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3.2.1. 茶会で使う道具を巡って

コント「茶会」

「茶道団体」を主宰するインフォーマントからは,茶会の参加者側と主催者側の意見の両方が伺えた。

まずは参加者の視点から,インフォーマントには現行の茶道がどのように映っているのかを尋ねた。


以下は,筆者が参加したある茶会の話題を出したときの,洋平さんの発言である。

(茶会の参加者が)あそこまで頑なに(流派の)型を守ろうとするばかりに,みんな空回っていて何も中身のないことが繰り広げられる。
みんな綺麗に着物着てさ。完全にコントだよ。
あれはもう,ちょっと腹立たしいとかじゃなくて,逆に面白い。
この人たち本気なんだ,って。


何が茶会を残念なことにしてしまうのか

「茶道団体」の代表者である智子さん(30代後半,女性)は,まず茶会で用いられる道具に言及した。

ある流派を例に挙げ,「家元が指定した道具をどんどん買わされて,桜の絵がポヤーっと描いてあってボワーっとしたなんか新品のダサい道具とかが多い」と語る。

この発言は,いかにも初心者が使うような,稽古用と見紛う道具を茶会で使っていることがダサい,ということを示唆している。


また,「全部家元の書いた軸でさ」という発言からも,茶会の主催者自身のこだわりが見られないことを問題視していることが伺える。

だからこそ,自身が主催する「茶道団体」の茶会では,自らの美意識に沿った道具を使うようになるのだろう。


「スーパー茶道具」の茶会

稽古用の道具と対象的な位置にあるのは,歴史的に「名物」と呼ばれる茶道具である。
名物と呼ばれる茶道具の多くは,名家に代々受け継がれてきた伝来の強さを持ち,高額であるか,もしくは値段がつかない。


歴史に裏付けられた名物を,「スーパー道具」と表現したのは洋平さんだ。

光悦会 [注8] とか遠州忌 [注9] といった,名物道具が多く用いられる茶会では,多少お金を惜しまずに道具を見に行くと彼は話していた。
それは,なぜその道具が褒め称えられてきたのか,「400年間,450年間の歴史」を勉強するためだと語る。

亭主に関しては多少不満を零していたが,「光悦会3万5000円,遠州忌3万円。まぁ,安いものだと思って」道具を触りにいくと説明した。

しかし,そういった高額な茶会から「学んでちゃんと今の形に活かせばいい」と話しており,自分の茶会に活かすという発想で茶会に参加している点は触れておきたい。


他人の道具への違和感を活かす

智子さんや洋平さんに共通しているのは,他人の使う茶道具を見て,自分の美的感覚を確立させている点である。

何より,他の茶会で見た茶道具や形式,そこで示されている美意識を正解として受け取るのではなく,そこで感じた違和感を自らの茶会で活かしている。

これらは,「お稽古止まり [注10] 」ではない,自ら茶会を催す茶道修練者全体に共通する特徴なのだろうか。

もう一つの例も見ていこう。


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[注8] 本阿弥光悦を偲ぶために始まった京都の代表的な茶会の一つ。
[注9] 遠州流という流派の祖である小堀遠州の遺徳を顕彰するための茶会。
[注10] 茶道教室に通うに留まる大半の茶道修練者(=生徒)は,茶会を自ら催す茶道修練者から「お稽古止まり」と表現されることが多々ある。

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