見出し画像

スペシャリストと匠と歳時記と


現代の茶人を見た。あの人たちは物珍しさと最先端とお茶の概念を根本から覆すということで
やってるわけでしょ。言葉が巧みで情緒がなくどちらかというと歌会始か、連歌か源氏香の方が相応しいと思った。

季節感がないのだ。ああ空蝉、それもよかろう。立派な華道、型破りなのだろう。ただ彼らは遊興であって
悠久の時を醸し出せないという弱点がある。三島由紀夫が『金閣寺』で綴った鳳凰の表現が正にそれだ。
以下抜粋する。

ー私はまた、その屋根の頂に、永い歳月を風雨にさらされてきた金銅の鳳凰を思った。
この神秘的な金いろの鳥は、時もつくらず、羽ばたきもせず、自分が鳥であることを忘れてしまってるにちがいなかった。
しかしそれが飛ばないようにみえるのはまちがいだ。
ほかの鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠に、時間のなかを飛んでいるのだ。

武野紹鴎、公家でなくとも数奇者の大茶人はいたはずだ。

ここから先は

582字

¥ 200

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?