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ハーフ地方出身者の語り

(※絶賛人生プラン見直し中のため自己語り多めです。有益な情報は皆無です。お許しを。)

故郷について。

私は転勤族だったので、「出身どこ?」聞かれるたびに少し間を置いて答えてしまいます。
とりあえず実家のある北関東にしていますが、きっと故郷と呼べる場所って思い出の数(濃度)による気もします。
私にとってそんな場所は、岩手県盛岡市です。


盛岡というところ

実は北海道の次に面積の大きい都道府県は岩手県だということ、ご存知でしょうか。(長野とか福島だと思っている人が多い気がする)

そう、岩手県ってとーーっても広いんです🪨!
そして山にも海にも恵まれた自然豊かなところ。
大谷翔平を輩出した花巻東高校、世界遺産の平泉もありますね。

盛岡はその平泉よりも北に位置しています。
山々に囲まれた盆地なので、東北とはいえ夏は暑く冬は寒い。関東に引っ越した時は「や、山が無い……!これが地理で習った関東平野か……!」と地味に感動したものです。

風化しつつある思い出の8年間

盛岡に移ったのは私が小学2年生の時。
その前は東南アジアのとある国に住んでいたので、寒暖差を含め全てにおいてカルチャーショックでした。転校生というだけで(あと運動神経が良くない)いじめてくる人もいました。でも今思えば楽しいことの方が多かった!
あっという間に方言も使うようになり、東京出身の親に指摘される日常でした。

こうして自分の半生を振り返ると、盛岡で過ごした8年間は間違いなく今の私を形成しています。
当時夢中だった趣味は今でも私の心の支えですし、中学生の時は毎日登下校に往復7キロ歩いていたので、いまだにどこまでも歩ける足腰が自慢(?)です。

今の自分を形成しているもの

そして何より良くも悪くも、「自分がいる場所だけが世の中ではない」と、この頃しつこいくらいに親に言われた言葉がいまだに脳裏に染みついています。

例えばテストで学年一番になったとき。
私の親は決して褒めず、「あなたがいる世界で一番になっても、世の中はもっとできる人がいるんだよ」「だから特別できるって勘違いしないこと」「良い気になっちゃだめだよ」
というもの。本当に全く褒めない教育方針(笑)
通っていたのは田舎の公立校とはいえ、一学年200人以上いる大きな中学校でした。同じ教育を受けてきた姉と「ここまで良い成績がとれたら少しくらい褒めてくれたって良いのに!」と今でも思い出話の時に話題にします。
共感できる人がいるのは慰めになりますね。

おそらくほとんどの子どもにとって、親って“絶対的”な存在。
素直で真面目な子であるほど、親の価値観が正しいものとして植えつけられてしまう。親にとっては厄介かもしれませんが、人間生まれつき捻くれていた方がいいかもしれない笑

でも私は素直で真面目なタイプでした。
「良い気になるな」と言われたことで、どんな時も驕った態度を取らなかったのは模範生そのものの姿だったかもしれません。それに実際、上には上がいるもの。盛岡よりもずっと競争の激しい東京で過ごしてきた両親からしたら、真っ当なことを教えていると今なら理解できます。
しかしここが地方であるが故に、その意向が強すぎた。

そしてこの時あたりから世間と身内の評価が乖離しすぎて、「誰が何言おうと気にしない」「人は人、自分は自分」というような…良く言えば「自分軸で動く」、悪く言えば「マイペースすぎて競争心が無い(=やる気が見えづらい?)」性格になったかなぁという自己分析。

“東京”という最強ステータスカード

これは地方出身の人であれば共感してもらえるはず…?
田舎であればあるほど、東京に身内がいたりと何かと東京に馴染みがあるだけで、謎にかなりステータスのアドバンテージになるのです。ただ単純に、“なんかカッコいい”みたいな(笑)

かくいう私がそうでした。なんて言ったって、少なくともお盆とお正月には東京に行けるのです。
それと同時に、どこか“よそ者”と線引きされるのも確か。
そんなん気にせず協力しあっていこうや!と言いたいところですが、方言がないだけで相手はだいぶ冷たい印象を抱くようですね。これは関西でよく聞く話ですが、全国共通のものだと思います。同じ日本人でも、やっぱり違う土地に馴染むって大変。

ちなみに私は中学卒業と同時に関東に引っ越したので、盛岡でも今の所でも“転校生”扱いというか、どこかよそ者感があります。成人式にも出ていません。少し寂しさもありますが、良く解釈すれば故郷が2つあるようなもの!
特に盛岡は帰る場所(実家)があるわけではないのに、一番濃密な時間を過ごした場所です。離れたところに自分をよく知っている町があるというのは、不思議でどこか温かい気持ちにさせてくれます。

長い付き合いが無理

そんなこんなで定期的に引越しをしていると、自然と人間関係が整理されます。
盛岡の友人でいまだに連絡先を知っているのはたった2人。SNSは社会人になったと同時に消してしまったので、高校〜大学の友人も僅か。
基本その時代のコミュニティを卒業したらすべてスッと消えてしまいたくなる、厄介な性を最近自覚しました。別に犯罪歴があるわけでもなければ、心底ヤバい(多少のレベルはある)黒歴史があるわけでもないのに、過去の自分を知っている人がいるのが居た堪れない。明日になれば今日だって過去になるというのに。そのうち人生で過去の方が長い時間になってゆくというのに。こんなんだと結婚なんて難易度高すぎるぞ?良い加減にして。若さに甘んじるな!と最近思うこの頃。

つまりは

なんだかまとまりのない文章ですが、盛岡について語りたくなった理由は一つ。今月盛岡に行ったから。今年で引っ越して10年。およそ3年ぶりの帰省(?)でした。
過去の私をよく知っている町でゆっくり考える時間が欲しいと思いまして。
次来る時はもっと明るい気持ちで、良い報告ができますように!



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