小学生の時に他人から羨ましいと思われていた事は、実は辛い事だった。
小学生の頃、メガネを掛けている同級生がかっこ良く見えた。
私は視力が良すぎるためメガネとは縁のない幼少期を過ごした。
メガネを掛けているその子は『重いし、耳痛くなるよ、外したら何にも見えないし』という。
メガネを掛けたことのない私はメガネを掛けている辛さを知らないから『へぇーそうなんだぁ。でもメガネかっこいい』と思っていた。
母親にメガネを買って欲しいとねだったこともある。
特殊な布でメガネ拭きをしているのも、メガネケースを持っているのも羨ましかった。
それくらい幼かった私にメガネを掛けるという行為はかっこ良く見えた。
メガネを掛けている同級生は選ばれし人間なのだとずっとそう思っていたのだ。
その他にも羨ましいや、かっこいいなと思ったことがある。
手術をして教室に戻ってきた同級生や、親の都合で転校を繰り返す同級生、クラスになじめなくて特別教室に向かう同級生。
心底羨ましいと思っていた。
この人たちは特別なんだと。
本人達にとっては物凄く辛い経験だったのだろう。
幼い身体で手術に耐え続ける子。
せっかく仲良くなったのに転校しなくちゃならない子。
いじめを受けているわけではなくても孤独感を感じてしまって教室に入れない子。
目が悪いからメガネを掛けるけどその影響で頭痛に悩まされている子。
特別と言えば特別なのかもしれない。
けれども、その特別は必ずしも幸せだとは言い切れなかった。
年齢を重ねてからは表面上のことではなく、『どうしてそうなってしまったのか』の部分を考えることが出来るようになったが、幼かった私にはその同級生達を『特別』とか『かっこいい』などと、他の同級生達とは違う表面上のことでしか捉えることが出来ていなかった。
私の旦那は幼い頃に私が羨ましいと思っていた4つの事の2つ当てはまっている。
小学生か中学生の頃にメガネをかけ始め、幼い頃から転勤族だった。
転校を繰り返す度に、今までの友達と離れて知らない土地に住むことが毎度毎度悲しかったと言っていた。
また、『自分の実家ってどこなのか分からない』と言っていた。
家は建てていたのだが、そこに住むことはなかったのだそうだ。
「実家と言えば実家になるのかなぁ。戸籍もその場所だけど『実家に帰ってきた』という気持ちになることは一生ないんだろうね。」とつぶやいた。
幼い頃に感じた寂しかった気持ちは大人になってからも残ったままなのだなと感じた。
私自身、幼い頃に感じた『悲しい気持ち』は今も思い出す。
旦那は私にこう言った。
『僕たちの子どもが出来たらさ、転勤の多い仕事だけど僕が家から通えるように頑張るよ。転校したり、親が近くに居ないっていう寂しい思いをさせたくない。子どもから友達を奪いたくない』って。
あぁ。こんなにも私が心底羨ましいと思っていた事が、実は悲しい事なのだと言うことを愛する人の口から聞いて初めて心の底から理解した。
HAKU
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