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note一年を振り返り、そこに拡がる景色を眺めてみた 

noteについて何の知識もない状態からスタートした私が、一年間noteをやってみてわかったことがあります。
 
私がnoteを始めた目的は「自分が書きたいことを、自分が書きたいように書く」こと。
 
とにかく「書く」ということだけに集中して黙々と記事を書いていたので、最初のうちはスキやフォロワーの数を気にすることはなかったのですが、とはいえ、書いた記事に対して時々スキがつき、そして時々フォロワーになってくれる人がいたりすると、やはり素直に嬉しい気持ちがありました。
 
ただその時点ではまだ、スキやフォロワーの数がとても少なかったこともあり、自分が書きたいことを自分が書きたいように書くことを純粋に楽しめていた気がします。
 
 しかし、二つの出来事をきっかけに、私の気持ちは少しずつ変わっていきます───
 
一つめの出来事、それはnote公式さんから「今日の注目記事」ならびに「エッセイ記事まとめ」に選ばれたことでした。
 
ある日の午後の昼下がり、それは突然やってきました。その顛末については以下の記事を読んでいただければと思います。

実際に自分の記事が「今日の注目記事」に選ばれて初めて、「今日の注目記事」のその意味や価値を知ることになるのですが、それまでは、ただなんとなく「今日の注目記事」というのは、フォロワーが多い人やスキがたくさん集まっている記事が選ばれるんだろうな、と思っていて、自分には無縁なこと、と思っていました。
 
しかし、それが私の無知がゆえの偏見でしかなかったことを、このとき思い知ります。
 
なぜなら、「今日の注目記事」を選ぶnote公式の方々は、スキやフォロワーの多い少ないではなく、この記事を読んでもらいたい、知ってもらいたいという思いで、日々noteに寄せられる多くの記事を読まれているのであろうことがわかったからです。
 
その証拠に「今日の注目記事」に選んでもらった私の記事は、選ばれるまでのほぼ丸一日、スキは一つ、そしてアクセスもわずか10程度でした。そんな吹けば飛ぶような、ほぼ誰も知らない弱小記事を見つけ、あろうことか「今日の注目記事」として選んでくれたのです。
 
noteの片隅でポツンと佇んでいたような私の記事に、いったいどのように辿り着かれたのか、本当に驚きました。

ただ───
その反響の大きさゆえに、私は次に書く記事に対して少なからずプレッシャーを感じていました。「今日の注目記事」に選ばれたことに恥じないような立派な記事を書かなきゃ、うまく書かなきゃ、と。
 
数日間、何をしていてもそのことが頭から離れませんでした。
 
さらには「自分が書きたいことを、自分が書きたいように書く」はずが、どこかで「みんなが求めていることを、スキをもらいやすいように書く」ということも考えている自分。
 
いわば「スキ受けするであろう記事」つまり「スキを意識して書く」ということです。流行はやりを意識し、万人受けしそうなテーマや言葉を選んで記事を書けば、スキやフォロワーが増えるのでは?
 
実際、そう思って書き始めてみたのですが───
 
楽しくないんです、書いていて。それに、読んでも全然面白くない。
 
もちろん、書くことは楽しいことばかりではありません。特に仕事であればなおさら。
 
けれど、noteは仕事ではありません。書くことで感じられるワクワクする気持ちがなくなってしまえば、私にとってnoteで書く意味はありません。
 
 そんな時、改めて「今日の注目記事」に選ばれた自分の記事を読んでみました。

私の記事はどう読んでも「立派な記事」ではありません。でも、書いている時はとても楽しかったし面白かった。そんな「愉快な様子」が文面から伝わってきました。

そして───
そこには「リアルな私」がいました。
ありのままの私が。
 
内容は「愚にもつかない私の恥ずかしい日常のエピソード」ですが、それをありのまま、自分が書きたいように楽しんで書いた結果が「今日の注目記事」に繋がったのです。
 
なのに私は「今日の注目記事」というその存在の大きさや栄誉みたいなものを必要以上に意識したばっかりに、勝手に自分にプレッシャーをかけていたのです。
 
それに、その記事を書いていた時は「スキ」がつくかつかないか、なんて意識していませんでした。面白がって「自分が書きたいことを、自分が書きたいように書いた」ただそれだけなのです。
 
気づかぬうちに自意識過剰になっていた自分。自分の気持ちを初心に還さなければ、そう思いました。
 
やるべきことは、自分の思いを信じて書くこと。そして、一つひとつ丁寧に、自分の思いを記事に残していけばいい

そう思い直し、記事を書いていたら、しばらくして二つめの出来事が起きました。
 
私の記事をスカパー!さんが「投稿ピックアップ#好きな番組 第一弾」として取り上げてくださったのです。
 

私の記事の一部を引用し解説していただいた編集部員ヤマさんからの「PCの前でついつい思い出や世界に想いを馳せてしまう、読み応えのある素敵な記事でした」というコメントは嬉し過ぎました。
 
自分の思いを信じて、丁寧に記事にしたことを認めてもらえたことは、私にとって大きな自信になりました。
 
 
これからnoteを始めようとしている人、そして今まさにnoteで記事を書いている人それぞれに、いろんな思いやさまざまな考えをもっておられることと思います。ただ・・・

せっかく記事を書くなら、たくさんのスキがもらえたり、多くのフォロワーがいたら嬉しいのではないでしょうか?
 
