見出し画像

教育系学会の真実😫2

前回は教育系の学会自体がどういうことをしているかという実態をお伝えしました。今度は論文の「査読」についてもお話します。

1)名誉教授って?
いろんな大学には「名誉教授」なる肩書きがあります。自分が不勉強かも知れないのですが、名誉教授で自分が納得しているのは2人だけです。

他の名誉教授、特に教員養成で専門分野として授業論や生徒指導、学級経営論、教師論である人ほど信用できませんこれらは全て「実践者が経験で得ること」であって、観察等でわかることではありません。
2)教育方法学の残念な真実
ちなみに教育方法学に関する論文は極論すれば観察及び過去の論文の組み合わせです。故に大小に関わらず主観が入ります。つまり「事実でない」ことが「論文」として執筆されるのです。
現在でも「モンテッソーリ教育」を掲げ、教育するところがあります。つまりそれ以降、よい教育方法はないということになります。
これは教科教育においても同じです。自分が授業をせず、研究共同者として実践者がいない論文ほど信用できません。見ていただくとわかるのですが、実践者が共同研究者として名前が上がる論文はほとんどありません。つまり、実践でなく「実験」なのです。
3)論文の「査読」のレフリーの度胸
さて基本、論文は「査読審査」を経て、審査を通って初めて多数の人の目に届きますが残念ながら保守的というしかありません。
論文1本がある学会で査読審査に回りましたが審査に落ちました。これは他の理由もあるのでよいのです。
ただ論文内容は「脳科学で証明された記憶の仕組み」をもとにした授業構成でした。勿論、実践し学力調査の結果や子どものアンケートから有効なことが明らかになりました。
しかしレフリー2人に共通したことは
「教育が経験則から成り立っているという根拠を誰がいっているのか、参考文献がない」
「教育における科学とは何かという定義がない」
極論すると
記憶の仕組み=脳科学で立証されていますが、それは教育の根拠にならない
ということでした。
学会は今後の教育へ下支えできる団体になるのでしょうか。不安が募るばかりです。また査読のレフリーには新規開拓を認める度胸がほしいものです。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?