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デザインに「才能」は不要、「センス」は必要という話

元WEBデザイナーが、デザインの仕事についてつらつらと書いていきます。今回はデザインにおける才能とセンス、デザインの仕事にセンスは必要か?について語ります。職業訓練・スクールでWEBデザインを学んでいる人、就活中の人に読んでいただければ幸いです。


才能=センスではないし、デザインの仕事に必要というものでもない

才能とセンス、混同されがちな要素ですが、この二つが意味するところをよく分析してみるとその実態はまったくの別物だという事がわかります。

一般的には、才能とは人に生まれつき備わっている素質・適性、センスは人が持ち合わせている感覚・認識能力の事を指していると考えられます。

筆者は、才能はRPGのキャラクターメイキングでいうところの、種族特性やステータスにランダム付与されるボーナスポイントのようなもので先天的なもの、という解釈をしています。また、才能には成長余地、いわゆる「伸びしろ」が存在しているとも考えています。

才能はあったとしても伸ばせる環境、伸ばす努力がなければ宝の持ち腐れになりますし、伸びしろがなければ、ゲーム序盤に出てくる成長率に上限があるチュートリアルキャラみたいに、中盤以降は使えなくなってレギュラー落ち、などという事もあり得ます。

そして、大抵のデザインの仕事において才能は「あるとうれしいけれど、なくても特に困らない」ものでもあります。

才能があると有利になるのは、物事を始める時に大した労力も必要なくすんなりとスタートできる、スタートダッシュをして他を圧倒的に引き離す事が出来る点、才能が必要になるのはクリエイティブの高み、頂上に君臨する一握りになりたいと考え、行動する時位ではないでしょうか。

センスとは後天的要素である

前述のとおり、センスという言葉は人が持ち合わせている感覚・認識能力の事を指していると考えられます。

人間の五感は、生まれたての赤ん坊の時からフル稼働しているわけではなく、成長する過程で発達していくことが知られています。身体的な感覚は五体満足の健康体で生まれたのであれば、誰にでも等しく備わっていて、発達していく過程で後天的に個人差が出るものだと言えるでしょう。

ビジュアルデザインでは視覚を一番使いますが、デザインにおいて「みる」という事はただ単に「目で見る」ことを指しているのではなく、「観察」「認識」「理解」する事を意味しています。デザインにおけるセンスとは、身体的能力としての「感覚」だけでなく、世界を認識し解釈する能力も含まれているといえます。

認識能力は才能と違って後天的に得られるものであり、また経験を積んだり訓練する事で誰でも取得し、伸ばすことができる要素です。「センスがない」と言われてしまう事態は大抵の場合、知識不足、経験不足による認識力、理解力の欠如によって引き起こされています。

デザインにセンスは不要?んなこたーない


「デザインにセンスは不要」

誰が言ったか知らないが、言われてみても全く納得できないこの言葉。筆者の経験した限りでは、デザインの仕事においてセンスが不要かというとそんな事は全くないと言い切れます。

ただし、一般の人が考えているほどにデザインの作業プロセスでセンスが必要とされる部分は実はそれほど多くは無く、重要度も高くはありません。

実績多数の熟練デザイナーで「センスは必要ないです」と説明している人達でも、実は無意識的に「センス」で仕事をしていたりという事があります。

初心者から見ると「だからどうしてそうなるんだよッ!」と突っ込みたくなる位にプロセスに飛躍が見られる、アウトプットの作成プロセスの解説に対して納得のいかないデザインは、大抵「センスという名のブラックボックス」を経由して生み出されています。

厄介な事にセンスというのは感覚値、感覚知であり数値化、言語化するのが難しく、他人と共有する事もできない「正真正銘のブラックボックス」なので、他人に説明しようにも説明するのが不可能な点にあります。

本当は「センス」で仕事してるけど、どのような手段でも伝えようがないので説明省略、あるいは論理的に答えを導きだしているつもりで無意識的にセンスで答えを出していた、という事例もあるのかもしれません。

デザインの分野、プロセスごとに「センス」の重要度、締める割合が異なる

デザインと言ってもその内容・分野は意外と広いものです。最近では特にデザインという言葉の指し示すものがより広義になってきています。

かつては「デザイン=意匠の設計」という意味でしたが、現代では「デザイン=物事の設計」という意味で広く用いられるようになっており、かつてのデザインという言葉の印象からは想像できないような仕事にも、デザインという言葉が当てはめられるようになってきています。

それゆえ、デザインの仕事でのセンスの必要・不要、仕事に占める重要度、割合も、デザインの分野やデザインプロセスごとに異なってくるという事が起こってきています。

センス不要論を唱える人達は、グランドデザイン、デザインシステム、デザインガイドラインの構築、企画・ブランディング、コンサルティング、UX、情報設計等のコンセプトワークがメインになる「デザイン」をやっている人に多く見られます。

一方、センス必要論を唱える人達は、グラフィックデザイン、ファッションデザイン、ホームページ、LP、バナー等の広告要素の強いWEBデザイン等、デザインプロセスのうち、アートワークがメインになる人に多く見られます。

どのデザインの分野に関わるか、デザインプロセスのどこに関わるか、どのようなレイヤーに属して、何を見ているのか、見なければならないか?どのようなアプローチが望ましいのか?によって、デザインの仕事におけるセンスの重要度、割合は変わってきます。

デザインプロセスのどこにセンスが必要か?

コンセプトワークにおいては、コミュニケーションに関わる部分、人の心の琴線に触れる部分で、センスの中でも特に同調、共感が必要とされるシーンが多いと思います。

アートワークにおいては、特にコンセプト(言語)をビジュアルや形状に落とし込む作業で、造形、色彩、空間感覚が必要になる事が多いと思います。

どちらの場合も全てのデザインプロセスのうち、センスが必要になるのはごく一部、人によっては「理論9割、センス1割」などと言ったりもしますが、その「1割」がものすごく濃縮されたハイレベルなものを要求されている、という事も多々あります。

まったく感覚に頼らなくて良いなら完全平準化、完全機械化できていいはずでは?

誰かが作ったデザインシステムに則って規則的・機械的作業をするのであればセンスは不要なのかもしれませんが、ゼロからイチを作る作業、人の心を動かすようなもの、人の感覚、感情的な部分に関わるものを作らなければならない時、まったくセンスが不要かと言われると、それは否定せざるを得ないと思います。

どうもそのあたりが正しく伝わっていないのか、はたまた意図的に隠されて伝えられているのか、100%理屈だけでデザインは成立する、理屈さえ覚えれば仕事になると極端な解釈をする人が後を絶ちません。

そもそも感覚的な仕事に頼らざるを得ない部分がまったくないのであれば、体系化、マニュアル化して誰でも簡単にできる仕事になるはずですし、完全機械化も可能なはずですが、実際は体系化、マニュアル化を図っても平準化できずに属人的な部分を残したままですし、生成AIをもってしても完全機械化の実現は現状できていません。

「デザインにセンスは不要」という言葉を聞いても額面通りに受け取らず、デザインの分野、プロセスにはいまだにセンスを使わないと解決できない部分を残しているが、その事を理解していないか、あるいは触れようとしていないのかもしれないと捉えた方が良いでしょう。

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