ミカンの皮をむいて、私は一皮むけたのかもしれない
最初に断っておきますが、YouTubeにあがっているような面白いむき方を意識的にやるのではなく、あくまで無意識的にむく場合の話です。
いわゆる、コタツに入ってみんなで団らんしながらおもむろにミカンを食べる、みたいなとき。
私が今までに遭遇した「むき方」はおもに2つ。
1つめはフラワー系。
ミカンのヘタあるいはお尻から放射線状に皮をむいていく、おそらく一般的かつメジャーなむき方です。
そして2つめ、ワイルド系。
侍が刀を振り下ろしたかのような真っ二つに割るむき方・・・いや割り方です。
さて、ここからが本題ですが、私はフラワー系でもワイルド系でもないむき方でミカンをむいています。
それはリンゴ系です。
例えばこんなシチュエーション。
病室などで入院している彼氏が「リンゴが食べたいな」と言います。優しい彼女は「じゃ、むくね」と包丁でリンゴをむき始めます。
リンゴは彼女の手の中でゆっくりと回り、皮がくるくると螺旋状に垂れ下がっていきますが、私は包丁を使うことなく、ミカンをまるでリンゴをむくかのようにむきあげるのです。が・・・
「そのむき方、おかしくね?」
高校一年生の冬、家に遊びに来た友人とミカンを食べていた時のこの指摘によって、私は生まれて初めてミカンの皮のむき方が人とは少し違っていることに気づきました。
なぜもっと早く気づけなかったのか、それは単に家族以外とミカンを食べる機会がなかっただけなのですが、こういうことって環境次第でよくあることなんだろうな、と思います。
自分では当たり前だと思っていたことが当たり前ではない。つまり、常識が非常識になることもあれば、非常識が常識だったということもあり得る。
まんが日本むかしばなしに出てくるような田舎育ちの私ですが、東京に出てきたことで田舎と都会の常識の違いを知ることとなり、それぞれのメリットやデメリットを知っていることが今や生きる上での知恵に繋がっている気がします。
ミカンを一皮むいたことで私自身も一皮むけた、かも。そんなお話でした。
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