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【連載小説③】1979年初夏、ドーの話。/ DOE DEER, WHAT’S THE MATTER??

前作はコチラ。↑
作:結友
イラスト:橙怠惰

5. タルーラ・バルバ


バー&ラウンジ「サテライト・オブ・モニカ」は、朝10:00からしっかりと酒を提供する数少ないバーのひとつだった。ヴィクトリア調と今風の飾りを混ぜたようなテーマの店で、マスターは短気で、気さくなおじさんである。
ドーはべっこう色のドアを開けると、見慣れた顔のあるカウンターの方へ歩いて行った。
開店後すぐだったため客は一人もいなかった。マスターはしかめっ面をしながらビールサーバーを磨いていたが、ドーの顔を見るなりふきんをバンっと乱暴にカウンターに叩きつけ、ひげもじゃの顔を笑顔でくしゃくしゃにした。

「ドー・ディア!久っしぶりじゃねえか!」
「よお!」
「朝っぱらからひっどい顔だな!」
「そうなんだよ。ちょっと因縁のライバルとの決闘をしてきたところでさ…」

AJは後ろで、マスターとドーの言葉のキャッチボールを見ていた。
「この街で、あいつを知らない奴はいるんだろうか」
AJはやれやれといった様子でコズモに言った。コズモは片方の口角だけ上げて反応した。

ドーがコズモとAJを紹介し、コズモとカウンターの端っこに並んで座った。AJはテーブル席に腰掛けると、足を組み、腕時計をにらみつけ、依頼人の元夫の到着を待った。

コズモとドーはしばらく黙って座っていた。マスターがビールを運んでくると、2人はありがとうと言って受け取った。ドーはビールの泡をぼけっと見つめながら、呪文のように小さく繰り返した。
「バルバ…バルバ、…バルバ?…バルバ」
ドーはコズモが質問してくるのをしぶとく待った。しかしコズモは興味なさそうにカウンターに頬杖をついたままだった。ドーは我慢できずにひとりで勝手に説明し始めた。
「知らないのか?もっとポップ・カルチャーに興味を持ちたまえ、同士よ。AJがこれから会う人物のことだよ。資料の写真を見ちゃったんだよ。あれはまぎれもなく、正真正銘のバルバだね」
コズモが眉をひそめた。
「依頼人の夫のことか」
ドーはビールを飲みながら、カウンターから背中を反らし、AJのいるテーブルの方を確認しようとした。しかし曲がり角が邪魔して、AJの姿は見えなかった。
「一度お目にかかりたかったんだよなあ、バルバに」
「一体どんな奴が『陰門(バルバ)』を名前にするんだよ」
「さあね、革命家とか?新しい時代の幕開けにぴったりじゃねえか」
コズモは居心地が悪そうに、テーブルについたビールの水滴を、指でつついて動かした。
「最近この辺で人気が出てきたパンクシンガーだよ。お前がお城に籠ってる間、2、3曲ライブで聴いた。悪かあなかったぜ」
ドーはナッツを口へ放り投げた。
「そうか」
「お前も時々聴きに行けよ。こじんまりしたライブは久しぶりだろ?」

コズモは店内をぐるりと見渡した。

この街は、常に変化しているのよ。
2ヶ月留守にしていただけだって、ぼけっとしてると乗り遅れるよ。

施設から実家に戻ってきた日、コズモの母はコズモを勇気づけるように言った。いつも部屋にこもりがちなコズモを引っ張り出したいと母は考えていたが、ドーも時々、直接的ではなくても、母と似たような面を持っているような気がした。
ただいつものように、コズモにはドーの本心はわからない。

