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寄り添うこと

久しぶりに思い出したことがある。

私は高校3年生の時、
アメリカへ1年間留学した。
もちろん、自分の意思で、
自分で選んで決めたことだった。
だけど、そこで過ごした1年は、
エンジョイとは程遠く、
つらく過酷な日々だった。

英語はもちろん全然できないし、
しかもシニアイヤーに入ったもんだから、
内容はちんぷんかん
すでに青春を送ってきた仲間の中には入れないし、
みんな大人っぽくてとても近寄りがたかった。


授業の時は、必ず一番前に座った。
後ろから、同級生を見るのが嫌だったから。
それに、一番前なら先生にすぐに聞けるし。
これがあの場所で学校生活を過ごす術だった。

日本の東京で、
好きな時に、電車に乗って出かけられ、
自由な生活をしていた私は、
アメリカの田舎での生活は
急に自由を奪われた気持ちだった
行動の自由
ことばの自由
生活の自由
そらが不自由になったことが
もっとも辛かったことかもしれない。


そんなことを思い出すきっかけになったのは、
息子の学校に、
半年前に日本から転入してきたという
高校1年生のお母さんと話したからだ。

お母さんは、お子さんがよく頑張っていると思うと仰っていた。
お子さんも、「Sicenceでこんなの英語でわからなくない?!」
と言っている、と言っていた。

私にもそんな人が欲しかった!

そんな風に、頑張りを認めてくれて
「できないよ、無理じゃない?!」と言える大人


当時は、国際電話も高かったし、
インターネットはほとんど普及していなかった。
ホストファミリーはいたけれど、
正直、あの生活に寄り添ってくれる大人はほとんどいなかった。
時々、面倒見の良い気のいい先生が、
気にかけてくれた。
2件目のホストファミリーは優しかったけど、
寄り添ってくれる、とは少し違ったかも。

だからかな、
我が子がインターに入って、
英語に苦労している時
友達作りに苦労している時
ただただ寄り添いたいと思ったし、
よく頑張ってるよと言ってきたし、
国際移動する子どもたちの苦労を考えたら
頑張りを認めて、励ましたいと思うのは。

この記事を書くまでは、
自分もいきなり海外に行って
学校に行って苦労したから、
その苦労は容易に想像できるし、
その孤独感とか厳しさとかもよくわかる、
だから共感できる良さが親としてあると思っていた。

しかし、それよりも
過去の自分がして欲しかった寄り添いを
自分の子どもに重ねることで
自分を癒していたのかもしれないな
そんな風に思ったのである。

ストレスいっぱいの中
海外移動をして、
慣れない中で学校に行って
日本語以外で勉強するなんて、
そんな簡単なことではないのだよ。

その子たちにすることは、
頑張れ頑張れ、と言い続けることじゃない
すでに頑張っている姿を認めて寄り添うこと。

せっかく駐在とか移住で、
親がそばにいるんだから
寄り添う親であって欲しい。

健全なサードカルチャーキッズを育てるために。


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