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我流「辛い時期の乗り越え方」

noteに書き起こしたいことはいろいろあるのに、上手く時間を作れなくて手書きのノートのメモばかりが増えていく日々です。


3年前の今頃、「私の人生このへんで終わりにするのがいいんじゃないかなぁ」と真剣に思ったことがあります。
そう思った時は幸いにも夜だったので、いつの間にか睡魔が勝利し今こうして私は生きていますが、この日を境に「この先の人生、どんなに辛いことがあっても生きていける指針のような、人生の目的のようなものが欲しい」と考えるようになりました。

それは将来の夢や欲とは違うもの。
また、「私が死んだら悲しむ人がいるから」だとか、「悪いことの次は良いことがあるから」というような、思い詰めている時点では証明できない慰めのようなものでもない、もっと「どん底の“今”さえも受け入れてくれる」ものです。

人生幸せなことも沢山あるけれど、生きている限り怒りや悲しみにも向き合わなくてはなりません。
人間の心の強さって、個人差だけでなくその時の環境によっても大きく左右されると思います。複数のマイナスの事情が自分を襲ってきたとき、自分を保てられる自信が私にはありません。
というより、“魔が差す”って絶対誰にでも起こりうると思う。詐欺と同じように、“自分に限ってはない”と思っている人ほど用心した方がいい。
だから「生きることを諦めないための指針のような、人生の目的」が、私にはどうしても必要でした。

そんなことを考えて3年ほど経った今、私の人生の目的は
できるだけ多くの自分と出会うこと です。

辛いことや嫌なことがあった時「私はこういうことでこんな風に感じる人間なんだな」と大なり小なり発見があります。それは同じような内容の悲しい出来事が2つあっても、その時の自分の心情によって違う発見があるくらい、感情って繊細なものです。
これは日記をつけてみるととてもわかりやすいと思います。

この考え方を見つけたのは、昨年仕事でとても苦しんだ時期でした。
食欲不振や睡眠障害、帰宅後と出社前の止まらない涙と震え、その他色々経験しました。
細かいことは覚えていません(蓋をしている感覚の方が近い)が、あの時期をどうにか過ごすことができたのは心の強さではなく、上記のような出来事への解釈の転換だと思っています。

要するに、大体のことは考えようなのです。

私の場合、人生の目的が『できるだけ多くの自分と出会うこと』であれば、辛いことも“こんなに辛い感情は初めてだ!”と半ば「1ポイントゲット!」と、ゲームのようなノリの自分を片隅に置くことができます。
あくまでそのような自分が片隅にいるだけでいいのです。それだけでだいぶ違います。
そして、“じゃあこれを乗り越えた後はどんな発見があるのだろう?”と、さらに新しい出会いを求めることもできるのです。

そんなことを繰り返しながら、色んな感情を知っていき、他人にも優しくなれるのかもしれません。
経験できないことは想像力で補うしかありませんが、やはり経験という引き出しが多い人ほど、その想像力だって豊かだと思います。

またこれは、辛い時の乗り越え方だけに効く考え方ではなく、新しいことに挑戦する勇気が欲しい時にも使えます!
未経験なことに挑戦するって、それだけで新たな発見が保証されているようなもの。やってみるしかありません!
なんていったって『できるだけ多くの自分と出会うこと』が私の人生の目的なので。

もちろん、嬉しいことや楽しいことからも、新たな自分を知ることができます。
とにかく私は自分自身の感情の引き出しが沢山欲しいので、本や芸術にも沢山触れて、いろんな色の感動を味わいたい!
究極の将来の夢は、「博識で料理上手で、ピアノだって弾けちゃう笑顔がかわいいおばあちゃん」です。

こんな考え方がどこまで通用するのかわかりませんが、できるところまでいってみたい。

もし通用しないときが来ても、それもまたある意味新たな自分の大発見があるような気がするので、これって一生使える考え方なのでは!?

というのが現時点の仮説です。

ではまた。

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