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社会持続性への警鐘/出産への敬意を忘れつつある世界で

子供を育てるということの社会性

僕の中の生真面目くんが書かずにいられないようなので書きますが、子供をもつということは女性は非常にリスクを負います。そして人間のように少数を生み、成体になるまでに時間も保護も必要な種類の動物では、両親ともに自らのリソースを注いでいます。

これほど高リスクな行動を、その社会集団の多数派が行い続けることが、社会を構成し続けるためには必須です。

なぜ社会に持続性を持たせるのかといえば、安全・インフラ・公共財等を維持管理し続け、集団としての生存率を上げるためです。また現代日本において高齢世代の社会保険は現役世代が支える仕組みをとっています。つまり、よりその人口数を維持拡大することの重要性は増してきています。

つまり(集団が)生きるために多数派を占めるつがいたちがリスクを負っているのです。

この出生が持つ社会性的意義を保護するものがないということが現在の少子化を押しすすめています。


現在の少子化の原因

少子化は、晩婚化と個の人権を尊重した恋愛結婚至上主義によるものであることは明白です。それに若年世代の貧困が加速度をかけています。

かつて結婚とは家と家との結びつきでした。それが団塊の世代の適婚期ごろからリベラル色が増し、個人同士の結びつきへと変化していきました。家同士の結びつきであれば、家を維持する力が、両親や地域ネットワークを通じて働き、お見合いのような形で成婚率を上げていきました。

また、結婚をし子供を成すということが成人した一人前の男女として社会に受け入れられるというインセンティブも働いたことでしょう。

個々の感情のつながりとしての結婚となるにつれ、恋愛や結婚そして出産は個々の意志が尊重されるようになりました。これ自体は一見、個々の権利としては前進した面もありますが、社会の継続性という面から外からの圧力がなくなったことで、あえてそれを選ぶインセンティブを徐々に失わせることとなりました。


そして現在の世界

今、恋愛や結婚そして出産は、相手の意志を尊重し、お互いの性にとっての贅沢品となりつつあります。

本来、社会を維持するリスクを抱えてくれたつがいの相対的貧困を、人生プランを予定通り進められなかった個体がその分のリソースを無駄遣いしながらあざ笑うという皮肉な若年層同士の内ゲバコメディが生じています。

それぞれの理由はあるでしょう。しかし実際に生じているのは尊重されるべき若い世代を多数派の老人たちが苛め抜くいびつすぎる社会です。

今の世界はかつての社会的規範に生きる者たちによって首の皮一枚ギリギリでつながっています。


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