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コロナ禍という篩

先週、新型コロナウイルスワクチンの4回目接種を受けてきた。
今回のものはオミクロン株対応のものだった。

3回目まではかかりつけ、というか行き慣れた病院で接種を受けていたのだが、こちらの都合に合わせた予約が取れないため、今回は市の集団接種に申し込んで受けてきた。ちょうど都合のいい日に予約が取れたので。
一度、集団接種という形で受けてみたかったのもの、こちらを選んだ理由の一つだった。

ちなみに、今のところは一度も新型コロナウイルスには罹患していない。罹患したものの無症状のうちに治ってしまったことがある可能性も否定はできないが、そこはもうなかったと信じるしかない。
でも、遅かれ早かれいずれは自分も罹患するであろうと思っているので、その場合に備えてワクチン接種を受けることを選択している。

先日、昔からの知り合いにコロナ禍になってから初めて連絡してみた。
特別連絡する必要があったわけではなく、なんとなくそうしてみようという気になってのことだった。

かなり久しぶりの連絡になったので、またコロナが落ち着いたらお茶でも行こうと送ったのだが、帰ってきた文面が私の知っているその人とは随分とトーンが異なるものだったので、少なからずショックを受けた。

返信の中には、コロナワクチンを一度も受けていないという旨や、そのために外食には一切行っていないこと、コロナ禍のおかげで食事会などが開かれなくなって清々しているということも書かれていた。

ワクチンを接種するか否かはその人が自由に選択すれば良いことだが、文面というか文体の雰囲気から、他人との付き合いを(対面か否かに関わらず)拒む意志のようなものが感じられたので、「この人は、もう私が知っているあの人とは違うんだな」と思ってしまった。

つまり、「なんとなくそうしてみようという気になって」送ったメールにより、付き合いを見直す良いきっかけとなったわけだ。虫の知らせというか、こういうことが時々あるので「なんとなく」はスルーしないようにしている。

新型コロナウイルスはすでに第8波に突入していると言われている。
もうコロナ禍前の生活様式へ完全に戻れることは期待しない方が良いのかもと思いつつも、最高の打開策が生まれてくることにもわずかながら期待している。

ああ、旅行に行きたい。
友だちとカラオケで騒ぎまくりたい。


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