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餃子の王将の「餃子のタレ」は、なぜ少ないのか?  完結編


上記「疑惑編」の続きになります⇩⇩⇩

「直接、王将本人に確かめる」
 
いきなり不躾ふしつけに相手に疑惑をぶつけるなんて出来ない、と思っていた。けど、本当は・・・
 
「もしかして、私のこと疑ってる?」
「私のこと、信じられないの?・・・なんか、ショックなんだけど」

 
王将にそう言われるのが怖かっただけ。王将に嫌われたくなかったから、余裕のある大人のフリして我慢してただけだ。
 
「なりふり構わず、カッコなんかつけずに、ストレートに気持ちを伝えればいい」
 
私は後先考える間もなく、王将のフリーダイヤルの番号を押していた───

そう。
私は、餃子のタレの真相を、直接王将に訊こうと決めたのだった。結局、ホントにホントのところは王将だけが知っているのだ。だったら直接訊けばいい。もしかしたら私は、本当のことを聞くのが、真実を知るのが怖くて、どこかで逃げていただけだったのかもしれない。
 
オペレーターにお繋ぎ致しますので、今しばらくお待ちください
 
スマホから聞こえるガイダンス。興奮冷めやらぬなか、オペレーターの方に電話が繋がるのを待った。そしてついに繋がった、のだが・・・
 
「大変お待たせ致しま・・・」
 
私はオペレーターの方が挨拶を言い終わらないうちに電話を切った。失礼は承知している。しかし、私はそこでとんでもないことに気づいてしまった。
 
私がこれから聞こうとしているのは以下の内容である。
 
「お持ち帰り用のタレ、少なくないですか?」
「お持ち帰り用のタレが少ないのはやっぱ、経費削減とか利益追求のためですかね?」

 
この内容・・・
めっちゃイヤな客じゃん。
ただのクレーマーじゃん。
超イヤミな客じゃん。

 
相手が思うであろう思いが溢れ出したと同時に、私は一瞬にして我に返り、慌てて電話を切った。
 
別に私は王将を責めたいわけでも非難したいわけでもない。ただただ、なぜ1袋は7グラムなのか?何でそんなに少ないのか?そして、なぜ瓶入りのタレがお得でないのか?純粋で素朴な疑問、それが知りたいだけだ。
 
なのに、一時いっときの感情に流されて、つい相手を責めるような言葉をぶつけるところだった。私の中に残っていたわずかな理性のおかげで、私はオペレーターの方に電話が繋がるその直前で、そのトラブルを回避できたのである。
 
ただし───
真相はわからぬまま。いまだ闇の中である。
 
 さて、どうしよう?

なんとか冷静さは取り戻したものの、裏切られ、悲しい気持ちのまま、私はドラマ「相棒」の再放送をぼんやり見ていた。こちらの捜査は完全に行き詰まっているというのに、右京さんは今日も基本に沿った丁寧な捜査で事件を解決していく・・・ん?基本?・・・そうか!
 
捜査の「基本」、それは現場100ぺんである
私はすぐ相棒(近所に住んでいる友人)に声をかけ、王将へと向かった。
  
すべての謎(タレの話)は、餃子そのものにある、私はそう確信していた。徹底的に餃子を捜査する、今の私がすべきはそれだったのだ。
 
今まで何度も、それこそ100回は食べているであろう王将の餃子。いつもは特に意識することなく普通に当たり前に食べていたが、きちんと餃子と向き合うことで、もしかしたら今まで気づかなかったことに気づけるかもしれない
 
私と相棒はそれぞれに餃子を注文し、その到着を待つ。しかし、ただボーッと待つわけにはいかない。現場(お店)に何か痕跡がないか、チェックする必要がある。あたりを見回した私は、そこで驚きの事実を知ることとなる───
 
お店の壁に一枚のポスターが貼られていた。
そして、そこにはこんなことが書かれていた。
 
「にんにくだけじゃない!生姜を活かせば、餃子はもっと旨くなる」
 
そして
「1月28日。餃子がもっとおいしくなった。どうぞお試しください」と。


そのとき、私は確信した。

今までも「安くて、早くて、美味しい」と思っていた王将の餃子だったが、王将はその餃子をさらにその美味しい餃子にしようとしている。それを見て思った。
 
タレは確かに美味しいけれど、とりあえず最初の一つめの餃子はそのまま食べてみて欲しい。素材のおいしさが感じられる、本当に美味しい餃子を味わって欲しい。そんな王将の気概を私は感じた。
 
