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学校に行けない娘との生活

彼女に変化が見られたのは小学1年生の初秋。

突然学校に行けなくなった。

学校でのトラブルや友人関係の問題も見当たらない。家庭環境で言うならば、主人の異動があって自宅に帰って来なくなったことくらい。

県外出張が多くなり、単身赴任状態に。長期の休みに戻ってくるも、本社の人手不足から夜勤もするようになり、会社近くの実家で生活していた。私も平日はフルタイムで働いていたし、娘の他にも年長の息子と、年少の娘がいた。私たちの休みは土日だけど、主人の休みは水曜。どうしても生活にズレが出てしまうので休みの時には私たちが実家に行くようになった。だから主人と会えるのは年に数回。

そんな環境になったということ。

しばらく狂ったように叫び泣き喚く生活が始まった。学校に行きたいのか、行きたくないのか、どうしたいのか彼女が言語化するのは難しかった。

それを2ヶ月ほど繰り返すと、また普通に学校に行き始めた。なんだったのだろうというくらい普通に。

2年生は何事もなく過ぎて、行き渋りがあったことを忘れるくらい元気に通った。

再び異変があったのは、3年生の秋。

10日ほど家族で沖縄へ旅をしてからまた行けなくなった。以前と違うのは、自分の言葉で休むと言えたこと。本人の理由としては恥ずかしくて行けないということ。

しかし、毎朝行きたいと泣く。みんなに会いたい、勉強したいと。行きたくないならまだしも、行きたいのに行けない。その意味がわからず、どうにか行かせるよう努力した。泣き叫ぶ彼女を無理やり連れて行ったこっもあった。

しかしそれが彼女にとっていいことだとも思えなかった。だから私は、彼女が休むと決めたなら、それに従うことにした。学校にもその旨を伝えて、学校とも繋がっていたいし、休むと言った彼女なた意思も尊重したいということも伝えた。

その頃の彼女は、こだわりも強く、洋服も2着しかきれなかった。毎日何時間も泣き叫ぶ毎日だった。

病院を受診したり、カウンセリングにも通わせたいと思ったが、人と会うことを極端に嫌がり、通っていたスイミングもやめてしまった。ピアノも徐々に行けなくなり、何ヶ月も欠席状態になった。それなのに、クラスの友だちに会えば、キャッキャうふふと一緒に遊び、夕方になれば外に飛び出して、お友だちや家族と遊ぶ。

学校の勉強にもついていけなくなり、勉強をやめた。動物について何冊も何冊も本を読み、生態についてまとめたり。毎日キッチンに立ち料理を作り、レシピを書き起こす。

私は義務教育を終えて、高校、大学と進み、就職した。だけど、彼女はそのレールとか違う道を歩こうとしていた。全く理解できない。そんな彼女との生活です。

最後までお読みいただきありがとうございます。プラクーチェの活動を知っていただく機会となったら嬉しいです。