し進めたコアとなる国(イギリス・フランス・ドイツ)とその辺境の地域の人間で少し性質が異なるようだ。私は、辺境の人間の方が、好意をもてる。私は、そういう人間なのだ。アメリカの片田舎の喧しいおじさんなのじゃ。多分、日本が好きな理由も、そんなところじゃな。

左がアアルトスタジオ、右がライト事務所 そっくりじゃ

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