アカウント名を変えました
気がつくと自分の生まれた町、荒川区西尾久で55年も住んでいる。
途中、山小屋や外国人宿で働いたりして、家にいなかった時期が3年ほどあったが、ちょくちょく帰ってきていたので、ずっと、と言っても良いだろう。
継がないと言っていた店を継いで、もうすぐ三十年。
町は5年もするとどんどんと変わる。
私が子供の頃は、商店街の活動だけが唯一で、商店はそこに加盟して、商店街全体の売出しなどをやっていた。
SNSが生まれた頃は、商店街自体も活動が衰退し始めていて、商店街の枠を越えて、商店がつながりやすくなって、やる気のある店同士のネットワークが生まれた。
その後、商店同士のつながりだけではなく、介護や保育、医療など、様々な団体同士も、地域の中でつながるようになった。
家族間のつながりが、昔に比べるとよくも悪くも希薄になったからもあるのか、若い人たちで関心のあることに「地域活性化」「地域おこし」「絆」と言ったキーワードを言う人がすごく増えたことと、使い勝手の良いSNSがあることが、危機感をベースとした相乗効果の一つになっているだろう。
様々な団体が、地域のために活動されている。
いま、私は自分の店で精一杯になり、最新の私の街のことが分からない。
それでも、我が町というものが、どんどん変わっていくものだとしたら、これからどうなっていくのか、天ぷらを揚げながら、空想している。
アカウント名を変えることに今日決めたが、今までの「尾久COMPLEX」は、尾久の街を一つの複合施設と考えて、その魅力を発信していく、というコンセプトで始めたが、昨日、その役目を終えたな、とふと思うことがあった。
ささやかだが嬉しい出来事だった。
いま私がSNSでしていることは、普段の生活の中で考えていること、起きていることを書いているだけだ。
これはこれで意味があると考えて書いているが、それならアカウント名を変えた方が気持ちがいい。
自分にできるかどうかは別として、これからのこの街に必要なのは、三十代から二十代、十代へのバトンタッチと考える。
同世代の広がりはあるが、世代を縦断する、特にこの世代のつながりは薄いままな気がする。
私達の町は、子育て世代と高齢者の街だった。
子育てしやすい街として、その世代の人はいるが、その子供は高校生にもなると、わが町から姿を消す。
大学生や、二十代の人も住んではいるが、寝に帰って来る街だった。
この町に、東京R不動産のプロジェクトがやってきて、空き家が少しずつ若い人に貸し出されるようになった。
彼らは、現代アートであったり、若手の演劇人たちであったり、土をとことん愛して土器を作っている人であったり。
好きである、ということは大事なことで、それを貫くことで、それに呼応した人達が集まってくる。
今まで、わが町にいなかった三十歳ぐらいの人達が、通りを歩くようになった。
若くて、在宅でも仕事ができる人は、交通の便の良いこの町に住んで在宅で働き、昼間にはコンビニの弁当でなくて、持ち帰りの天丼を天ぷら屋に買いに来てくれたりしている。
三十歳ぐらいの人達が、居心地のいい町になって、彼らの想いや商いが順調に行ってくれるといい。
それを見た二十代の人達が、この町で何か自分も始めたいと思ってくれたら。
そして、町の人達も彼らのチャレンジを楽しみ、面白がって、優しい目で受け止められたら。
二十代の人達が、安心して、この町で失敗もしながら、かけがえのない経験をする。
彼らは、一生この町に居なくてもいい。
この町での様々な経験も活かして、いつか地元に帰って、地元になくてはならない店や事業を立ち上げて、活性化する。
あるいは、自分はここに残りの人生を注ぎ込みたいと思える、新たな地域に根を張る。
そして、私達の町も、巣立った彼らが暮らす様々な地域とつながって、お互いに応援し合える関係になれたら。
お互いの天災や人災時に、助け合える関係にも。
私自身ができることはほとんどないが、こうして日々思いついたことは、川の流れのうたかた(泡沫)のように書き込んでいきたい。
Streamingには、そんな意味を込めた。
Streamにはこんな意味がある。
とても良い言葉。
過去から未来へ続くストリームの中に、自分も身を委ね、楽しみたい。
書く内容はこれからも一緒ですので、ご期待なく。
追記、さらにアカウント名を微変更しました。
2/25/2024