生産性向上メリットはサプライチェーンの上流に集約される? 〜 中小企業向け設備投資税制の効果検証
一橋大学と帝国データバンクが設立した、 一橋大学経済学研究科 帝国データバンク企業・経済高度実証研究センター(TDB-CAREE)の研究成果をご紹介するシリーズ第7弾です。
ディスカッションペーパー「Cascades of Tax Policy through Production Networks : Evidence from Japan」の概要を、研究者へのインタビューと合わせてご紹介します。
TDB-CAREEでは、企業のミクロデータを元にさまざまな研究が行われています。
こちらのnoteでもたびたび紹介してきたように、政策の効果をデータで検証することはEBPM(Evidence-Based Policy Making)と呼ばれ、より効果的な政策を検討するために、アカデミック研究が重要になる方法の一つです。
今回紹介する小泉先生の研究は、中小企業向けに設備投資を促す税政策の効果を検証するものです。
税制優遇の政策は、補助金などのように即時に経済効果を得られるものではありませんが、多くは通常の会計処理の中で恩恵を受けられるため、利用手続きが比較的簡単に済み、経営計画にも組込みやすいと言われています。
また、行政にとっても、きちんと事業実態のある企業を対象にすることができる点でメリットがあります。
特に設備投資の費用について税金負担を軽くするような政策・税制度は、中小企業が積極的に生産環境を改善して生産性を高めていけるよう、日本だけではなく世界各国で行われています。コロナ禍では、経済活動が停滞する中で投資を促し、既存事業の生産性を高めたり、より適した事業形態をとれるようにするための施策としてもよく採用されてきました。
公共経済学と中小企業向け税制優遇
小泉先生が専門とする公共経済学は、政策が社会や経済に与える影響を分析し、より効果的な政策の設計を行う学問です。
小泉先生は、公共経済学として、特に税制や政策が企業に与える影響を研究しています。また、労働経済学的な観点から、労働者の成果やスキルに運がどの程度作用するかといったテーマにも取り組んでおり、幅広く社会課題に関心を持って研究を進めています。
中小企業向け税制優遇は、経済の公平性を高め、市場の機能を改善する政策としてとらえられており、まさに公共経済学の研究対象です。
参考:能力と功績のどれくらいが運によるものか?バタフライ効果の実証研究(RIETI)
経済刺激策としての設備投資に対する特別償却税制
このディスカッションペーパーで取り上げている中小企業向けの設備投資税制は、日本政府が1998年6月に導入したものです(*)。
この政策の目的は、中小企業に設備投資を促して生産性を向上させ、経済を活性化させることでした。
対象となる企業は、設備の基準取得価額の30%の特別償却か、7%の税額控除を選ぶことができます。前者では特に設備投資を行った初年度の税負担がかなり軽くなります。
実際に、財務省の報告などによると、制度利用企業の95%は特別償却を選んでおり、初年度に大きな効果を得られる特別償却の方が好まれているという結果でした。
* 中小企業投資促進税制(中小企業者等が機械等を取得した場合の特別償却又は税額控除)
中小企業を対象とした設備投資に対する特別償却税制は、日本だけでなく世界各国で行われている政策です。設備投資需要を生むことで、税制の直接対象となる中小企業だけでなく、サプライチェーンを通じて取引企業にも商機が生まれることが期待できるため、有効な景気刺激策と見なされてきました。
特にコロナ禍で経済活動が冷え込んだ2020年からの数年間においては、アメリカのCARES法のように、企業のキャッシュフローを改善し救済することを目的とした特別償却が設定されることもありました。
ただ、どんなに有効と思われる政策であっても、実際の効果検証にはさまざまな要因が絡み、難しいものです。
利用者に対してアンケートを行うと、当然、利用している立場から「効果あり」「役立ってます」というポジティブな反応が上がってきがちです。現場の声という意味での価値はありますが、社会的な効果を測るためには、信頼のおけるデータを元に検証を行う必要があります。