角からAJがカリカリした様子で2人のほうへやってきた。
「もう30分以上経つのに依頼人が来ない。退屈になってきた」
AJはため息をつき、カウンターにもたれかかった。落ち着きがなさそうにつま先で床をトントンと叩く。
「弁護士さん、文句言うなよ。時給は貰えてんだろ?」
ドーが見上げて言った。
「裁量労働制だ」
AJが答えた。コズモは何それ…という顔をしたが、口を開いただけで何も言わなかった。
ドーがわざとらしく自分のアロハシャツの胸元を掴み、暑そうにあおぐ。
「バイトはいいぞぉ」
AJは無視してコズモに話しかけた。
「それにしても『ミュージシャン』って種族は、時間の概念がこんなにないものなのかな」
「心当たりはある」
コズモが言った。
「自分の子供を取りあってるのに…相手の弁護士に少しでも良い印象を残したいとか、思わないもんなんだろうか」
コズモは返事に迷い、肩をすくめた。
「こっちだって気が乗らないのに…」
AJが髪をくしゃくしゃと掻いた。
「同感」
ハスキーな男性の声がした。怒りに満ちた、深い周波数だった。
AJがとっさに振り返り、コズモとドーは声の主を見上げた。
「ハイ」
タルーラ・バルバはアイシャドウを輝かせた目を、皮肉たっぷりに細めていた。
ブレスレットを大量につけた手を振ったので、動きとともにジャラジャラと力強い音がした。背が高く、筋肉質な身体は赤いドレスと薄いコートで包まれている。ブロンドの髪は均一に刈り上げられ、ファッショナブルな自信がより一層際立っていた。
AJは唾をごくりと飲み込み、心を落ち着かせようとすばやく息を吐いた。
タルーラはAJに向かって微笑み、頭を傾けた。
「開戦、てことでいい?」

タルーラとAJは、テーブル席に戻ってカクテルを注文した。
気が重いのは分かってる。だからアルコールが必要なんだとタルーラは笑った。
「お互いにね」
AJは頷き、ドリンクが来ると気まずそうに乾杯をして、2人は一口飲んだ。
タルーラは足を組み、椅子にもたれかかった。いかにも「どんと来い」といった態度だった。AJはタルーラの強烈なパワーに飲まれまいと、背筋を正した。
AJが口を開こうとすると、タルーラがやめて、と制止した。
「『商談』は嫌い。前置きなしで始めて。このアイスは絶対にブレイクしないから」
自分のジョークに大声で笑ったのはタルーラ自身だけだった。
「いきなり始めてしまったら、アルコールの意味ないんじゃないんですか」
AJは顔色を変えることなく、柔らかい口ぶりで答えた。タルーラはタバコに火をつけ、AJをじっと見つめた。
「私はね、自虐的にいうけど、見た目から入る人間なんだ」
タルーラは、わかるでしょと言うように、自分のドレスを手でわざとらしく示した。
AJは小声で分かりましたと言い、資料を取り出した。
「では、質問していきます」
AJはかしこまった様子でタルーラと目線をかち合わせた。
「名前は?」
「タルーラ・バルバ」
2人は見つめあったまま固まった。タルーラは何か文句ある?とでも言うように顔を上に傾けている。AJは申し訳なさそうにゆっくりと身を乗り出し、タルーラに顔を近づけた。机がギギギとしなった。そしてあたかも秘密の話をするかのように小さく囁く。
「本名は?」
タルーラはAJを見つめ続けた。何も言わなかったが、しばらくして負けを認めるようにため息をつく。ふてくされた子供みたいに小さくつぶやいた。
「タイソン。タイソン・ハワード」
AJは満足そうにゆっくり離れ、身体を椅子にもたれかけさせた。手帳に素早く書き込む。
「わかりました。職業は?」
「ミュージシャン」
「その前は」
「歯磨き粉工場のマネージャー」
AJは資料に目を落とし、依頼人の情報と相違がないか照らし合わせた。大丈夫だ。
「ありがとうございます、では、タルーラ…」
タルーラは片眉をぴくりと動かした。
「あんたはいい人間っぽいね」
「そうかな」
「名前の重大さを知ってるみたい」
AJは肩をすくめて受け流し、ふたたび資料に目を落とした。
「歳は?」
「33。あんたは?」
「28です」
「若いわね」
「あなたも。」
「…それで?エディスの奴はなんて言ってんの」
タルーラは身を乗り出し、AJのファイルを覗き込もうとした。AJはゆっくりと資料を自分の方へ引いた。
「知る必要がない情報も入ってますから」
「いいよ。全部言って」
AJは資料をもう一度読むふりをしたが、実際のところ、読む必要はなかった。依頼人の発言の引用文には引っかかるところがあり、何度も目を通してしまったからだ。しかしいつまでも時間を稼いではいられない。AJは覚悟を決めて、息をふうっと吐いた。
「依頼人のエディスさんは、あなたとの離婚の際、親権を全てエディスさんへ受け渡すことを最優先条件にしてい」
「あのクソ野郎が!」
AJは気まずそうに咳払いをした。タルーラは気持ちを落ち着けようと、胸を押さえた。
「続けて」
「それから、今後一切、息子さんに接近させないようにと。理由は…えっと、理由は…」
タルーラは、資料を読む姿を舐めるようにじっと見つめた。AJは黙ってしまった。
「いいから。続けてよ」
AJは唾を飲み込んで、短く息を吸った。言葉を言葉と思わないようにして、ただ息を吐く。
「『夫は極めて重大な精神病にかかっており、その変態的な趣向および態度は、子息の健全な成長に極めて悪質な影響を与える』…と」
AJは早口で引用した。タルーラは安堵と困惑が混ざったように顔をゆがめ、椅子に座り直すと、小声でつぶやいた。
「なるほど」
2人はしばらく、何も言わずに机を見つめていた。
「アンガスはね、9歳になったばかりなんだ。いや…覚悟してたはずなんだけど…ひとり息子にこれから一生会えないほどの仕打ちって何だろ…私、そんなにひどい罪を犯したっけ?ね、シモンズさん」
AJは何も言えないもどかしさに、顔をこわばらせた。奥歯を噛み、こめかみが盛り上がる。
タルーラが立ち上がった。
「ちょっとひとりにさせて。私の言い分をまとめて来るから」

