授業に役立たない「スイミー」の考察
小学校2年の国語教科書の常連、レオ・レオ二作の「スイミー」。
スイミーってね、当時の国際情勢と絡めて読むとすごいんです。
でも、すごいのに、小学校2年生じゃ、当時の国際情勢なんて分からんのです。というわけで、授業じゃ全然使えない、教科の研究会で教員相手にドヤれる程度の無駄知識を披露します。
「スイミー」の発表は1963年です。
これ以前に、世界がどういう状況だったかというと、
・1955年 ワルシャワ条約機構が成立。東西冷戦が激しくなっていく。
・1956年 ハンガリー動乱。ハンガリーのデモをソ連が武力鎮圧。
・1961年 ベルリンの壁建設。
ベトナム戦争、アメリカの介入が本格化。
・1962年 キューバ危機。世界が核戦争の瀬戸際に。
とまあ、かなり雲行き怪しい時代です。
レオ・レオニはオランダ出身で若いときはイタリアで生活、戦時中はアメリカに亡命し、1962年から再びイタリアに渡っています。
戦時中にファシスト政権があったことから離れながらも、再びイタリアにもどり、終生過ごしたということはよほどイタリアの水が合っていたんでしょう。ハンガリーはイタリアに比較的近い国です。ハンガリー動乱当時アメリカにいながらも、レオ・レオ二は東側勢力の脅威を間近に感じていたのではないでしょうか。
そこで、「スイミー」の話の筋ですよ。
みんなで協力して恐ろしいマグロを追い払う。
・・・NATO?集団的自衛権?
・・・ソ連にみんなで協力して対抗しましょうってメッセージ?
いやいや、子供相手の絵本で、そんなメッセージこめないでしょ?と思うかもしれません。
でも、ソ連脅威論は別としても、レオ・レオニは絶対軍事情勢に関心を持っていたと思うし、「スイミー」内の別の部分でそういう表現を使っているのです。
それがこちらの一節。
「ある日、おそろしい まぐろが、 おなかを すかせて、 すごいはやさで ミサイル みたいに つっこんで きた。」
考えてみてください。なぜまぐろは「ミサイル」みたいなのでしょう?
「ロケット」とかじゃダメなんでしょうか?
軍事技術に明るくない人にも分かるようにざっと説明すると、
ロケットは狙った、あるいはプログラムした場所へ飛んでいくもので、その目的地に向かって、一直線に向かっていきます。
それに対しミサイルは、目標物に合わせて、方向修正しながら追跡していきます。
そう、ロケットはよけたら何とかなるかもしれない。でも、ミサイルはよけても逃げても追いかけてくるんです。
どうですか?
まぐろの動きのイメージが「ロケット」と「ミサイル」で、全然違ってきませんか?
ミサイルが初めて実戦で使用されたのは1958年の第2次台湾海峡危機で、台湾空軍のF86戦闘機がアメリカ製のサイドワインダーミサイルで人民解放軍のMIG17を撃墜しています。ベトナム戦争中もミサイルが使用され、スイミーを構想、執筆していたと思われる1950年代末から1960年代初頭は、ミサイルというものの認知度が一般にも広がっていった時代だったのです。
このように、「スイミー」は単純に友情・団結・勝利の物語ではなく、当時の国際情勢や軍事情勢をとらえた、発表時にはすごくタイムリーで、大人も深みを感じる物語だったといえるのです。
とはいえ、スイミーが海のすばらしさを賛美していること、まぐろを追い出すために暴力に訴えたわけではないことは、やはり子供向けの視点や子供への思い・願いも、しっかり表れているな、と思います。