こうした考え方を「EBPM(Evidence-Based Policy Making)」とよび、日本語では「証拠に基づく政策決定」と訳されて、これに関わる経済研究が重要視されてきています。
小泉先生の研究は、TDBの持つ企業の取引関係データと財務情報を利用して、この特別償却がどのような効果をあげているかを検証したものです。
設備投資によるサプライチェーン活性化への期待
企業が設備投資をすることで高まった生産性は、仕入れと供給を行うサプライチェーンを通じて取引関係にある企業にもプラスの経済効果をもたらすと期待されていました。
特別償却による経済刺激効果についての仮説は次の通りです。
特別償却による経済刺激効果についての仮説
直接的効果:
設備投資を行った中小企業が生産量や品質を改善して売上を増加させる。
間接的効果:
1)サプライチェーンの上流(サプライヤー)は設備・原材料の販売機会が増え、売上が増加する。
2)サプライチェーンの下流(カスタマー)は、供給量が増えることで安価・大量に仕入れができ、製品販売の機会が増えて売上が増加する。
経済活動の活性化は、各企業の売上や従業員数など、財務情報の変化を指標として観察することができます。
小泉先生は、特別償却を利用した企業群(処置群)と影響を受けなかった企業群(対照群)について、政策の導入前後(1993年〜2003年)の財務情報を比較分析しました。
大手サプライヤーに経済効果が集中してしまう理由
分析の対象となったのは、1993年から2003年までの財務情報が揃っている企業、424,367社です。
先の仮説については、それぞれ次の通りの検証結果が得られました。
検証結果
直接的効果:
あり。税制優遇を受けた企業の売上は約4〜5%増加。
間接的効果:
1)サプライチェーンの上流(サプライヤー)には効果あり。
2)サプライチェーンの下流(カスタマー)には効果があるとは言えない。(=統計的に有意ではなかった)
小泉先生は、サプライチェーンの下流に対して波及効果がなかったのは意外だったと言います。
「原材料の価格が安くなってコストが下がるので、全体として見れば、カスタマー企業も恩恵を受けるだろうという理論的予測があったんですよね。
ところが、そういう効果は見られませんでした。
商品の販売価格そのものはデータとしてはないんですけど、より安価に作れて多く販売できるようになれば売上が伸びるはずですよね。でも、サプライチェーンの下流企業の売上は増えていなかった。
だから、優遇税制の波及効果は、お客様には還元されていなかったっていうことなんですね。」(小泉先生)
政策として、対象企業への効果がなかったわけではありません。
ただ、政策の目指す効果と実際の結果とのズレについて、小泉先生はさらに続けて指摘します。
「 税制の対象となった企業よりも、実はサプライチェーンの上流に位置している企業が受けた間接的な効果の方が大きかったようです。
で、さらに言うと、上流に位置する大手企業は、この間接的効果を集めやすいんです。それというのも、シェアの大きな企業であれば、特別税制で増えた需要に対して、価格をコントロールして販売することができるからなんですね。
中小企業向けの政策から、実は大企業の方が恩恵を受けているというのは、ちょっと違和感がありますよね。」(小泉先生)
今後の研究について
今回の研究では、中小企業ではなく大企業に政策効果が集中していたことがわかりました。
不公平というわけではありませんが、中小企業向け制度としては、本来の趣旨の実現からは外れたところに効果が出ているとも言えます。
経済刺激策としての効果や、中小企業への支援という面で考えると、中小企業によりダイレクトに働きかける制度設計が必要なのかもしれないと、小泉先生は言います。
今後の研究としては、こうした公共経済学の視点を持ちつつ、税制に関連するものとして、ふるさと納税について研究をはじめているそうです。
「税制について、今回の研究で得た知見を活かせたらと思っています。」とのことでした。
https://hdl.handle.net/10086/82058
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