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退職の話をしたら母に号泣された

母親から久しぶりに連絡があった。
今は亡き祖父の実家に引っ越すそうだ。
そういえばと思い、退職することを伝えたところ号泣された。


母が苦手だ。


母はとても厳しい人だった。

私がピーマンを食べれないときは食べるまで眠らせてくれなかったり、
財布から100円をくすねたときは顔が腫れるまで叩かれた。
宿題をするまでは外に出してもらえなかったし、
門限は17:00で1分でも遅れると締め出される。
団地暮らしで貧しかったので小遣いやお年玉も少ない。
『親の言うことは絶対で、逆らうことは許さない』と何度も叩きこまれた。

しかし、感情のコントロールが出来ない人だった。

私に施していた教育は母が父(私の祖父)から受けたものと全く同じで、
それに従わない、あるいは思ったより上手くいかないと癇癪を起こす。

掃除機で顔面を殴られたり、ハサミで局部を切るぞと脅され、
「産まなければ良かった」「お前が死んだら地獄行きだ」と叫び、
冬の夜だろうと外に放り出され、夜が明けても家に入れてもらえない事もある。

今でこそ笑い話だが、時代が時代なら間違いなくネグレクトで逮捕だろう。

母の育児への苦悩は大人になってから分かった。

父と結婚する際、勘当同然で家を出て上京。
知り合いも相談できる人もいないまま出産して育児がはじまる。
父は父でお金を稼ぐために、昼は会社、夜はファミレスでバイト。
顔を合わせれば喧嘩が多く、母は毎晩泣いていたそうだ。

世間的に見れば褒められた母親ではないかもしれない。

ただ、私にとっては間違いなく大事な母親だ。
経過はどうあれ、私が一人暮らしを始めた18歳まで必死に育ててくれた。

何より
「自分がされたら嬉しい事を相手にしてあげなさい。
自分がされたら嫌なことは相手にもしてはいけない。」

と一番大事なことを教え込んでくれたのだ。
おかげでこの年まで、人に恥じることなく生きてきたと断言できる。

感謝こそすれ恨みなどない。

それに下の3兄弟には酷い事をしなかった。
理想的な反面教師だったのではないだろうか。

「あれ、苦手なんじゃないの?」と思うだろう。

なぜ苦手なのか。

今回母が号泣したときは、
「辛いときに力になってあげられなくてごめんね。辛かったでしょう。」

電話するごとに
「いい母親じゃなくてごめんね。辛い思いばかりさせたのにこんなに頑張ってて凄いね」
「もっとお金があれば、いい生活させてあげられたのにごめんね」

つまり、昔のことを毎回毎回謝るのだ。

「勝手に俺の子供のころを不幸認定すんじゃねぇ!」
「貧しかったのも、友達少なかったのも、高校中退したのも不幸じゃねぇ!何だったら話のネタになって面接のとき何度も助けられたわ!
おかげで面白い経験いっぱいで楽しい人生歩んでるの!
こっちは『育ててくれてありがとう』としか言えないんだよ!
『私昔は酷かったよねぇ』って酒の肴にするくらいに笑い飛ばしてくれよ!」

と正直に伝えても、毎回謝ってくるから困る。

こればかりは母本人の気持ちになれないから仕方ないか。
とりあえずまた好物のデザートでも贈ろう。

まだまだ元気で長生きしてくれよ。


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