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うたた寝から目覚めたとき、私の身に大変なことが起きていた

 
先日、休みの午後。

私は部屋でちょっとした作業をしたのち、ついベッドに横になり、うたた寝をしてしまった。その時間、約30分。

フッと目が覚めた時、夢うつつのなかで何か音が鳴っていたような気がした。私はおもむろにスマホを手にした。

noteからのお知らせだった。
 
時間的に、一日一回届く「noteからのおすすめ記事」ではない。ということはおそらくnoterさん(note登録者さん)が「スキ」してくれた合図だ。
 
私の記事にスキしてくれたのはどんな方だろう・・・私はnoteを開いた。すると、いきなり8個ほどのスキがついていた。
 
「えっ!?」
 
noteを始めて約10か月、そんなに一気にスキがつくことなど今まで一度もなかった。もともと、私の記事はそれほど読まれてもいなければ、スキもかなり少ない。ただ、私はそのことに対して特に不満はなかった。
 
私にとってのnoteは、とにかく自分が書きたいように書くことを目的としている「下手の横好き」的な趣味であり、例えるなら、コーヒー好きな人が、ほとんど誰も来ないような森の中で小さなカフェをやっているようなもの。
 
来客は一日数人、多い時でもせいぜい10~20人程度ではあるけれど、だからこそ来てくれたお客さん一人ひとりに対しては、コーヒー(記事)の味はどうあれ、ゆっくりしていってもらえたらいいな、そんな感じでnoteに参加していた。
 
誰かのためにでなく、自分のために。自分のためだけに書く。
 
アクセス数を伸ばすための努力も、スキをもらうための戦略のようなものも、その一切に頓着とんちゃくすることなく、ただ黙々と自分が書きたいように書いていた。
 
ゆえに私のnote記事は、まるで小さな村の小学校の学級新聞並みの規模感で、クラスの中だけで読まれるようなものであり、日々、大きな出来事が起こるわけではない、平和で穏やかな場所として存在していた。
 
そんな平穏な村の小学校で突如起こった「連続スキ事件」。それも「うたた寝して起きたら、いきなり起きていた」という、まるでキツネにつままれたような話。
 
ただ・・・肌感覚としては、
書き続けていると、こんなこともあるんだな
最初はそんな軽い受け止めだった。言っても、その時点ではまだ「スキ」は10ぐらいだったから。
 
私はその連続スキ事件を微笑ましく思う一方で、わざわざ私の記事を読んでくれて、さらにスキまでつけてくれた方々にささやかながらお礼を伝えるべく、「スキ返し」をしようと記事を読み始めた。そして、何かしらの琴線に触れた記事に対して、一人ひとりに「スキのお返し」をしていたのだが・・・
 
なんだかちょっと私のスマホが騒がしい。いつもは物静かで控えめなスマホなのに、さっきから数分に一回ぐらいのタイミングで何やら通知が来るのだ。
 
気になった私は一旦、読んでいたページを閉じて、改めてnoteを開いた。するとまたいくつか「スキ」のお知らせが届いていた。確認するとスキが20に到達しようとしていた───
 
書いたnote記事に対して常に数十、あるいは数百のスキが瞬く間に集まる方からすれば、10や20のスキに驚きはないかもしれないけれど、毎記事せいぜい数個のスキ、な私からすれば、24時間以内に10以上のスキがつくことなど、初めての経験である。
 
私は、喜びよりまず「何で?」と思った。
 
問題の記事は、アラフィフおじさんこと私teaまるおのイタめな勘違い&お恥ずかしい話である。 ⇩ ⇩ ⇩

もちろん、頑張って書いたし、それなりに愛着はある。しかし、いつも書いている、スキが数個つくかつかないかの記事との大きな違いが、正直わからない。
 
何がどうなっていつもより明らかに速いペースで「スキ」がついているのか?

