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山邊鈴さんの文章を思い出す季節

夏になると山邊鈴さんを少し思い出して、シーズンに2つぐらいは過去記事を読んでみたりする。今回はこれ。まずは引用元の動画と文章をご参照くださいませ。

「すべてを忘れて寝てるのかな?」という落合氏の発言には嘲笑のニュアンスすら感じられる。このとき周りの大人もよく窘めなかったものだと思う。不利益を被っている者は政府が行動を起こすまで活動しないといけないんですか? 中高生の場合なら、学校の時間を削ってまで。そんなことできる余裕が中学生はまだしも高校生にありますか? ないですよね。そもそも勉強量多すぎるし、新課程の探究学習ってめちゃくちゃ時間取られるんです。なら日本の4割から5割の人にとって最終学歴となりうる大学が決まってから、ふるいにかけられてから、当事者でなくなってから大学生はそういう活動をするべきですか? まあその当為は主張してもいいかもしれません。でも誰が? 誰がその活動の中心になり得ますか? 旧帝大以下の人がそういう活動をしたら匿名で他人を貶めることを好む世間は「負け犬の遠吠え」とかいうんでしょ? なら、少なくとも旧帝大クラス(勉強が忙しい医学部医学科以外)、九大と名大は地元多いし北大はなんとなく除くとして、阪大と東北大と東京一工(一工はあんまりそういう文化なさそう?)ぐらいになるでしょ? それぐらいしかないじゃん。お茶の水も加えていいかな。あと早慶は逆転合格しやすいのでアリかも。落合氏の筑波も入れておくか。「すべてを忘れて寝てるのかな?」という言葉が向けられてまともに応答できるのは大学生の中でも、そういった大学の大学生ぐらいじゃない? それ以外は、そんな言葉向けられたとて「ならどうすればいいって言うの? どうせ動いたからってなにも変わんないでしょ? そんなことよりこっちはやることいっぱいあるんだ」となるだけ。まして高校生や大人なんてそんな時間ないから、「「すべてを忘れて寝てる」って言われるんだったらそれでいいよ。匿名の誹議なんて怖くない。動いたらまさに他でもない私を嘲笑の的にしようとしてくる奴らが出てくるんだから」って半笑いで突き返したくなるだろう。行動しない人、異議申し立てしない人に違和感を抱くなんて、さぞ幸せな人生を過ごしてこられたようで、結構なことでございます。最善の選択肢が沈黙になること以上に腹立たしいことは、世の中にそれほど多くありませんからね。
当事者の高校生に戻ると、そもそもそういう格差に敏感なだけ学歴、年収に関する上昇志向ある人って田舎であんまりいないだろうし、そういう人は地元の進学校に集中してる。進学校じゃないとこって部活や恋愛や趣味の話が多くて、周りがそういう話してたら大抵の人は当然それについて話すこと、考えることが増える。あれがしたいとかこれがしたいとかあんまりないよ。私は高校の教師になりたいと思ったことはあったけれど、それ以外の職業って地方公務員と医者と看護師と介護士と美容師と、それぐらいの生活する上で必須なサービスに従事する人以外ほとんど知らなかった。そういえば国際協力も興味あったな。でもそれぐらい。田舎に継続的な働きかけとかはほとんどなくて、一瞬憧れを抱いて次第に薄れてお終い。これは意志が弱いとかの問題ではないと思う。継続的な働きかけってものすごい大事だから。でもそれをする人が周りにいないんですよね。一人でずっと調べるとして、共有する人がいなくて肯定してくれる人もいなくて、それでも継続できるものなんだろうか? 私はそうは思わない。その情熱は結局忙しい日常に徐々に侵食されていきますよ。受験勉強もありますし。

1500字ぐらいで終わるのは早い気もするのでもう少し。
「(田舎からの脱出ストーリーが)横で共有されていないことに違和感があるんだけれど……」と落合氏。横で共有すること、田舎出身同士ならあり得るだろうが、如何せん接触機会が少ないだろう。接触できたとして、自分から先にカミングアウトすることについてどう思うかだが、これは山邊さんが引用元のnoteで書いている通り、弱者性を(自然な成り行きで言い出せればいいのだが自らの積極的な意志で)告白するのはダサさを感じるだろう。三人称的には問題ないですよ。でも一人称だと違うんですよね。三人称的にはカテゴリー化って容易な気がしますけれど、いざ内省して正確に言い表わそうとすると、カテゴリー化不可能に思えてきますね。この感覚は私にとってなかなか伝達が難しいので、とりあえず『ブリュメール18日』と読んでもらえます? 大昔の記憶ですがなにかしら通じるものがあった気がするんです。
当然ですが、田舎出身同士でないなら共有はあり得ないですね。聞き手に特権意識を持たせるなんてことしたら「話しづらい相手」になってしまうので。暗に自慢を含意したりするでしょう? また名門大学において、都会の人間は都会のコミュニティに帰ることは容易だけど、田舎出身は大抵帰属可能なコミュニティが少ないですからね。「話しづらい相手」になったらけっこう居場所を失うリスクが大きいです。つまり、個人的なデメリットがめちゃくちゃ大きい一方で、メリットなんてほとんどない。「あなたのような生まれながらに最終学歴において有利な立場を獲得する蓋然性が高い特権階級に私のような社会的弱者の存在を認めてもらうことが格差是正につながる、社会的正義に適うのですから、私の身の上話を共有させてくださいね」なんて絶対言えないだろう。当然、個人の功利主義においてまったくメリットがないことについて社会的正義に適うからといって強制するなんてあり得ない。そこに当為は存在し得ない。
あまり関係ないですが、都会の最難関大学に多数の合格者を出す高校出身の人が田舎出身も含めて関わりやすいし、そういった人と話す機会が増えるのは当然ですね。人と話していて話題にのぼりやすいくどういう人かわかりやすいし、そういった仲間がたくさんいる人のほうが思い切ったことしやすく目立ちやすい、したがって陽気に軽く話しやすいですから。

「普通のことが普通に書いてあったら反応しないんじゃないか」
その「普通のこと」が沈黙の強制じゃなければね。元動画の12:40あたりからの松田さんの発言「言うことによって自分は誰かに迷惑をかけているんじゃないかとか……」のところ、山邊さんめちゃくちゃいい顔で頷いてますよね。彼女が沈黙を強制された経験があって苦しんだことがあるからなんじゃないかと、私には思えるんですけどね。

サバルタンは語ることができるか? 
-No.

田舎者は語ることができるか……?

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