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戦争を体験した人の話を思い出す。

中学生の時夏休みの宿題の一つに、戦争についてレポートを書くという課題があったことを最近思い出しました。

実家でそのレポートは破棄してしまったかもしれませんが、祖母に戦争下での生活を聞いたことが戦争に関する資料を調べたことよりも印象に残っています。

終戦した時
祖母は小学生でした。
祖母は健在ですが、昔からよく「今は天国みたいだ。」とよく言っていました。
不便な生活からどんどん便利になり、手に入らないものは無い世の中になったと。

確かに現代は便利で物に溢れていると思います。

ただ人々は豊かになったのかと言われたら、みんながそうでは無いのかなとも思います。

祖母の在所は農家の家庭でしたので、戦時下でも飢えに苦しむことは無かったそうです。

お蚕さんを育てて糸も家で作っていた。
和裁を学んで着物も作っていた。
お米も育てていた。
野菜も育てていた。

時代の変化があるし、両親を責めるつもりは全くありませんが、祖母が持っているスキルはたった一つの世代を跨いだだけで失われてしまったのだなと思った瞬間でした。
私は蚕を触ったことさえなく、和裁のわの字も知らない、田植えをしたこともなく、葉っぱを見てほとんどは何の野菜なのかも判別できないでしょう。
私は祖母が生き延びるために身につけたどのスキルも受け継いでおらず、お金で物を買うことに完全に頼らなければならない人間に育ってしまいました。
収入が絶えることなく、お金に困らずに育ててくれた父には本当に感謝しています。
自分のやりたいことはいつも応援してくれる母がいて、いつでも帰れる家があるのだという安心感の下生活できていることに本当に感謝しています。

ただ物理的に豊かになるごとに、それを維持することにお金を使い、またより物欲が増してそのためにお金を使う。

そんな生活になっていたのかなとここ数年でようやく考えるようになりました。

お金のこと以外でも
人が好き
でも人のことが怖い

そう思うことが増えていたけれど、
そんな不安から引き戻してくれたのは祖母との会話でした。

祖母は昔の生活について、
「現金は無かったけれど、自分の家で生み出したもので物々交換をし、必要なものを手に入れることができた。」
「一時疎開しなければならないこともあったけれど、両親兄弟姉妹もいて、人との繋がりにも恵まれていた。」
と言っていました。

本当に豊かな生活ってこういうことなのかな、と祖母の言葉を噛みしめています。

2年前に家庭菜園を始めてから、
「ケールは寒さにも暑さにも強い野菜だな〜!」
とか
「マスタードの葉っぱはこんな紫色だったんだ!」
とか
そんな些細な発見の毎日で、毎年種を植えるのが楽しみになっています。

スーパーで買ったじゃがいもを実験的に春に土に埋めたら、夏にはどんどん育って1つのじゃがいもから10個近くに増えた時には、投資でお金が増えることよりも嬉しく感動しました。(私がプロの投資家だったらお金が増えることに感動を見出していたかもしれませんが。)
そんなエピソードを家族と共有し、採れた野菜を一緒に食べることが本当に楽しいです。

どんな状況になっても心は豊かでいたい。

そのために必要なことに時間をかけていきたいです。


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