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「ひとり踊りのレッスン(Ordinary Dance) 」のステイトメント

 3月末から、私は家から出る必要がない生活を送っていました。それは幸運なことでもありました。ひとり家に籠る義務はないけれど、そうできてしまうからそうしていました。でも同時に、心身かき乱されるような状況から自分を守ろうとしているからなのか、日々を健全な生活という箱に詰めて、忘れ去っている感じもしていました。気がつけば私がひとり閉じこもっている部屋は、(トイレとキッチンとベッド以外は)自分の箱で埋め尽くされていて、すごく息苦しくなっているのかもしれない。
 そんな未来がぼんやりとみえて、この機会に、ひとりでいることに向き合い、日々を記録しながら、自分の生活から少し浮かび上がる方法を探してみることにしました。

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 3月末、Twitterのタイムライン上に自宅待機する人々に向けた振付を公開するNY Timesの記事が流れてきました。
 この振付を作った、イヴォンヌ・レイナーというダンサーがいます。記事にもあるように、彼女の代表作《Trio A》では、慣性的なエネルギーの流れを打ち切ったり麻痺させたりしながら、異なる動きを均等なエネルギーで結びつけて、偏りなく連続させています。その動きは、あたかも自然にみえると同時に、習慣化された運動に違和感(混乱)を生じさせるようでもあります。タイトルに添えた《Ordinary Dance》は彼女の1962年の作品で、反復的な身振りに、以下のような過去に住んでいた街についてなどの独白を重ねたそうです。

It began in 1934. I think it was November 1934. Or it was November 24, 1934? College Avenue was before my time. Geary Street. That's the impression I got. Yes. Geary Street with too much sun and windows open to the sea. No birth certificate. Then came the dark alley of 1914 and the empty elevated lot of Golden Gate Avenue…….

この作品の映像はみたことがないけれど、その記録から、生活の「流れ」とは違うリズムを挿入する踊りと言葉について考えてみたいと思いました(Youtubeで見た、彼女に影響を受けたというグザヴィエ・ル・ロワのパフォーマンスも刺激的でした)。

 そこでまず、それぞれの場所にいるチーム・チープロのメンバー2人で【「日常」を過ごす、写真をとる、選ぶ、Twitterに投稿する、そしてそれを繰り返す過程で手応えのあったことを身に着けてまた「日常」過ごす】ことを、日々を忘れないための記録として、かつ、日々から距離をとったり習慣化されそうな日々に違和感を生じさせるための行為としてはじめ、2ヶ月くらいつづけてきました。最初は写真だけの投稿だったのですが、途中から写真に言葉を添えて、Twitterに投稿しています。

 5月末。まだ何かが終わったり収束したりしているわけではないですが、段階的にまちが動きはじめました。そのことをうけて、記録をしてきた日々を振り返りながら、動き出すまちにどう参加していくことができるのか、そして「ひとり」とはなんなのか?(ひとり家にいても完全にひとりになることはなかったという感覚も含めて)そういうことを考えはじめています。その思考を、ひとりですごしていた日々を咀嚼しながら、踊りとして再構成し、noteに記してゆくことにします。

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 チーム・チープロは、近年、場所と踊りをテーマにしています。ある場所の記憶や歴史に触れる媒介として身体と、ある場所によって振り付けられる身体について。ここでの試みがそれとどのように関わっているのかはまだわかりませんが、異常な事態なのに / だからこそ求められている「日常」や「生活」を営む息苦しさそのもののなかで、家を中心とした限定された場所でひとり踊ることのレッスンを、これからもしばらく続けてみようと思います。

よければ覗きにきてください。

チーム・チープロ 松本ななこ
2020年6月6日時点

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