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これからの教師〜授業観〜

これからの教師第二弾として「授業観」を提案しようと思う。

前提として、授業の歴史

①これまでは一斉授業

一斉授業は19世紀の英国にまで遡る。

ギャラリー方式の授業(ハミルトン『学校教育の理論に向けて』より)

学制が150年前に敷かれそこからあまり変わっていない日本の教育。

美里町立不動堂小学校 150年の学校の歴史より

 そもそも一斉授業のメリットは、一人の教師で(少ない労働力)で大人数の子どもに教育を得られるという点である。学校というものがどのように始まったのかは、この本を読むとよくわかる。(教員採用試験で勉強した哲学者などが登場するので少し懐かしい気持ちになる笑)

②これからもとめられる自由進度学習?

今、主流?になりつつある?(こうなって欲しいという社会の動きがあるだけなのかもしれないが・・・)ここは本題ではないので割愛します。

中央教育審議会が2021年1月に出した答申、「令和の日本型学校教育の構築を目指して」で示された「個別最適な学び」と「協働的な学び」を実現する先行的な実践として注目されている学習スタイルの1つが自由進度学習です。自由進度学習は、教師が計画する学習内容のフレーム内で、子ども一人一人が課題を自己決定し、計画を立てて自分の学習速度で進め、その過程で友達と相互に作用しながら学びを深めていくことを目指したものです。

https://kyoiku.sho.jp/239588/「みんなの教育技術」


つまるところ 提案①「指導観」

先生ではあるが、教師でもあるべき

 私は、今回一斉授業が良いのか、そうでない方がいいのかを議論したいわけではない。つまるところ、社会が求める教師の見方が以下のように変わりつつあるのではないだろうか。

これまでの教師

「わかりやすい」授業
「問題を起こさない」生徒指導
「しっかり者」の先生

これからの教師

「わくわく」する授業
「共に解決できる」生徒指導
「自然体で人間らしい」先生

 これまでは、成績が伸ばせられれば良い、問題を起こさなければ良い、しっかりした人=先生のような、聖人君主のような教師を社会が求めた。その結果、教師は肩身狭く、自分のクラスの成績を優先し「答えを見せる」「テストを二回する」のようなズルをした。さも問題が起きていないよう隠蔽する、体罰で黙らせることをした。
 だが、これからは先生にも多様性があって良い。その人らしい人となりで先生(先を生きる人)をすれば良い。そして教師(教える専門の技術を持っている人)でもある。その教える技術は常に磨いていかなければならない。昔の技術だけでやっていける医師なんていないのだから。

提案②「教材観」

「教材はこれまで通りで良いのか。」

そんなことも踏まえ、ふと思ったことがある。この前職員室で・・・
ベテラン許員「来年の先生に使えるようにデータ残しとくね。」

 このデータは、来年の先生が授業で使えるデータである。一斉授業で子どもたちに示すためのスライドであったり、一斉授業で使えるワークシートだったりである。(こんなことに反応してしまう自分も嫌になるのだが・・・)

 我々教師が子どもたちに作ってきたワークシートやスライドなどのデータは、このままで良いのだろうか。
もっと、子どもを主語に置いた、
子どもがそれを見てできる、わかる教材を作る必要があるのではないだろうか。

そうなってくると、授業を10分ぐらいで短くまとめた動画や、要点をまとめたスライドがこれからの教材として重要になってくる。だが、そういった教材は私は作る必要はないと考える。そんなものは、NHK for School様にお願いすれば良い。

 私たちがしなければならないのは、子どもたちにゴールを示し、そこまでに導くためのプロセスを計画する。いわゆる学習計画を共に立てることではないだろうか。特に小学校は、経験不足な子どもたちに様々な経験を(特に体験)をさせてあげ、(それが一斉授業だろうが自由進度学習であろうが)いろいろなことに興味を持たせてあげる。そんなワクワクのある授業をすることが大切だと考える。少なくとも私は、子どもたちの

記憶に残る授業

をしてあげたい。

今日はここまで。


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