「自分が書きたいことを自分が書きたいように書く」
「スキやフォロワーの数にはこだわらない」

 
最初はそんなカッコいいことを言っていた私も今は違います。スキの数にこだわるつもりも、誰かと競うつもりもありませんが、たくさんいただければ素直に嬉しいですし、今は「スキ」が大好きです。そして、フォロワーの重要性も実感しています。
 
仮に、どんなにいい記事が書けたとしても、それがどんなに価値ある素晴らしい記事だったとしても、フォロワーが少ないとそうした記事のほとんどは誰の目にも触れられることなく、noteの中で数多あまたの記事の中へと埋もれていってしまいます。
 
見る人が少ないというのはそういうこと、つまり基本的にはフォロワーの数が少なければ、その記事を目にする人は多くないのです。
 
1000人のフォロワーがいる人は1000人の人のフォロー中の欄に記事が載ります。いい記事にはあっという間に100、200のスキがつき、そこからさらなる拡がりを見せるでしょう。
 
フォロワーが多い、というのはある意味では間違いなく「正義」なのです。
 
ただ一方で、もしフォロワーの数だけに固執し、やみくもにその数だけを増やせたとしても、記事の内容にそれほど魅力がなかったらどうでしょう?
 
1000人のフォロワーがいたら、互いの義理でその都度スキをつけ合い、どんな記事でも、あるいはたった一言のつぶやきにでもスキが50、100とつくかもしれませんが、おそらくいずれ行き詰まるでしょう。だからこそ、すべきは、
 
「急がば回って、とことん記事にこだわる」
 
令和の今、タイパの時代に敢えて背を向け、どの記事でも「自分らしさ」を忘れず、そして自分が愉しんで書く。
 
スキをもらいやすくする方法を考えるより、いかに自分らしい記事を書くか、自分にしか書けない記事を書くか。
 
すぐに結果は出ないかもしれませんが、諦めずに少し続けてみて下さい。どこかに読んでくれている人がいます。そして、見つけてくれる人がきっといます。実際、私はいろんなnoterさんに見つけてもらえました。
 
そして、その先でnote公式さんから「今日の注目記事」に選んでもらい、そしてスカパー!さんにも存在を知ってもらえました。
 
 「でも、それはまるおさんに実力があったからでは?」
 
そんな声が聞こえてきそうですが、私はこう考えます。
 
私にあったのは「書くことを諦めない力」ただそれだけ。この一年間、自分が書きたいと思うことを、自分が書きたいように書き続けることが出来たからだと思うのです。
 
書き続けていれば、何かが起こるかもしれない。書き続けていれば、何かを変えられるかもしれない。それを「信じる力」が私にあったからです。
 
その「しぶとさ」を持っていることが私の実力なのかもしれません。
 
 
「自分の色」を探すためにもがいた一年が終わり、私はnote二年目に突入しました。今までは「自分が書きたいように、自分が書きたいことを書く」そして「自分のためだけに書く」という思いで続けてきましたが、二年目からは少し違います。
 
自分が書きたいように、自分が書きたいことを書くのは今まで通りですが、これからはその先にいる誰かたった一人にでも強く届けばいいなという思いを胸に書いてみようと思います。
 
正直、noteを始めた時は「こんな自分が誰かのためにとか、誰かの支えや癒しになればいいとか、おこがましい」と思っていました。しかし、この一年noteを続けたことで少し、意識が変わったようです。
 
 noterさんの中には私より「面白い記事」「素敵な記事」を書いている人はたくさんいます。なのに、タイミング的なことや運不運によってほとんど読まれることのない記事があります。
 
そうした記事に対し、微力ながらも力になれたらという思いから、これからは自分が読んで「いいな」と思った記事を私なりの視点で紹介していきたいと思っています。
 
そう、次は私が「誰か」を見つける番です。
 
note公式さんの「今日の注目記事」に選んでもらったこと、そしてスカパー!さんに記事を紹介してもらったこと、その喜びと感謝の数珠繋じゅずつなぎとして、私も誰かを照らせたらと思っています。
 
ただ、note公式さんやスカパー!さんのような大きな力は私にはないので、私が記事を紹介したところで、その影響力などほぼゼロかもしれません。しかし、出来ることはあるはず。例えばそれは、
 
書くためのモチベーションを贈り、そのnoterさんの背中を押すこと。
 
記事への賞賛が次の創作への原動力になればいいなと思っています。
 
 既にスキやフォロワーの多い方については、その良さや素晴らしさは広く伝わっているので、私はまだそれほどスキやフォロワーが多くない記事にスポットを当てていきます。
 
 今までの私は、自分の記事にスキをつけてくれたnoterさんのところを訪れ、そしてその人の記事を読ませていただくことがほとんどでしたが、これからは少し積極的にいろんな人のところにお邪魔しようと思います。
 
書くことはもちろん大事ですが、他のnoterさんの記事を読むことでたくさんの刺激をもらい、そこから学び、自分の記事をさらにいいものにしていけたら、私自身もっともっとnoteを楽しめそうですし。
 
 
改めて。
一年目にこの二つの経験と学び、気づきを得られたことに対し、note公式さんそしてスカパー!さんには感謝しかありません。
 
そしてなにより、note村の隅っこにある、誰も来ないような小さなカフェ「teaまるお」にわざわざ足を運んでくださり、私のコーヒー(記事)を美味しい(スキ)と言ってくれた方々、そしてそんなお店の常連(フォロワー)になっていただけた皆様に感謝です。
 
いつもありがとうございます。そして、二年目もよろしくお願いします。
 
teaまるお

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