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1.2. 研究の動機と意義

「なぜ茶道教室に通うのか」?

学術研究上では,「茶道論」──「お茶(の価値)とは何か」という問いに答える試み──の変遷〔熊倉 1999〕を追う形で,「なぜ茶道をするのか」という問いが幾度となく為されてきた。

しかし江戸時代からは家元制が茶道の本流になり,特に稽古事としての茶道が一般層に爆発的に普及した戦後からは,この「なぜ茶道をするのか」という問いは,「なぜ人々は茶道教室という世界に入り込んだのか」という質問の域を出ていない。


先行研究では,茶道を嗜む人のことを全て「茶道修練者(tea ceremony practitioner)」と総称している。
これも茶道を「修練(practice)」している人を想定しており,教室のような修練の場における人々を指すための用語である。

茶道を嗜む人々を研究対象にする際は,茶道教室の先生やその生徒を対象にするのは当然の流れであった。


教室に通いながらの「茶道団体」

このように描写すると,「茶道団体」の構成員は茶道教室に通っていないような印象を与えるかもしれない。

実際は,本稿に登場するほぼ全員が茶道教室に所属しており,現在所属していない人々も,過去には茶道教室に通っていた。
この事実が,「茶道教室とそれ以外」といった単純な区分を許さず,この議論を複雑にしている。

すなわち,定義としてはみな茶道修練者と表現して差し支えない。
しかし茶道教室に通うに留まる大多数の茶道修練者と区別するため,本稿の主要なインフォーマントは,「茶道団体」もしくはその代表者や主宰者といった表現で描写していく。


本稿における「お茶」と「茶道」

また,本稿では便宜上,茶道教室で教授されている教授内容と,それに基づいて抹茶をいただく一連の行為を「茶道」,本稿の主要なインフォーマントの行為を「お茶」と呼び区別する。

これは茶道教室(流派)とインフォーマントの行為を,意図的に書き分けているからだ。

インフォーマントの行為が茶道教室の教授内容から逸脱していないのであれば,「茶道」と「お茶」の指し示す内容は重なりうる。
そのとき,二者を区別する必要はない。


茶道教室の外にも「お茶」は在る

本稿で為される試みのうちの一つは,これまで学術研究のトピックとしては看過されてきた一部の茶道修練者,すなわち茶道教室以外の空間でも「お茶」をする人々を取り上げることである。

彼らが「伝統」と対比され周縁的とされる理由と,そのように作用する茶道界の様相を明らかにすることが本稿の目的である。

それはそのまま,茶道教室のみを研究対象として扱い,現在の茶道界における構造を再生産し続けてきた,茶道(修練者)研究へ呈したい疑問である。

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