見出し画像

野球におけるベンチワークの先にあるもの

こんにちは。Team TAIBO 広報Tです。
今回は、群馬大学さんに取材に伺いました。
テーマは、ベンチワークです。野球選手は試合に出て、初めて野球を楽しく感じるものです。ベンチで選手のサポート役に徹している意味は、何なのか。学生野球で何を学び、社会へと繋げていくのかを考えてみました。参考にされてみてはいかがでしょうか。

チーム名:群馬大学
監督:田中監督
活動歴:10.年
所属:関甲新学生野球連盟

活動の様子

①ベンチでなぜ、試合に出られないのか時折、悩む選手。前回の試合の結果を引きずり、何が悪かったのか、いまだに考え込む選手もいた。

②自分が試合に出ることばかり考え、ボールボーイやバット引きなどサポートの仕事には、向かいにくい選手もいた。

③前回の試合で結果を出せず、スタメン落ちした一人の選手は、積極的にバット引きやキャッチャーの防具つけなど、出場選手のサポートを積極的にしていた。

新人監督へのアドバイス

野球の試合は、全員出れるようになれば、と思うことが多々ある。アメリカ人からすれば、日本の野球に疑問を感じることがあるらしい。スタンドで応援している野球部員がいたり、試合に出られずに、ベンチで声を出し続けている選手を不思議に感じるという。野球選手は試合に出たい、出ることでモチベーションが上がっていく。これは、野球人の共通した考えでもあると思う。

大学野球でも同じで、ひたすらベンチで声を出し続けて試合が終わる選手はいる。そこで、不貞腐れたり、静かになったりすることは許されない世界で、大学野球は声を出すことが一番重要な仕事でもある。試合後、あるOBのコメントで、「ベンチにいながら声を出し続けている選手は数人いたが、試合に出たい出たいという思いから、声が続いていない選手もいた。自分のことだけではなく、チームのために、できることをやるという意識で、視野を広く持って、取り組んでいくように」という助言があった。

確かに正論だ。試合に出られなくても、突如スタメンから外れたとしても、顔に出さずにチームのために、裏方の仕事に徹することができる選手は素晴らしい人間である。でも、まだ、20歳そこそこの選手が、自分のふがいない状況を受け止め、心を切り替えられるかといえば難しいようにも思う。

30歳や40歳なら、気丈に振舞えても、学生にはなかなか酷なものがある。あと少しでレギュラー、ここで打たなければ、次の試合はスタメン落ちなど、当落線上の選手は、1打席ごと、または1プレーごとの気持ちの浮き沈みは大きい。ベンチで気丈に振舞っていても、突如退部したり、いなくなったりする選手もいるということは、やはり、試合に出てこそ、野球部に入っている意味を見出せるということでもあると思う。

一方で、スタメンで出ている選手にも、1打席ごとの結果で、喜んだり、かなり落ち込んだりする選手がいる。これは、もうそろそろ外されるかな、という恐怖もあるためだ。打てなければ、ベンチに帰ってくるや、顔が放心状態になっている。その気持ちも十分にわかる。試合に出続けたいそんな強い思いは選手の多くが持っている。

野球は試合に出てこそ、楽しい。野球はもともと遊びで楽しいものだ。いつの間にか、選手同士の競争の場となり、楽しむというより、辛く苦しい練習に打ち込んで、結果にのみ喜んでいる選手が多いことに、ふと疑問に感じることがある。ベンチにいたくない、試合に出たい、そのために辛く苦しい練習に耐えていく。

野球をしている間は、技術を磨きに来ている選手が大半である。だから、試合に出たいのは当然だ。でも、いずれ社会人になったときに、野球の技術を売りにする職業に就く人は少なく、人間性が大切になってくる。自分が苦しくなった時に、気持ちを表に出さなかったり、他人のサポートができたりすることが、社会人には求められる。だから、学生野球で何を学ぶかを理解していれば、ブレることがなく、辞めずに野球を続けていけるように思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?