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優しさの上に正義感は成り立つ

ジャーナリスト伊藤詩織さんの記事とそれに対するコメントを読んだ。
びっくりするのがほとんどが悪口だった。

こんなにも酷い言葉が多い事に驚いた。読んでいるとみな主観と事実、そして批判と非難の違いがわかっていないように思う。

批判はありだと思うが誹謗中傷、それも自分の身元をあかさない状態での単なる悪口を言う人は私は嫌いだ。

自称ジャーナリスト
ジャーナリスト笑わせる
女性の武器を最大限使って仕事した
小学生感想文程度の文章力
その辺の輩のbba
徹底的に叩き潰さなければ、この手のエセジャーナリストが蔓延る!
生でやっちまったぜ!畜生!と英語で叫んで部屋を出た
まくら営業、失敗して逆ギレして男性を訴えた女性
ドスケベ女

これらは事実ではなく、本人の主観であり非難であり、誹謗中傷だと思う。誹謗中傷の酷さについてのニュースがあるにも関わらずなぜこんなに酷い言葉を実際会った事もない人にそれもうちわの会話でなく、自分身元を明かさないコメント欄に投げかけるのだろう。
そして、これらを書いた人間はその人を目の前にしたら何も言えない人たちだと思う。

そして小学生程度の文章力と書いている人には自分はどうなのかその人の文章をみてみたい。少なくとも短文で投稿されていた文章から文章力は読み取れない。相手以上の実力もないのに、人の事をいう人たちが多いように私は思う。

陰で、自分の身元を明かさない状態で悪口を言う人たちや、本人目の前では何も言えない人たちには、あなた達には所詮ものをいう資格はないと私は言いたい。

陰でしか言えない、そして物事を、変えようともしない人達は悲しい人だと思う。

出る杭は打たれる。そしてそうやって人を潰して本人は善人のフリをしている。そんな輩が私は大嫌いだ。

"海外支局のトップと名もないただのバイト夜に2人で酒飲んだらまあ、そういうことだよね?"

上記のような言葉を書く人が多くいることが問題だと思う。どうして夜2人でお酒を飲めばセックスすることになるのだろうか。
そもそもこの思考回路が問題だと思う。

そんな事考えてない男性がいる。そんな事考えていない役席の人がいる。

それを自分たちの狭い思考の中で一緒にする事は失礼だと思う。

自分の言葉が人を傷つけることに気づくことができる人とそうでない人との差は大きい。こんな人たちが同じ人間である事は悲しいと思うが、所詮この程度の言葉しか他人に投げられない人なのだとも思う。

もしかしたら私が書いている内容も批判じゃん、誹謗中傷じゃんという人がいるのかもしれない。誹謗中傷と意見の境目とはどこだろうと考えてみた。

誹謗中傷とは特定の人の事を悪く言い、人格否定をしたり相手を傷つけたりすることではないだろうか。

意見はここでは批判のことを指していると思う。批判的な意見は必要なものだと思っている。物事について自分の考えを述べ、自分は違う角度から物をみている事だ。根拠、背景、理由があり自分はあなたとは違う意見だと言うことが批判だ。

ここでは特に特定の人に対して事実無言であり根拠不明確な事柄を投げかけて相手を傷つけることが問題だと私は思う。

その境が不確かな状態で自分は正しいと言葉を投げる事は恐ろしいことだと思う。同時に私もそんな部分を持っていることを自覚する。私の中の自分勝手な正義感は時折暴れる。

今回のこの内容についても自分が関心を持っているから目についたものだ。そしてそれはどうなんだ?!と自分の正義感からこの文章を書いている。

正義感も気をつけなければならない。行きすぎると想定以上に人を傷つける。

特定の人を殺したいほど憎んでおり相手を陥れたい、死んで欲しい、廃人になって欲しい、そしてその責任も持つつもりなら、正義感で人を傷つけるのはありだと思う。

でも中途半端な気持ちで軽い気持ちで投稿するのはいただけないと私は思っている。人を傷つける事は軽い気持ちではして欲しくない。軽いノリでして欲しくない。そんなになるとは思わなかったと後で言わないで欲しい。

あなたの軽い気持ちのせいで死ぬ人がいる。あなたの何気ない行動で正常ではなくなる人がいる。そんな事をわかったうえでやっているのか。

優しさの上に正義は成り立つのだと私は思っている。言っている事が矛盾しているかもしれない。でも私は思う。優しい正義感を持てる人に私はなりたい。






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