そして、そこにお持ち帰り餃子のタレが少ない理由があったのだ。

タレが少なければ、まず間違いなく最後の1つか2つは「タレなし餃子」を食べることになる。しかし───
 
食べた人はわかるはずだ。
 
「この餃子、タレなしでも美味しい」と。

あるいは、全部をタレで食べようとするなら、餃子一つにつけるタレはわずかな量になる。つまり、タレよりも餃子そのものの味を感じられるのだ。
 
「だったら、最初からとりあえず何もつけずにそのまま食べて下さいと言うなり書くなりすれば?」という声が聞こえてきそうだが、それはちょっと違う。だって、
 
「お店から食べ方を指図されたくない」
「食べたいものを、自分が食べたいように食べたい」

 
うるさい店主からいちいち食べ方を指示されたら、せっかくの美味しい料理も台無しである。王将はそこまで見越して、敢えてタレを少なくすることで「タレをつけない餃子」を私たちに提供しようとしたのではないだろうか。
 
「タレ、少なくない?」と不満を感じた人たちは、最後にタレがなくなって仕方なしにタレなし餃子を食べる。すると、
 
「あれ?タレつけなくても美味しいじゃん!」
 
そんないきで心憎い演出をするなんて。タレごときであたふたしていた自分が恥ずかしかった。さらに私は、とんでもなく恥ずかしいミスに気づいた。
 
「お持ち帰りにしなくてよかったの?お店だとタレ、つけ放題だけど?」餃子を頬張りながら、友人は言った。
 
・・・そうだった。
どうして私はお店に入る前に気づかなかったのだろう。あまりに初歩的なミスに自分でも驚いたが、と同時に仕方ないと思った。
 
だって、いざ王将の前に来たら、王将のお気に入り料理の数々を前に、私は興奮し、テンパってしまうのだ。
 
王将の、餃子を始めとした料理たちにはそれほどの圧倒的な魅力がある。
 
ちなみに、私が特に好きなのは「ホルモンの味噌炒め」である。「揚げそば」もいい。そしてもちろん「餃子」だ。 
 

「餃子の王将、お持ち帰り用の餃子のタレは、なぜ少ないのか?」
 
実際のところ、真相はいまだ闇の中にある。しかし、もはやそんなことはどうでもよかった。

なぜなら、その真相は「闇の中」ではなく、今や「私の心の中にある」からだ。
 
素材そのものの味、餃子そのものの味を知って欲しくて餃子のタレを少なくした。それが私の心の中にある真相である。
 
王将はそれほど、餃子に自信を持っていて、実際それまで以上に美味しくなっていた。だとしたら、もし万が一、真相が「経費削減」だったとか「うっかり分量をミスった」とかだとしても、そんなことはもはやどうでもいい。
 
目の前に美味しい餃子がある。
ただ、それだけでいいじゃないか。

 
もちろん、美味しい餃子を出すお店は他にもたくさんある。しかし、その値段、手軽さ、そして味。王将の餃子のパフォーマンスは凄いと思う。
 
「チープな中華屋でしょ?」と言って、食わず嫌いな人たちにこそ、是非食べてみて欲しい。高いお金を出せばそれなりに美味しいものが出てくるのは当たり前。
 
安かろう不味まずかろうなお店も多いなか、王将は本当に頑張っているし、その企業努力は凄いと思う。
 

ちなみに、そんな王将も、今でこそよく知られているが、王将大躍進のきっかけとなったのは2008年7月24日放送「アメトーク」における「餃子の王将芸人」だろう。実際、私の住む町の王将もオンエア以降、行列ができたほど。それまで、王将ではそんな行列、見たことがなかった。
 
オンエア以前は行列どころか、お店近くではしょっちゅう割引券が配られていたし、にもかかわらずいつ行ってもお店は空いていた。

さらに、その当時、私が行っていた王将は本当にお店がボロく、床は油で滑り気味というありさま。女性客などほとんどいなかった。
 
いつ潰れてもおかしくないような状況のなかでの「餃子の王将芸人」ON AIR。その反響は凄かった。
 
ただ、テレビで紹介されたものの数か月後には再び元通りの「さびれた格安中華のお店」に戻るのだろう、と思いきや、そのお店は数か月経っても客足は減ることなく、コンスタントに繁盛した。
 
それはなぜか?
 
答えは簡単。
「安くて美味しかったから」
である。
 
アメトークの影響で、普段足を運ぶことのなかった層への訴求、そして実際にお店へ行った人の期待を裏切らないコスパとクオリティによって、王将はまさにブレイクしたのだ。
 
結果、そのお店はしばらくしてお店のリニューアルをし、ピカピカなお店に生まれ変わった。それによって、入りやすい店に生まれ変わった王将はその後さらに躍進する。
 
真面目にやっていれば、いつかきっと報われる・・・王将はまさにそんなサクセスストーリーを体現させたといえる。
 
 
王将は、美味しい料理で人を笑顔にする
 
私は、記事で人を笑顔にできたらいいな・・・最後のタレなし餃子を食べながら、ふとそんなことを思った。

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