タルーラは角を曲がり、奥のトイレへと向かった。カウンターで議論を繰り広げていたコズモとドーの前を通りかかると、2人はタルーラに気づいて振り返った。

タルーラはドーのほうをちらりと見やり、目をそらす。ドーもタルーラを見上げる。タルーラがドーにもう一度目をやったとき、タルーラの目がみるみる大きくなった。

「…ヴィニー?」

ドーの酒に酔った、ニヤニヤした顔が一瞬で凍りついた。横にいたコズモは、空気の切れ目をしっかりと感じ取った。タルーラは自分の発言をうやむやにするかのように、手で目の前のもやを払う。
「ちょっと、何言ってんだろ。そんなわけないよね。というより私が言いたいのは」
涙でかすんでいた両目をサッとこすり、ドーの顔を覗き込むようにしゃがむと、ブレスレットがカラカラと乾いた音をたてた。
「もしかしてだけど、ヴィンセントの弟くんだったりする?」
ドーは何も言わなかった。落ち着きなく斜め下の床に目線を落とし、険しい表情でまばたきを必死に繰り返している。タルーラはその様子をじっと見つめた。予感が確信に変わる。
「やっぱりそうだ。どこかで生きてるとは思ってたけど…まさかここにいるとは」
「誰?」
ドーが言い放った。コズモが聞いた中で、一番細くて、冷たくて、力のない声だった。
「私、ヴィンセントの友達。よく家に来てた。会ったことあったでしょ」
ドーは目線をそらしたまま、ちいさく貧乏ゆすりを始めた。タルーラは答えを辛抱強く待った。ドーは顔を斜め下に向けたままで、無理やり片方だけの笑顔を作った。
「タルーラ・バルバ。お目にかかれて光栄だよ」
「ドー・ディア。どうも、こんにちは」
タルーラは親しみを込めて、悲しみを共有しようとするかのように、ドーの顔をもう一度覗き込んだ。しかし会話が全く進まないことを確認すると、あきらめて身体を戻した。
「電話線なら、ちゃんと繋げてあげたから」
そう言い残し、タルーラはそのままカウンターの向こうへ歩いていった。

