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写真を撮る目的とは

今回は撮影後記ではなく”写真との向き合い方”について、僕が思い至ったことを書かせていただきます。


写真を撮る動作

まず今、この記事を読んでくださっているあなたへ質問です!
あなたは写真を撮りますか?
どんな写真を撮りますか?




今ではスマホに一眼にも負けないような高性能なカメラが付いている時代、誰でもどんな時でも手軽に写真を撮ることができます。


先程の質問ですが、ひとえに写真と言っても色々あります。
証明写真から記念写真、はたまた趣味で撮る風景写真まで。

その中でも趣味で撮る写真はあくまで趣味の範疇なので自由度が高いです。
何をどう撮るも撮る人の自由。
憲法で表現の自由が尊重されている国ですからー


しかし自由に撮る中でも”目的”が無ければ、ただシャッターを押す作業になってしまいます。

写真というのは撮った人の気持ちや伝えたいことも被写体とともに写し出されると僕は思っています。
そもそも何をどう伝えたいかという考えがなければ、中身のない写真が生まれます。
そんな写真で見た人は惹かれるでしょうか?


先達に学ぶ

僕が今のカメラを買って間もない一昨年の5月に上京した際、カメラの試し撮りをしました。習熟撮影ですね

たまたま神田祭があったので日本橋(にほんばし)三越前の沿道でお神輿が来るのを待っていました。


すると近くにいたクラシックなフィルムカメラを持ったおじいさんが僕に話しかけてきたので、僕はカメラを買ったばかりで慣らし撮影をしていることを伝えるとー

「写真を撮るにはまず目的を持たないとダメだよ」
「例えどんな目的でもいいけどさ。じゃないといくらカメラ構えたっていつまで経っても良い写真は撮れねぇぞ笑」
「とはいえ写真は撮ることが楽しくて続けられる趣味だからまずは楽しく撮ること」
とおっしゃいました。


まだ本格的にカメラを構え始めて間もない当時の僕は、内心そうなのか〜と思って言われるがままでしたが、今振り返れば核心を突いていると思います。

ある程度撮り続けると皆、その域に達するのでしょうか。
僕にはあのおじいさんがカメラの仙人に思えました



目的は何か?

カメラで写真を撮る”目的は人それぞれ”です。
旅行先の風景を記念に撮る人もいれば、子どもが生まれれば日々の成長記録として撮るでしょう。

ただ、おおよその場合は撮った後にどうしたいかという何か別の着地点(目的)があるはずです。
旅行で撮った写真ならSNSでシェアするとか、子どもの成長記録なら撮った写真をアルバムにまとめるとか。

撮るということが目的ではなく手段で、撮った後に本来の目的を果たして初めて写真を撮る意義が完結すると僕は思う。

となると、目的を果たすような撮り方をしないといけない訳で…

撮る目的をあらかじめ明確にして念頭に置いてからカメラを構え、ファインダーを覗いてシャッターを切る
この流れが写真を撮る上での理想像であり”本質”でないかなと僕は考えます。(知らんけど)

どんな事でもそうなんですが、物事に没入すればするほど周りが見えなくなって目的と手段を履き違えがちですよね。
特に写真撮影では撮りたい気持ちが先走ってしまうと余計に。
シャッターチャンスはいつだって待ってくれないし。

一歩引いて物事を考える基本に立ち返る大切さみたいなのを今書きながら再認識しているんですが、改めて考えると僕が今まで写真を撮ってきた目的ってなんなんだろう


当時の目的と今考える目的に乖離があるのかもしれない。

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