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甦るフランク・ロイド・ライト(7)メタボリズム

<あらすじ>
65年の時を経て、フランク・ロイド・ライトが、もし現代に甦ったら何を語るか、というエッセイ集です。一人称の私は、甦ったフランク・ロイド・ライトです。今回(第7話)は、メタボリズムについて、話してもらいます。

拝啓、メタボリズム様

空中都市 磯崎新 

メタボリズム(1960 - 1970)は、私が死んだ翌年1960年、東京で行われた世界デザイン会議において、菊竹、大高、黒川らが提唱した建築運動じゃ。彼らは、当時、戦後復興から経済成長中の日本において、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案した。
メタボリズムは、有機的、生命的と標榜しており、私の建築思想と連続する。
さては、私にリスペクトがあるのかと思い、メタボリズムの本を読んでみたが、私への感謝状はおろか、私への記述は一つもなかった。正直ショックだった。まあ、しょうがない。戦後日本で、アメリカを代表する建築家の直接的な参照を避けたかったのだろう。

メタボリズムは、1959年に終了したCIAM(近代建築国際会議)を引き継ぎ、建築家に都市デザインは可能かという意欲的な活動であった。素晴らしい志だ。私はコルビュジエが主導するCIAMは参加したことがなかったが、メタボリズムなら参加したかった。コルビュジエの都市計画は既に破綻があり、その解決のために代謝的建築(メタボリズム)というコンセプトを打ち出した。機械としての建築・都市ではなく、生命的なダイナミックな都市像を目指したのだ。
メタボリズムといっても、そのメンバーごとに特徴が異なり、一枚岩ではない。黒川・丹下は、コルビュジエに傾倒している。菊竹は、私とルイス・カーンに近い気がしているが、彼自身が私について語っていないので何とも言えない。
<か><かた><かたち>は、カーンの「form」の概念をベースとしている。彼は、<か><かた><かたち>から代謝建築論というメタボリズムの核心となるコンセプトを見出した。

ここからは、私の都市計画・都市建築を紹介しながら、私とメタボリズムとの共通点・差異を見出し、メタボリズムを評価する。

Broadacre City / Frank Lloyd Wright(1934)

私は、いくつかの都市を計画していた。ブロードエーカー・シティ(1934)が有名だ。この都市計画で提案したことは、車社会に対応した、より人間らしい生きられる都市像だ。産業や経済のために人が集められている垂直都市を避けて、その機能を田園に分散させ、大地に根差し人間が自立した生活をするという民主主義に対する私の考え方を巨大模型で表明した。しかし、この都市計画は構想で終わり、一部の建築単品のみ実現している。
下写真の黒川のグリッド状の農村都市計画は、私のブロードエーカー・シティを参照している。

黒川紀章の農村都市計画 

私は、1930年代以降、それ以前のプレリー・スタイルを脱し、ユーソニア・スタイルを確立した。根底のコンセプトはプレリー・スタイルと変わらないが、より民衆向きで低予算で建設可能なスタイルだ。このユーソニア住宅が集合する都市計画を3つの郊外で計画した。各住宅の敷地を円形に区画する細胞みたいな郊外の住宅地を計画し、実現させた。これが私が考えた有機的都市の姿だ。住宅同士が円の隙間の植栽で分節されつつ、接点で連続する。私が見出した空間の連続性という特性を、都市規模まで拡張できた。これが私の理想郷だ。

①The Acers (左図)②Parkwyn Village(右図)/Frank Lloyd Wright(1949)
③Usonia Historic District  / Frank lloyd wright (1946-1964 ) Pleasantville, New York S.316, 317, 318

またバグダッド都市計画では、円弧で交通を制御しながら、河の流れを受けながら成長する都市を描いた。これらの私の都市計画は、菊竹の海上都市の構想に寄与したに違いない。

Greater Baghdad / Frank Lloyd Wright(1946-1964 ) 鳥瞰透視図 配置図


私の高層建築について、説明しよう。大きな樹のような超高層ビルをいくつか構想したが、プライス・タワー(1956)のみ実現した。その中で下写真のクリスタル・ハイツ(1940. unbuilt)を見てほしい。外観も平面図も中銀カプセルタワービルにそっくりなんじゃがな。黒川よ、少しは私について言及してほしかった、、

Crystal Heights/  Frank Lloyd Wright 1940 Oak Lawn, Washington, D.C. T.4016 Unbuilt Project

