「菜の花の沖」第4巻の巻 択捉島をめぐる
司馬遼󠄁太郎の筆の力で、私は択捉島まで連れてこられた気がしている。
そこは大自然に抱かれ、海と森と山と魚たちの楽園のようだった。
小説の主人公、高田嘉兵衛は、貧しい淡路島の漁村を飛び出し、江戸時代としては巨大な船を含む何隻もの船を持つ廻船商社となった。
そして、当時寒村だった蝦夷の箱館の港に目をつけ、大きく貿易を始めようとしていたところ、幕府から声がかかった。当時幕府は焦っていた。
蝦夷地唯一の松前藩に任せっきりだった幕府のもとに、情報が上がってきたのだ。
当時のロシア帝国の首都は、今と同じくモスクワ。
シベリアという地域は、地続きでありながら、管理していなかった。
貿易が盛んになり、小動物やラッコなどの毛皮がヨーロッパで盛んに売れるようになり、コサックという民族に、どんどんシベリア奥深くに入らせ、動物を採らせた。コサックは、新しく発見した地域を地図にして、皇帝に進呈したという。
彼らは、その土地を任されるようになり、どんどんと東へ進んだ。
そして左端の半島に到達。
カムチャツカ半島だ。
ここから大小さまざまな島のある千島列島が南西に向って伸びていて、根室までつながっている。
当時の世界は、未開の土地で組織的な大きな集団を持たない部族の場合は、それを発見して、現地の人間に強引でも自分の国の言葉を話させたり、同じ宗教をもたせたりすれば、それは自国の領土であり自国民として宣言することができたらしい。
ロシアのカムチャツカ半島までやってきたコサック達は、次に千島列島を南下してきた。
そして、松前藩が漁場としていた島の港や蝦夷地本土にも彼らが現れるようになってきたが、松前藩は幕府には内密にしていた。介入してほしくなかったからだ。
しかし、様々な情報からそれが知られることになる。
江戸幕府は鎖国をしていて、中国とオランダ以外の国との貿易はしていなかったが、北方のロシアからアイヌ人を経由して、商品が流れるようになってきたことや、そもそもカムチャツカ半島からロシアの南下が蝦夷本土に迫ってきていることに焦りだした。
幕府は、蝦夷を直轄することを決め、千島列島の択捉島にも、しっかりした集落や産業を起こし、ロシアから来ても、ここは江戸幕府の土地であると言えるようにする必要があった。
そうするには、大量の物資を運び、産業を育てられる人材が必要で、幕府は高田嘉兵衛に白羽の矢を立てた。
高田嘉兵衛は船を操る技術も、商売をするセンスもあったが、アイヌ世界に飛び込み、彼らの生活を良くして行くことに、廻船業以上の想いを持ち、それを受け入れた。
極寒の島に暮らすアイヌの人々は、着の身着のまま、時には着るものもない、餓死者も出るようなような生活を当時していたが、高田嘉兵衛達の働きにより、住む家も、調理する道具も、着る服も改善された。
そういう所で第4巻は終わる。
択捉島に暮らすアイヌ人の生活が良くなる、という話の裏を返せば、択捉島以外のアイヌの人々は、特に松前藩に支配されている人々は、未だに相当厳しい生活を強いられているということでもある。
もちろん、ロシア側に支配されて強引に、ギリシャ(ロシア?)正教に入信という手続きを取らされた千島列島の人達も多くはひどい扱いを受けていただろう。
世界中でこういうことが行われていたのかと思うと、気が遠くなる。
そして、この物語では間もなく、択捉島近くで、ロシアと江戸幕府がぶつかるのかもしれない。
現代もなお領土問題である北方領土は、根室の目と鼻の先にあり、日本の喉首に、好戦的な他国の領土があるという恐怖を、改めて思い知らされた。
このロシアのことに関わらず、この物語の中にはまるで今の時代のことを言っているのか、と思うような時代を超えた世界の、そして日本の問題点や特徴があらわれていて、司馬遼󠄁太郎の筆の力に驚かされるばかりだ。
第4巻感想文の最後に。
奴隷のように、時には家畜のように扱われているアイヌの人々をみなさんはどう思うだろうか。
可愛そうだろうか。
もし、今の日本で行われていたら、即座に辞めるように、あなたなりに行動するだろうか。
この巻を読んでいて、アイヌの人々の苦しみがまるで今の外国人労働者とそれを雇っている日本人の関係のように思えてならなかった。
考えさせられる小説だ。
あと2巻で終わる。
ここから先は、結末へのネタバレの恐れがあるので、もし小説への興味のある方は、ご自身が全巻読み終えてから、私の感想を見て頂いたほうがいいかもしれません。
今日も、ご拝読ありがとうございました!