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【エッセイ風連載小説】Vol.19『その謎はコーヒーの薫りとともに夕日に解けて』

Vol.19
延長十回裏「趣味とは、純粋なる本能と不純な欲望の合わせ鏡」

「正解は、占い」
「占い?」
「それも『手相』」
 
例えば、血液型占いなら基本的には4つ、星座占いは12のタイプしかないので「君だけ」という特別感がない。

しかし「手相」は一人ひとり違うので「君だけ」という特別感のある鑑定ができるのだ。
 
「手相見てくれるオトコがいたら見てもらいたくない?」
「うん!」
 
なるほど、思わずカレもうなる。
 
「趣味を訊いて、ドライブとかゴルフとか読書とか映画鑑賞とかって答えるオトコは何十、何百って見てきたけど、『手相(を観る)』って言ったオトコには会ったことない」
「確かに、よくよく考えるとなんかちょっと不思議かも」
「あえて女子ウケ狙って、趣味を料理とかペットとかドライブとかにしてる人がいるわけでしょ?なのに、なんで手相を趣味にしてる人がいないんだろうって、かなり前から思ってたんだ」
 
女性の多くが占い好きであることは、多くの男性が知っているはずなのに、なぜそこを押さえないのか?聞けば聞くほど納得である。
 
「ま、何となくわからなくもないんだけどね。スピリチュアルなものとか、非現実的なものに対して苦手意識があるオトコって多いじゃん。現実的なオトコが多いから」
「昔付き合ってたカレにも小バカにされたことある」
「ただ、意外と知られてないかもしれないけど、企業の社長さんとか著名人、有名人の中には、占いによって戦略を考えたり、行く道を決めてる人が多いからね」
 
スピリチュアルなものに対して苦手意識があると言いながら、正月には神社に参拝し、何かあれば神頼みをするオトコは多いのではないだろうか。
 
「そもそも手相ってさ、占いっていうよりある意味統計学なんだよ。いろんな人の手相を見て、その膨大な経験則から現象の因果関係を見極める。要するに数千年にも及ぶ経験科学が手相の根拠となっているわけだから、それってもう学問じゃん。なのに、そういうことをロクに知りもしないで非科学的だとか言ってるオトコって、それだけで無知を晒してるバカだし、ホントアタマ悪いよね」
 
世界には約80億の人がいる。
なのに、同じ手相の人はいない。
みんな世界にたった一人だけなのだ。
考えてみれば、それだけでも奇跡である。
 
「手相って、その人の人生の地図みたいなものでさ、その人だけの道しるべなわけ。それを読み解けるとしたら凄くない?」
 
清く正しく生きているのに報われない。

誰も傷つけていないのに、自分だけが傷ついていく。

悪いヤツらがいい思いをしているのを見て虚無感きょむかんにとらわれる。
 
どうにもならない現実を前に絶望した時、ツラいことがありココロが折れた時、目の前に果てしなく広がる暗闇のその先に、もし希望の光が見えたら、もしかしたら頑張れるかもしれない。
 
「手相って人を救えるものなんじゃないかな」
 
それぞれの人生の地図を前に、よりよい未来へ進む道を示すことができたなら、どんなに素晴らしいことだろう。
 
「本当にツラいことがあった時にさ、周りから頑張って、って言われてもあまり響かないことってない?だけど、手相を見て、こうすればきっとうまくいくはずだから頑張って、って言われたら、頑張れるって思わない?手相ってその人だけのものだから、それを見ての判断なら、なんか信じられる」
「ちょっと説得力あるかも」
 
しかし、実際手相を見るとなると、かなり難易度が高いのではないだろうか。

そんなカレの疑問はカノジョのこんな言葉であっさり解決する。
 
「適当でいいんだよ、最初は」
「ダメでしょ、適当じゃ」
「人が占いに求めるものって何だと思う?」
「悩みに対する『答え』でしょ?」
「違うよ。『希望』だよ」
 
手相を見てもらう時の動機は、なにかしらの悩みであることが多い。

今の仕事は自分に向いているのか、今のカレとの相性、そしてこのまま付き合っていくべきか別れるべきか、自分は長生きできるのか・・・そんなことは誰にもわからない。それがわかるのはきっと、神様か仏様だろう。
 
「その人がよりよい人生を歩んでいけるよう、アドバイスという名の希望を与えてあげるのが占いなんだよ。その人にとっての正しい方向だったり選択の背中を押すことが大事なの」
 
最初は生命線とか感情線とか運命線とか知能線とか、主要な太い線だけわかっていればいい。
 
「あとは、どんなこともポジティブワードに変換すること。希望を与えるんだから、どんなマイナスも前向きな言葉で伝えなきゃね」
「それって、ちょっとした詐欺師じゃない??」
「確かにそうかも。けど、それって『ついていい嘘』だと思わない?」
 
優しい嘘ってあるんだ・・・カレは思った。

何かに傷ついた時、何かに苦しんでいる時、そのココロを優しく包み、希望を与えることができるのだとしたら、それは嘘でもきっと正しい。
 
「そんな嘘だったら、いくらダマされてもいい。相手を幸せにする嘘だから」
「ヤリモクオトコが料理やペットをダシに使って部屋に連れ込むような、クズみたいな嘘もあれば、相手を癒したり前向きにさせてくれる嘘もあるってことか」
「しかも、ワクワクしない?自分の掌に見えてる未来を見せてくれるわけだから。テーマパークのアトラクションに乗らなくても、どこでもそんなワクワクやドキドキが体感できるってヤバくない??」
 
「噓から出たまこと」という言葉がある。嘘をついたにもかかわらずそれが本当になることを意味するが、そんなまことが一つでもたくさん生まれるのなら、それはまさに嘘という名の希望なのではないだろうか。
 
軽はずみでもいい、冗談だっていい、その「嘘」がスノードームの中で軽やかに舞う雪やきらめきのような、相手に降り注ぐ「希望」でありますように。
 
店を出ると、ゆっくりと夜のとばりが下り始めていた。

なんとなく上着のポケットに手を入れて気づいた、小さなスノードーム。

スノードーム美術館で買った、とても小さなクリスマスドーム。てのひらに載せ、そっと街路灯がいろとうの明かりにかざしてみる。
 
てのひらのカレの人生の上で、優しく雪が舞っている。

カレの行く先を明るく照らす、希望という名の優しい雪が。

                    つづく

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