きっと何か理由があるはず。私はその謎を解きたくなった・・・が、その謎は一瞬にして解けた。というより、それは謎でも何でもなかった。
 
一番最初にnoteからの通知を見たとき、私は複数の方からの「スキのお知らせ」に気をとられてしまい、その直前に届いていたお知らせを見落としていた。そこには、いつもとは違う、こんな文言があった。
 
マガジン追加のお知らせ
 
同時刻に、そのマガジン追加のお知らせというのが二つ届いていた。一つはnote編集部さんからの「今日の注目記事」に追加されました。そしてもう一つも同じくnote編集部さんからの「#エッセイ記事まとめ」への追加。私の書いた記事がその二つに追加された、という通知だった。
 
「なんだ、そういうことか」
 
私は納得した。事件を解決しようと、少し探偵気分になっていたことは置いとくとして、なんかちょっと得した気分である。
 
だって、note編集部さんが私の記事を紹介してくれているのだから、こんなありがたいことはない。それもかなり目につく場所で。私の記事の出来はどうあれ、素直に嬉しかった。
 
それに、そんなに目立つ場所に掲載してもらえるなら、いつもより多くの人に読んでもらえるかもしれない。ってことは、もしかしたら初めてスキが50を超えるかも! と、そんな能天気な期待を抱いたのも束の間───
 
結果的にはその後どんどん通知が届き、スキは50を超えて100を超え、まさかの150を超えた───私にとって、ホントに大事件となった。
 
翌朝、その記事へのアクセス数を見た時、一瞬、私の頭かnoteのアプリがバグったのかと思った。通常のアクセス数の10倍どころか100倍以上だったのだ。凄くビックリした。
 
noteで紹介されることで、こんなとんでもない事態になるなんて、ただただ愚直に記事を書いていただけの私からしたら宝くじに当選したようなもの。その「スキ祭り」は数日続き、やがてゆっくりと収束していった。
 
そして今、私のnoteは事件前の森の中のカフェ生活に戻りつつあるが、今回の出来事を経験し、私は思った。
 
それまでは、フォロワーやスキの数はそれほど気にしていなかった。その言葉は嘘ではないし、そもそもが、自分の気持ちを整理したり、落ち着かせたり、そして自分の中にある文章に対する苦手意識を克服するために、私はnoteで記事を書いていた。
 
けれど、実際にこうして本当にたくさんのスキを貰うと、とても嬉しいし、素直にありがたい。スキやフォロワーの数は気にしないと言いながらも、実際にたくさんの人がスキだと言ってくれて、フォロワーになってくれると、なんか自分が必要とされている気になる。やはり、人は本能的に誰かに認められることや、誰かに必要とされることを求めているのかもしれない。
 
連続スキ事件のさなか、私はスキをくれた方々全員のところを訪問させていたたいたが、そこにはいろんな方がいた。年齢も職業もさまざまなnoterの方々が書いたものを読ませてもらうことで、たくさんの「気づき」を貰った。
 
楽しかったことや嬉しかったことだけではなく、悲しかったことや辛かったことをエッセイとして表現していたり、さまざまな感情の発露はつろとして小説や詩などを生み出していたり、誰かの役に立つであろう情報を惜しみなくつまびらかにしていたり。
 
人が違えば同じ作品はない、そんな当たり前のことを頭ではなく肌で感じながら、noteという場での人と人、文字と文字の優しいふれあいに感謝するとともに、この場所が存在する意義が少しだけわかった気がした。
 
みんな生きている。
いろんなものを、いろんなことを抱え、人は生きている。

そして人は一人ではなく、人と人の間で生きてこそ、人間なのかもしれない、改めてそう思った。
 
私自身、今後も森の中の小さなカフェで、好きなコーヒーを淹れてお客さんを待つように、自由気ままに記事を書く。その姿勢に変わりはないかもしれないけれど、たまには街に出て、いろんなお店(みなさんの記事)をウインドウショッピングしてみようと思う。
 
こちらから「スキ」という差し入れを持って、「来たよ!」と見知らぬ店や家に行ったり、知らない人たちがたくさん集まって盛り上がっている場所に入っていくのはやはり少し苦手だが、もし、noteの片隅の目立たない片田舎の森の中にある私の小さなカフェに、「スキ」という差し入れを持って、遠路はるばるやってきてくれる方がおられるのなら、いつだって大歓迎だ。
 
私は今後もこの森の中の小さなカフェで、teaまるおという店名を変えることなく、できるだけおいしいコーヒー(記事)を淹れてお客さんを待っている。
 
そしてお店に来てくれたお客さんには、BGMがわりにこの「連続スキ事件」を面白おかしく、語って聞かせたいと思う。


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