また、メタボリズム建築は、ルイス・カーンを参照している。というより、メタボリズムの萌芽が、ルイス・カーンなのだ。メタボリズムの根底には、カーンのサーブド・スペース(奉仕される空間)とサーバント・スペース(奉仕する空間)という概念がある。サーブド・スペースを交換可能な単位として、サーバンド・スペースをコアとして垂直方向に積み、交通機能とも結合させたのだ。カーンがもたらしたシリンダーやDNA状の形態は、そのままメタボリズムの造形として活用されている。

左はカーンのPhiladelphia Tower project. (Not built)1957、右はメタボリズム

1960年の東京世界デザイン会議において、カーンとメンバーは深い議論をした。その際、カーンにより、自身のリチャーズ医療研究所を例に、空間と交通についての新しい手法(前述したサーブド・スペースとサーバント・スペースの拡張)の提示があったようだ。メタボリズムメンバーは、大いに共感し、その後シリンダーのメガストラクチャーが登場する。

さて、メタボリズムについて一通り、私とカーンとの相対化をしたが、本題に入ろう。
メタボリズムは、実に優れた建築運動だ。私の思想とも連動しており、見ていて大いに楽しめた。
アーキグラムのように建築家の夢で終わるのではなく、実際的かつ社会的に活動をしたことも評価できる。ではなぜ、メタボリズムは消え去ったのか。
1973年のオイルショックで、日本社会の成長は、鈍化した。日本が都市再生の成長期を終え、1970年代以降、低成長・成熟期に入ったのだ。メタボリズムは代謝を謳っておいて、増殖できても、縮小には適用できなかった。代謝することは、言うは易く行うは難しなのじゃ。建築は、想像以上に固いし重い。何かの慣性が働いているかのように、物理的にも制度的にも動かすのが難しい。

メタボリズムが代謝できなかった理由は何か。
まず、新陳代謝するスケール・単位を間違えた。中銀カプセルタワービルについて、交換可能としていたカプセル部屋は一度も交換されることなく、建物が取り壊された。カプセルが大きすぎて交換できなかったのだ。カプセルの劣化とともに、コアも同様に劣化した。サーブド・スパースは、交換可能などではなかった。本来の空間はリビングから発生し、リビングは、建築の心臓だ。臓器移植することなど容易ではないことは、すぐに想像できるだろう。
また、メタボリズムの多くのアイディアは、建築と大地を切断した。理由は、土地と建築とを分離することによる交換の効率の向上と、日本特有の土地の狭さ・不安定さが原因だ。しかし、建築にとって、大地は横たわるための背骨だ。一旦空中に浮いてしまうと、空に消えて行かない限り、建築の死を作れない。大地との切断は、空間の流れも生まれない。空中に漂うゾンビ都市の出来上がりじゃ。

メタボリズム建築は、もう新たには生まれない。ただ、彼らの思想を見直すことは重要だ。
有機的というコンセプトは良いが、代謝的については再考したほうが良い。解体しやすい構法を採用するか、より細かいパーツの交換を目指すべきだ。現代の建築は、定期的なメンテナンスをしない。その運用自体が問題で、庭の手入れのように、建築も常に手入れするよう、建築家は社会に働きかけなければならない。外科手術より、定期検診の方を薦めるのは、都市も医療も一緒なのかもしれない。
また、大地と建築の切断は、あってはならない。大地と連続しない建築は、建築でも都市でもない。人間は、どうしても大地から切断されることを望まない。私のユーソニア計画のように、地面の上に発芽し、地面に帰っていくような都市を構想するべきだ。

メタボリズムの課題は、建築家に都市のデザインは可能か?という問いを突きつけてくる。
部分と全体が連続する構築物を建築と定義した際、その連続性が及ばぬ範囲をどう扱えば良いのかと。建築と都市は本当に連続可能なのか。
無論、私は可能であると考えておる。自然は、あらゆるスケールで連続している。それに習うべきなのだ。

メタボリズムの再考は、私の有機的建築を再び顕在化させる。私の有機的とは、部分と全体が統合的であることだ。別に植物を真似しろと言っていた訳ではなかった。植物がたまたま、部分と全体が連続して合致している造形をしていただけだ。有機的は元来、代謝的・生命的を目的としていた訳ではなく、物質と人間と自然との正しい連続・成長を主張し続けていたのである。
今一度、有機的の本質を皆が認識できてこそ、メタボリズムの反省は完了する。

有機的建築の本性とは、その敷地そのものから成長すること、すなわち大地から現れ、光の中に伸びていくことである ー

自然の家 フランク・ロイド・ライト 富岡義人 (訳)p069
LIVING CITY / Frank Lloyd Wright (1958)
世界デザイン会議 1960年5月11日 東京産経会館国際ホール

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