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心の声に耳を澄まして【vol.246】

「どう生きるべきかじゃなくて、どう生きたいかを考えろよ。」

皆さんこんばんは、やってきましたお言葉シリーズ。

実は今、アマゾンプライムで「東京ラブストーリー2020」を観ておりまして。たまたま見つけた作品で、概要欄を見ると、何と主人公は地元愛媛から上京してくるという自分と同じ境遇。それで観る気になりました。(笑)

何か、東京に出てきたときの高層ビルを眺めて「すげー!」って思う感じや、東京に対するイメージの持ち方などが自分と被ってハマりました。(笑)
良かったら、観てみてください!

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で、本題に入ります。主人公とは違う人ですが、セリフの中に言葉があったわけです。

「どう生きるべきかじゃなくて、どう生きたいかを考えろよ。」

「should」じゃなくて「want」ね。
って英語に変換した意図は特にない。(笑)

これまでたくさんの選択をしてきたし、今もなお、何を書くかどう文章で表現すべきかの選択をしている。
また、「選択」に関する考えを記事にもした。

今回の言葉に通ずるものとしては、「選択」のみならず、「人生」「人生観」にも幅が広がるだろう。

自分自身もよくあることではあるが、何か決断をするとき、
「こうしたい」より、「こうすべき」という判断基準が先に出てきてしまう。
それは、後者は実現可能性を視野にいれた上での判断だったり、周りからの目、世間体を気にした中での選択になってしまうことが多い。
つまり、判断するのは自分にあるものの、判断の軸は他者、周りに左右されている状態。
そして、前者はというと、判断の軸は自分の感情の中にあるような気がする。

どちらも自分で判断している事には違いはない。
「こうしたい」の中にも、深掘りすれば、「こう見られたい自分がいてだからこうすべき」という考えもあるのかもしれない。

ただ、この言葉からは、「自分の人生、自分の意思で決めろ(決断しろ)。」という思いが伝わってくる。


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自分自身に問いかけてみた。
昨年の自分を、そして、今年の元日を思い出した。
今、自分のやりたいことは何なのか。
これを問い続けた。周りが就職活動をしている中、自分もつられてやっていた。
色んな人に相談し、相談のアポを取って、気を紛らわせようとしていた。
自分の中では、はっきりと「やりたいこと」があったはずなのに。
元日。決心した。
「覚悟をもって挑戦する」ということ。
こうして、就職活動をしない選択をしたのだった。

正に、「こうするべき」の判断から「こうしたい」の判断に変わった日だった。
ずっとモヤモヤしていた。自分の中では決まっているはずなのに、なかなか行動は踏ん切りをつけられぬままだった。

そんな日々のことを、この言葉を聞いて思い出した。

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皆は「すべき、したい」どちらを判断軸にしているだろうか。

僕は、全ての判断が、「したい」じゃなくてもいいと思っている。
寧ろ、そうじゃないとただの我儘になる気もするし。
けど、自分の譲れない部分に関しては、欲望、感情、直感に従っていいと思う。

「したい」の判断ができた先には、じゃあそのために何を「すべきか」が見えてくると思う。

どちらか1つという考え方じゃなくて、優先順位の話なのかもしれない。


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人それぞれ考え方、価値観があって、自分の身のまわりの人すべてが否定的、反対に、全員が肯定してくれることなんてない。

ああいえばこういう。そんな人も少なからずいるだろう。

自分もそれは実感している。
「そこを気にして選択を変えるくらいなら、自分もそこまで。」
そんな具合で割り切っている。

心の声に耳を澄まして。
自分の決断を正解だと思えるように走ればいいんじゃない?

fin.

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