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つらいときには非日常を味わう

PCのデータ整理中に、つい日記を読みふけってしまった。
短いときは1行で終わるくらいの日記だが、13年間書き続けている。

パラパラと読んでて、一番日記が長かったのが4年前の夏だ。
精神的に相当参ってた時期で内容も

  • 仕事から帰る途中、プラットホームに入ってくる電車がキラキラと輝いていてもっと近くで見たいと思った。

  • イライラしてるって分かってる。分かってるから俺はまだ大丈夫。

  • 朝6時半に会社で飯食ってたらいきなり涙出てきた。

と、なかなか笑えない状況だったことがわかる。
今日はその気持ちをどうやって解消したかについて書いていこう。



当時の状況~昔育った団地へ行くまで

この時は、
仕事の問題、新型コロナウィルス、注文住宅建築時のトラブル、
記録的な暑さ。
と相当に精神が追い詰められている状態だった。

散歩や少し遠出して買い物とか、とにかく色々やったけど
どれも解消には至らなかった。
そんな時、昔に住んでいた場所(団地)に行きたい。と無性に思ったのだ。
とにかく藁にもすがる思いだったので、
思いついたことは何でもやってみようと早速実行に移した。
ありがたいことに妻もついて行きたいと言ってくれた。
猛暑の8月、お盆も終わるころである。

休憩できるようなカフェはおろか、コンビニすら珍しいところだったので、
保冷バッグにアイスや飲み物を購入していざ出発。
電車とバスを乗り継ぎ片道1時間半ほどのところである。


猛暑の団地を二人で徘徊する

当時住んでいた団地へ到着した。
正直な感想、あまりにも変わってなさすぎてタイムスリップしたかと思った。

写真を撮りながらゆっくりと歩を進めていく。
猛暑ということもあって、外を出歩いてる人はほとんどいない。
住んでる人はたくさんいるように思う。
聞こえるのは自分達の足音とセミの声だけだった。

人はそこそこ住んでいるようだ


丁寧に手入れされてる

自分が住んでいたのは幼稚園~小学校4年まで。
住んでいた期間としては長くないが、
故郷といわれて思い出すのがここなのはなぜだろう。

階段上ったり
下ったり

友達が住んでいた戸建てがあると表札を見てしまう。

それにしても写真を撮るたびに溜息が漏れる。

普段、ため息はしないように心掛けていた。
他人をあまりいい気分にさせるものではないから。
けど、写真を撮って溜息が漏れる度に、
自分の中の毒のようなものが少しずつ抜けていく実感があった。
毒を少しずつ、丁寧に小さく丸めたものが霧散するような感じ。

自分では意図せず、ふいに嘆息すること。見聞きしたものに憧れ感嘆の念を抱きうっとりした心持ちで発せられることが多い。あるいは、単に徒労感やあきれから発せられる場合もある。

良いほうの溜息だったようだ


本当に誰も見かけない

相当歩き回ったが、昔あったヤマザキ、コープ、駄菓子屋、居酒屋などは
全部潰れてしまっていた。

今ここに住んでいる人は一体どこで買い物しているのだろう。
坂道の多い場所なのでお年寄りにはかなり大変だと思うのだがはたして。

実際、コンビニもなく自販機を探すも苦労したので、
あらかじめ飲み物をもっていかなければ熱中症でぶっ倒れていた。


休みながら夕方前まで歩き回り、相当体力は消耗したが
来る前よりも気持ちはかなりクリアになっていたと思う。

まとめ

どうして昔住んでた場所に行きたいと思ったかは分からない。
昔に戻りたいとか、そんな単純な思いはなかったように思う。

この体験で学んだこととして、
精神的に弱っているときに、~をしたい!と強く思ったときは
あれこれ理由をつけずにやってみる方がいいだろう、
ということ。
もちろん犯罪はダメだよ。

多分、とても切実な魂の叫びだ。

我慢しないで欲しい。
たまには自分に優しくしてあげてください。

自分の故郷を訪れるのはおすすめ。
思い切り昔の気分に浸れるのは非日常感あると思う。

今日はここまで。

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