「奈良クラブの問題」の違和感
奈良クラブについては、色々と書きながらもなかなか投稿までには至らず、消しては書き、消しては書きを繰り返していた。
思ったことを書くだけでいいのか? 問題提起をするのがいいのか? 中途半端な内容でいいのか? などと色々考えた。
結局色々と考えたところで、自分にできることは限られているので、自分なりのものを書くことで落ち着いた。というかそれしかできない。
この奈良クラブに関する話題は、多様な解釈と様々な思惑が溢れているので、ぼくはぼくなりに理解し、納得していることを記すことにする。
もちろんぼくは、奈良クラブやJFL(日本フットボールリーグ)の内部の人間ではないし、内部の人と懇意な訳でもない。
ツイッターなどのSNSで「奈良クラブ」と検索して知り得た情報と、試合を観戦して感じたことでの話になる。
基本的に、興味を持ったポジティブな話題は頭に残っているが、興味のないネガティブな意見はスルーすることが多い。
そういった偏った情報から構成されていることは理解していただきたい。
2019年のJFL開幕戦。ホームであるならでんフィールド(鴻ノ池陸上競技場)で行われた、奈良クラブ対ヴィアティン三重の試合は0-1で負けた。
その試合後のマイキレビューの最後に中川社長は言った。
「他がどうであれ、私たちは入場者数はそのままを報告します」
もちろんこれは正確な言葉ではない。ぼくがこのような意味で捉えたということだ。
だからこの時に思ったのは、
・今までは正確な数字ではなかった
・他の複数のチームが水増しをしている
・今年からは本気で改革をする
というようなことである。
しかし、この言葉も結局はこの試合だけのものだった。
それはとても残念なことだった。
ぼくにはこれは、
既存のサッカー脳の組織に立ち向かった、元企業経営者が力を発揮できないまま、飲み込まれていった 図。
に見えた。
だからここで中川社長を叩いている人たちは、みんなサッカー脳に飲み込まれている人たち、あるいは洗脳されている人たち、だと思った。
要するに、正しいこと(正確な数字)をしようとしたのに、それをしなくていいという圧力、何らかの大きな力がかかって、今までの状態(水増し数字)に戻ってしまった。
だったら叩く対象は、「正しいことをしようとして失敗した人」ではなくて、「なんらかの大きな力」の方だと思う。
それはなんなのかというと、今までサッカーをやってきた人たち見てきた人たちの脳/考え方だろう。
「入場者数の虚偽報告」という言葉だけをみると、もちろんそれはダメなことだろう。
じゃあ、今まではどうだったのか? ただ今回のこの一部分を切り取っただけじゃないのか? というのが気になった。
JFLやKSL(関西サッカーリーグ)には入場者数のカウントの取り決めはない(はず)。だから数字が違っても何も問題はない。リーグとしても多い方がいいだろう。
リーグでの話ではないが、主管する試合で一人で声を出して応援しているサポーターを見て、「こんなサポーターがいれば百人力だな」と言って百人をカウントした。というエピソードがあるくらいだから数字を問題視することはないのだろう。
ただJリーグは違う。入場者数のカウントの規定はあるし、参入条件に入場者数がある。
しかし所属するリーグには無い。といういびつな構図。これを長年放置しているということ。そこまで手が回らないということか、あるいは意図的に。
入場者数の水増しという話題が出たときに、ずっと「問題ない」としていたクラブ。これはもちろん、根拠があってのことだと思う。
それは何かというと、
・過去に例がある
・今までがそうだった
ということである。もちろんこれは推測である。
だが、そういうことがない限り、こんなにはっきりと「問題ない」と言えないと思う。
言えるということは、「大丈夫」だと言ってくれる地位や力のある偉いさんがいた。か、単に思い込みの強いバカだった。かのどちらかだろう。
大きなことを成そうとしているときに、後者のようなことはないと思っている。
あえて書くが、
もちろんこれは推測であり、虚を講じているに過ぎない。
真実はどうか。という話ではない。
サッカーファミリーという名で構成されている組織の中では、それは普通のことなのだろう。他者の目には異様に映ったとしても。
おそらく十年後、二十年後に同じようなことは繰り返されるのだろう。
自称サポーターというちょっと外れた人が組織のほつれを解こうとする。組織はほつれを切り離すことで修復したように見せかけて、結局は何も変わっていない。
そういうことだろう。
どうかしたい。という話ではなく、
こう見えている。ということが言いたい。
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