見出し画像

生まれて初めてメガネを買った私、その姿を見た友人が私に放ったひと言

 
私は幼少期からずっと視力がいい。学校の視力検査ではずっと両目1.5をキープし続け、大人になってからも裸眼のままで視界は良好。そのため、メガネをかける必要がなかった。がしかし・・・
 
実はひそかに憧れていた。
メガネをかけることに。
 
頭が良さそうに見えるし、もしかしたらなんかビミョーな私でも少しぐらいはカッコよく見えるかも、などといった淡い期待を抱いたりしていたからだ。
 
日常的にメガネをしなければならない人からすれば、極めてワガママで贅沢な願望なのだが、そこはまさにないものねだり。
 
ただ・・・メガネをかけたいという私の願望は、実はあっさり叶うこともわかってはいた。だって「伊達メガネ」か「サングラス」をすればいいだけだから。
 
しかし、私にとってその伊達メガネやサングラスはかなりハードルが高いものだった。なぜなら、伊達メガネやサングラスはイケてる人がするもの、私はずっとそんなふうに思っていたからだ。
 
想像してみて欲しい。
イケてる人の伊達メガネやサングラスはとてもカッコいい。
 
けれど、私のようなイケてない人が伊達メガネやサングラスをしていたら「あいつ、なにカッコつけてんの?」「ちょっと勘違いしてない?」みたいに思われかねない。特にサングラスはそのイカつい見た目のため、ハードルどころか棒高跳びぐらいのバーの高さで私の前に立ちはだかっていた。
 
きっと、何の変哲もないごくごく普通な私が伊達メガネをしようがサングラスをかけようが、世間の人からすればどうだっていいことだろう。そもそも私のことなど絶対に誰も見ていない。なのに、私にちょっとイタい自意識や恥じらいがあるばっかりに、どうしても人の目が気になってしまう。
 
あの人は、私の伊達メガネ姿を見て笑ってるんじゃないか?
あの人は、私の似合わないサングラス姿を見てフリーズしてる??
そんな妄想が果てしなく膨らんでいく。
 
そう思い続けて数十年。
私はいつの間にかアラフィフになっていた。
 
伊達メガネもサングラスも、きっと私には一生縁がないものなのだ・・・そう思って諦めていたそんな時、あるネット記事を目にした。
 
それは、紫外線から目だけでなく肌を守るためにサングラスをしましょう、というもの。そして、なんと最近では色のついていないサングラスがあるとのこと。いわゆるUVカットのクリアレンズ(透明レンズ)のサングラスである。
 
サングラスなのに透明!?
この事実を知った時、私はとんでもない衝撃を受けた。
 
そして「これだ!!」と思った。私が夢にまで見たひそかな願望がアラフィフにしてついに叶えられるかもしれない、と。
 
私の「さりげなく、そして仕方ない風にメガネをかける作戦」は、こうだ。
 
クリアレンズのサングラスなら、それはただのメガネである。そして一見、伊達メガネ風には見えるが、紫外線から目を守り、肌の日焼けを防ぐためには欠かせないアイテムであり、本当はそんなのかけたくないんだけど、自分の身を守るために仕方なくかけている、そんな言い訳ができるのだ。
 
友人に対してはもちろん、見ず知らずの人に対しても「私はカッコつけてるんじゃなくて、やむなくメガネをしているんだよ」というアピールをさりげなく添えて。
 
この作戦により、私は堂々と「伊達メガネ&サングラス」のダブルミーニングでメガネをかけることが出来るのだ。
 
これに気づいた時、真夏の暑さのなかで、私は武者震いした。
 
よし!
そうとなれば早速メガネ屋さんへ、いざ出陣!私はメガネ屋さんのJINSへと向かった。
 
生まれて初めてのメガネ屋さん。見るものすべてが新鮮だ。ただ、あまりにいろんなメガネがあって、どれがどれやらわけがわからない。そこに自分のテンションも加わり、何が何やらわけがわからない。
 
きっと私の挙動不審さを見て、店員さんが気の毒に思ってくれたのだろう、さりげなく声をかけてくれた。私が、クリアレンズのサングラスが欲しい旨を伝えたところ、そこでなかなか衝撃的な事実が判明する。
 
最近はほとんどのメガネがUVカット仕様になっています
 
つまり、気に入ったデザインのメガネさえ選べば、もれなくサングラス効果がついてくるということだ。素敵すぎる!
 
選ぶこと約30分、私はついに幼き頃からずっと夢見ていた「メガネな自分」を手に入れた。そしてその数日後、伊達メガネ&サングラスな「私のメガネ」をお披露目する日がやってきた。
 
 
今までメガネをしたことのない私。それはつまり、今までメガネをしている私を誰も見ていないし、知らないということ。
 
あれ?髪切った?」どころの騒ぎではない。

いったい、友人はメガネ姿の私を見てどんな言葉をかけるのだろう?どんなリアクションをするのだろう??
 
まるで遠足前日の小学生。
明日は私の「メガネ記念日」
ワクワクとドキドキでなかなか眠れず、私はその日の朝を迎えた。
 
 
メガネ姿を披露するにあたり、私はいくつかの想定をしていた。
その1 笑われた場合。
その2 褒められた場合。
そして、ノーリアクションの場合。
 
それぞれに想定問答を考え、私は友人との待ち合わせ場所に向かった───
 
何の不祥事も起こしていない想定問答というのは、なかなか楽しいものだ。冷静になって考えたら、一体私は何をやっているのか、と自分のことながら少し心配にはなるが、アラフィフにしてついに幼き頃からの夢が叶うのだ。少しぐらい自分を見失ったとしてもそれを誰が責められようか。
 
 
私は、さりげない風に慣れないメガネをかけ、いつものように友人より先に待ち合わせ場所に到着した。心を落ち着かせ、そして改めて想定問答を頭の中で反芻する。
 
───よし、完璧だ。
 
どんな言葉をかけられても、私は大丈夫。
 
さて、
笑われるか
褒められるか
はたまた、まさかのノーリアクションか
 
 
友人がやってきた。
「ひ、久しぶり」
やはり私は緊張していたのだろう、日本語を覚えたての外国人のような、たどたどしい挨拶で友人を迎えた。
 
そして目が合う、私と友人。
私は恥ずかしすぎてつい目をそらしてしまったが、友人は引き続き私を見ている。それも、ジーっと見ている
 
そこには笑みもない、だが哀れみもない。しかし、何かを言いたそうな雰囲気だけはヒシヒシと伝わってくる。
 
わずか数秒がとても長く感じられる───
そして、友人は言った。
ちょっと遠慮がちに。
 
・・・老眼鏡?
 
想定問答のはるか上をゆくその言葉に、私はフリーズし、そして静かに膝から崩れ落ちた・・・

確かに。
私はそう思われてもおかしくない年齢であった。

夢を叶えた私の目の前には、少しだけ居心地悪そうにしている友人の姿だけが見えていた。視力がいいばっかりに、その微かな困った表情まで、私にはしっかり見えてしまった。
 
視界良好なはずなのに、自分のことは全く見えていなかった私。

そんな私を反省した、こんな私のほろ苦い「メガネ記念日」であった。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?