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あの時の話をしようか

今更だけど、あの時の話をしよう。

そう、noteを始めたあの時のことを。

なぜ始めれたのか。

「とりあえずやってみた」といっているものの、一目散に始められたわけではない。

恐さもあった。
それは、自分の思いを表現することの恐さだった。
いまでこそ、思うことを自由に書けるようになったけど、当初は、地元や大学の同期や先輩後輩から、「粋がってブログなんかやんなよ」とか、「変わっちまったな」とか思われるのが何か嫌で、めちゃくちゃ気にした。

「ブログを書いてみたい」の好奇心、興味本位が100%の状態で突っ込んだ訳ではなかったんだ。

だけど、それでも始めた。

それは、大学にいる周りの人の声があったから。
別に何を書くとか話してはなかったし、自分自身決めてもなかった。
けど、面白そうじゃん!やってみれば?と勧めてくれる人がいた。
その人たちのおかげだと思う。それがなかったら「やってみたいなあ」だけで終わってたかも。

ま、今だからこそ思うんだろうけど、恐い恐いといいながらも、そこまで考えてなかったってのもあるかもしれない。周りを気にすることよりも、案外、自分の好奇心や興味が勝ったと言うか、そんなやらない理由を探す間もなく、始めちゃったというか。(笑)

それら全部含めて、とりあえずやってみた。の表現が正しいのかなって思う。

これはブログに限らない。そして僕だけのことじゃない。
それぞれ何か自分のやりたいこと、興味のあること。

それらを始める時、一歩踏み出す時、どうしても不安はある。
なかなか取っ掛かりにくいこともある。

全部が全部、好奇心が勝るとは限らないし、いざやる!となると腰が重くなったりもするだろう。

でも、やらない理由を探し始めたら、思考はどんどんそっち(やらない方)に流れて行ってしまう。

僕の場合、noteの存在を知って、投稿するまでのスピードは速かったと思う。まず調べて、どうやってアカウント作って投稿するかだけ把握し、その次には書き始めた。文字を太くしたり、小見出しつけたりなどの詳しい操作はやりながらだった。

やる方向へ、「まず始めるという勢い」でもっていけたんだと思う。

結構大がかりなチャレンジだったりは、勿論下準備、入念な準備をして挑まなければいけないこともあるけど、何か日頃の生活の中でのちょっとした、やってみたいな!と思うことなどがある人は、是非スピード感を大事にしてチャレンジしてみて欲しい。


それで、ダメだったら辞めればいいだけの話だ。
それは妥協とも紙一重だけどね。
どうしても続けられない理由があれば、やめればいい。

その判断までの自分の取り組みは、やってみてわかったひとつの収穫であり学びだ。

失敗することも、上手くいかないこともある。
でもそれはやってみないとわからなかったこと。
だから、続けるかどうかなんて自分で判断するしかない。
周りに公言して続けろとか言ってたのに何?と思うかもしれないが、それでやめるのに抵抗を感じるのなら、続けれるってことじゃない?

そこは、自分で納得できるものがあるかを自分自身に聞いて判断してほしい。


人生一度しかない。そしてそれは自分の人生だ。
だから何度もトライ&エラーを繰り返して色んな経験をして、自分にとっての面白いストーリーを作って謳歌したいものだ。


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