ドーは足元を見て、目を見開いたまま、じっとその場を動かなかった。
コズモもカウンターの向こう側を見つめていた。

しばらく沈黙が続くと、ドーがおもむろに「アアア」と叫び出した。
コズモがびくっとすると、ドーはごめんというように笑い、殴られた右目のあざを手で抑えながら言った。
「右目の古傷が疼くぜ…イテテテ…ばい菌が入ったかもしれねえ」
ドーはせわしなく立ち上がると、ポケットからドル札を無造作に取り出した。
「ちょっと家に帰って看病しないと…自分を…ね…セルフケア…」
ドーはそのままコズモを見ることもなく、早足で角を曲がっていってしまった。
そして大声でマスターに「またな!」と言う声が聞こえ、バタンとドアが閉まる音がした。残されたコズモは、妙な空気に戸惑うことしかできなかった。机の上を見ると、20ドル札が3枚おいてある。酒を2杯頼んだだけにしては、明らかに高すぎる金額だった。

タルーラが戻って椅子に座ると、AJは何も言わず、相手が話し出すのを慎重に待った。タルーラの両目は真っ赤だったが、AJに見られていると気づき、両手で顔を覆った。ゆっくりと噛み砕くように言う。
「何かが起こる時って、重なるもんだよね…」
ふうっと大きなため息を吐き出すと、両手を顔から離し、ふたたびAJのほうを見た。
「私は結局、変化には対応できないみたい。解放することを考える。手放すことについて、歌おうと試みてる。でも結局のところ、何も失いたくない自分が泣いてるだけなのかもしれない。元々自分のために用意されていたわけじゃない、だけどラッキーなことに手に入った大事なものにしがみついてさ…」
タルーラは涙を拭き、真剣な気持ちをはぐらかすように肩をすくめた。

「ま、いいよ。仕方ない。このまま金を払ったあいつに味方すればいい。あんたは雇い主には逆らえないでしょ。私は私なりにうまくやるし、弁護士は立てないつもりだから。こっちの主張は、『やっと自分の本質と向き合った。あんた個人のためだけに手放さないし、街を出るつもりもない。息子に会わせろや』。これだけ伝えて」
「僕はあなたを尊敬しますよ」AJがつぶやく。タルーラはAJの目を見た。
「妥協のできない人が、成す人だと思いますから」
AJの言葉が冷やかしでないことを飲み込むと、タルーラは悲しそうに微笑んだ。
「そうね、あなたは『妥協の人』って感じの顔してるもんね」
AJは何も言わず、目の前のカクテルに手をのばした。タルーラが続ける。
「とにかく、話を聞いてくれてありがとう。思ったより嫌な体験じゃなかった」
AJは謙遜するように手を軽く振った。
「落ち着いた対応に感謝します」
2人は立ち上がって握手をした。
「今夜、スターウッドでショーをやるの。よかったら向こうの静かなお友達とうるさい友達と一緒に来てよ」
AJは資料をしまう手を止めた。
「あの…さっき言っていた『いろんなことが重なる』っての、僕のうるさい方の友達が急いで出ていったのと何か関係あります?」
タルーラはため息をついた。
「きっと思い出させちゃったんだろうな」
AJは意味がわからず、タルーラを見つめるだけだった。
「私、ヴィンセントの友達だったの。彼を運んだ」
「誰?」
タルーラは、信じられないというように目を見開いた。
「何も話してないんだね。そうか。まあしょせん他人だもんね」
AJは眉間にしわを寄せた。
「あの子の死んだ兄だよ。今日はあいつの誕生日なんだ」

タルーラは帰る前にもう一度、ショーに来てよ、と念を押した。本当に息子に『悪影響を及ぼす』かどうかは、メッセージを浴びてからぜひとも判断してほしいとのことだった。
タルーラが帰った後、AJとコズモはもう一杯酒を頼んだ。ドーのことを話し、彼について知っている情報を共有しあった。しばらく話した後、2人は一つの結論を導き出した。

ドーはあまりにもよく喋る。
みんなはあまりにもドーを知っている。
しかし周りはあまりにも、
ドーに「ついて」知らなすぎるということだ。

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