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#MeTooだけでは伝えられない働く女性の生きづらさ

#MeTooとは?セクハラがないから働きやすい?

日本語に直訳すると「私も」という意味。
それはその通りだが、ここでは2017年以降に起きた「私もセクシャルハラスメントを受けました」というSNS上で体験を共有する運動を指している。

今まで声を挙げられなかった被害者が、訴える機会ができたのは良いことだが、働く女性が直面する生きづらさは単なる「セクハラ」だけではない。

よほどの会社でなければ、おしりを触ったりする物理的なセクハラは絶滅危惧種だろう。でも、「物理的なセクハラがなければ働きやすいか?」と聞かれると、答えはNoだ。今日はそんな話をしたい。

※以下、ちょっと際どい話も含まれるが、特定の個人や団体を誹謗中傷する意図はない。青バラPJメンバーが実際に感じていることもあるが、青バラPJメンバーの友人知人が感じているものも含まれる。また、個人や団体の特定を避けるためにセリフやシチュエーションを多少変えている。

私は「女性社員さん」ではないのだ

ある人が言った。
「この作業は繊細な作業が含まれるから、女性であるあなたにお願いしたい」

個人として能力を買ってくれることは嬉しいし、光栄なことだ。ただしそれは「女性である私」が持っている能力ではない。「私」が持っている能力だ。これは極端な例ではあるが、その人の資質をその人自身ではなく、「女性」という1つのグループから生まれるものだと評価されることがある。これは良い評価もあれば、悪い評価もある。

特に、女性社員の数が少ない職場ではそうではないだろうか?また、女性社員の数が多くとも、男性と女性で(残念ながら自然と)働き方が異なる職場でも多く見られる傾向だろう。

一方で、これは女性だけが感じる違和感ではないだろう。男性も「力が必要な仕事だから、男性にお願いしたい」と言われることはあるはずだ。そして、それは同様の違和感をもたらす。

「彼女たちは頑張ってくれている」と言う上司が彼女たちから成長の機会を奪っている

ある企業で、従業員の能力向上のための調査をしていた時の話だ。

男性社員に対しては、上司から具体的な課題が見つかる。
「Aさん(男性)にはもっと自分の意見を持ってもらい」「Bさん(男性)には主張の証拠やエビデンスをもとに話してもらいたい」など成長を見据えて期待することがはっきり出てくるのだ。

一方で、Cさん(女性)に対しては「彼女は頑張ってくれている。課題はない」とのこと。他の女性社員に対しても同様だった。

なぜか?無意識のうちに、女性には期待していないからだ。

本人すら気づいていないが、無意識のうちに男性と女性を区別し、成長した姿に勝手に差をつけてしまっているのだ。

上司がそう考えてしまうことが、彼女たちに伝わり「私たちには期待されていないのだ」と思ってしまうのだ。

「いやいや、差別なんてしてないよ」と思う人へ

無意識に人間は思い込んでしまうのだ、たとえ悪意がなくとも。

無意識の思い込みを「アンコンシャスバイアス」と言う。アンコンシャスバイアスとは、誰かと接する時に「この人は○○だから△△だろう」「ふつう○○だろう」と推測し、自分なりに解釈することから生まれる思い込みを指す。これ自体が悪いものではないが、「無意識に思い込んでいるかもしれない」という前提で物事を捉えないと誤った判断をすることがある。

アンコンシャスバイアスを象徴する話としてこんなものがある。
あるオーケストラでは奏者の大半を男性が占めていた。音大を卒業する女性は多いにもかかわらず、だ。そこで疑問を持った楽団員たちは奏者になるためのオーディションを行う際、ある工夫を行った。
オーディションを行う際、演奏者と審査員の間にスクリーンを置き、ジェンダーをわからなくしたのだ。純粋に音だけで評価する。カーペットを敷いて、靴音もわからないようにする徹底ぶりだ。

すると、女性の合格率が飛躍的に向上した。1970年代には5%だった米国オーケストラの女性比率はその後も増え続けた。

では結局何がガンなのか?

特定の誰かが悪いわけではない。ただ、そういった生きづらさが生じやすい構造なのだ。青バラPJではそう考えている(社会課題の構造についての考え方の記事はこちら)。
一つ一つの事例に自分の経験をなぞらえて、涙をこらえて読んでくれた人もいるだろう。この構造を好転させたい。私たちはそう考えている。

そうやって、私たちは働く女性の生きづらさを解消しようと決意したのだ。


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