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すぐに“わかった”と言わなくていい

少し難しい、答えがあまりはっきりしないような話をした時にも、
すぐに“わかった”、“わかりました”と言ってしまう人。
時々いるけれども、これに不安を抱く。

なんでもかんでもすぐに“わからなくていい”から、
自分の今意識できること以上のことまで考えられる姿勢でいてほしい。


〇少し難しい話とは

私は教育に関わりのあるところにいるので、
そこに通じる内容や方向性のことが多い。

(教育的なこと以外にもいろいろと通じるところはあると思うので、
 伝わる人には伝わると思っている。)

まあ答えのないような問い人によって答えが異なる問い
そういうものはたくさんある。

例えば、どんな授業をしたい?、とか
自分が大事にしていることはなんだと思う?、とか。
そういった抽象的な問い

もしかしたら意外だと感じる人もいるのかもしれないが、
こういったことは人によって、先生によってそれなりに違う。


〇答えを聞いているわけではない

抽象的な問いについて手も足も出ず、
わかりません、となってしまう人はそれなりにいるだろう。

日頃からそういったことに接点や関心がなければ難しい。

まあ誰もが何にでも関心を持っているわけではないので、
感覚的に自分の関心事になっていなければ厳しい場合もあるだろう。

ではその渦中にいる場合はどうだろうか。
例えば、自分の仕事や趣味や生活などに関係がある、というような。

わかった、と言うかどうかは別として、
こういう問いが浮かび上がった時にこう思いましたこう考えました、
と述べられる人もいる。

そうやって言葉にすることで自分の考えを整理したり、
意識できるようにしていくのにはいいだろう。

だが、言葉にすると今度はそこに落ち着きそうになることも多い。
きっかけがなければ、思考停止することもあるだろう。

誰もがそうではないが、
一度考えて、こうかなーとなるとそれで納得してしまう人や、
日頃から考え事をする癖がない人だと、
それ以上のことに考えが向かない人も多い。

その場限りの自己理解を示そうとする。
また、自己理解への関心が薄い人は
まるでこちらに説明するような感じになることもある。

私はその人の“答え”を知りたいから聞いているのではない。
その人に考えてほしいことを伝えるために聞いているのだ。


〇“わかった”に対する不安

わかった、と思うことは私にとっては難しいことだ。

その言葉は、
今自分の中にあるものでそのことをしっかりと認識できる
という意味だと感じるから。

わかった、と思っていたら、そこで完結してしまうかもしれない。
わかった、と言ってしまえば、相手に十分認識していると宣言してしまう。

自分がこの先得る経験や学び、見識などから
それまでの認識が変わることもある
だろう。
まあそれ自体は構わない。望むところだ。

わかったと思ってしまったことで
自分が新しい認識を受け入れにくくなるかもしれない。

わかったと言ってしまったことで、
自分と相手の認識のズレを見過ごしてしまうかもしれない。

だから、わかったと思い込まない
いつでも、こうかもしれない、違うかもしれない、
その間をふらふらとしていることが最も真摯だと感じる。


〇“わかった”と言わなくていい

実際のところ何かちょっと小難しいことを問われたり、
しばらく話をしていった先でどうだろう?と考えることについて
わからないと答えるのは不安がある人もいるだろう。

わかった、と言えば自分も相手も安心できる、そういう面もあるだろう。

「こんなに言ったのにわからないの!?」
と私が言うことはないが、まあそういう反応を想起するのだろうか。
実際、そういう反応をする人もいるだろう。

単純な問いと答えの関係と、そのやり取りに慣れ過ぎている
といってもいいかもしれない。

もちろん、自分の考えを言葉にしていくことで
自分の考えや認識を整理したり明確にしたりすることができるので
ただ単に、わからないと答えてほしいということでもない。

私が思っていることは、
今の自分が持っている経験や知識や考えや意識などの外側
まだ今の自分が知らないところに、
自分にとって、誰かにとってより相応しい何かがあるのではないか?
ということを見つめてほしい。

だから、今のあなたを認識を知りたいのではない。
今思っていることはわざわざ言ってくれなくてもいいから、
今考えていることにはまだ先があるから、それを考えながら過ごして。
とお願いする。

実際のところ、その人がわかったと言うか、わからないと言うかは
その人の物事の理解の尺度として特に明確ではない。

認識が深まってわからない言う人もいれば、
認識が浅いためにわかったと言う人もいる。
だから、私にとって“わかった”はその人の自己認識の指標でしかない

定まった答えのないことに対して、
その人なりの答えを見つけるために何をするのか、
どのようにして近づいていくのかは人によるだろう。

だが、“わかった”と口にすることで、
どこかで自分を騙してしまっていないだろうか


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