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なぜ、岩手のド田舎娘がトルコへ!?

Merhaba!トルコ・イスタンブール拠点の小坂理加です。

今月から1年間、体験記という形で赴任先の情報を発信していきます。
トルコに行ったことがある人もない人も、ぜひ、読んでいただけたら嬉しいです。

また、今回、体験談を書くにあたり、あまり自分のことを話すのが得意ではない私ですが、できるだけ包み隠さずこれまでの自分をさらけ出していければと思っております。

さっそくトルコに到着した印象等を発信したかったのですが、残念ながら、今回コロナウイルスの影響により、3月29日の飛行機に乗ることができませんでした(泣)。成田空港まで行き、引き戻すという結果になってしまいました。

ということで、4月現在も日本在住です(笑)。

そこで今回は、自己紹介がてら、
「なぜ私が新卒で海外へ行くことを決めたのか」
についてお話ししたいと思います!

1.私の街 宮古

下の写真を見てください(Twitter,シューズキクチさんの投稿より)!
とんでもなく綺麗じゃないですか!?

実はここ、私の生まれ育った町の観光名所、【浄土ヶ浜】です。実家から車で10分かからないで着きます。私の大好きな場所でもあります。
https://www.kankou385.jp/jodogahama/

私は、人口約5万人(2020年4月1日現在)の小さな町で生まれ育ちました。
三陸リアス海岸に面している岩手県宮古市というところです。

岩手県というと東京から新幹線で3時間程、近いように感じるかもしれませんが、県庁所在地の盛岡から宮古市の道が長いんですね。電車または、バスで約2時間です。
宮古市にも街がありますが、私は、山に住んでいたので、いわゆる田舎育ちです。(笑)

なぜこんなどこにでもいる田舎娘が新卒から海外で働くことを決めたのか。
理由は様々ありますが、私は地元、宮古が好きだからこそ日本を離れ、海外で働くことを決めました。

2.3.11と私

この気持ちに気づかせてくれたきっかけがあります。

東日本大震災3.11です。

当時私は中学2年生でした。
正直、あまり当時のことについて話したくない自分もいます。

高校生の時に行った岩手県外の大学のオープンキャンパスで、私が、ある大学教授に、どんな志望動機を書いてくる人がいますか。と質問したら、

「うーん、今でもまだ震災のことについて書いてくる人がいるけど、もう震災ネタは飽きたな。」

と言われました。

この時、怒りとショックと同時に仕方がないことだと悟りました

この人にとって事実で起こっていることは、ネタでしかなく、飽きるとか飽きないの領域でしかないのだと。

しかし、よくよく考えると、仕方がないことでもあります。
他人事を自分事にするなんて究極無理です。

ただ、できることは分かろうと寄り添うことだけです。

小学校中学校9年間、36人1クラスの小さな学校で過ごし、中学2年生で東日本大震災を経験しました。

幸いにも私の家族は、みんな無事でしたが、当時、家族の安否が分からない時間というのは、ごはんも喉を通らず、これからどうしていけばいいのか、と不安の渦にのまれていました。

親戚、友人、町の人それぞれが、様々な想いを抱えながら、日々過ごしていく姿は、当時の凍える寒さと共に覚えています。

ー 震災から約一週間後に実際に見た町の様子。
ヘドロで黒く、臭いも漂っていました。
ーライフライン復旧後にニュースで初めて見た町をのみ込む津波の様子。

こんなにあっけなく生まれ育った町はなくなるのか

と胸がギューッと痛くなりました。

受け入れることができませんでした。

そして、自分の無力さを痛感し、涙が流れました
大好きだった海が嫌いになりそうになりました。

それでも津波が教えてくれたことがあります。

・生きていることのありがたさ
・周りの方々への感謝
・地元宮古が好きだということ

漠然ながら、

地元の力になりたい!

と思った瞬間でもありました。

高校では、1クラス40人6クラスの進学校へ通い、大学では、青森県の大学に進学しました。
大学では初めて地元を離れ、初めて海外へ行くこともできました。

3.微笑みの国で心から笑顔になれたこと

大学を1年間休業してタイで日本語講師を行う事業にも挑戦しました。

タイの北部、ラオスとの国境に位置するナーン県の中学高校一貫校へ赴任しました。

後から聞いた話ですが、私が参加した事業の赴任校80校中ベスト3に入る田舎だったそうです。(笑)

日本とは全く異なる教育スタイルで戸惑うことも多々ありました。

また、断水や停電は日常茶飯事で、洪水が起こっても、マイペンライ(日本語でいう大丈夫という意味)で明るく過ごす現地の方々には驚かされました。

30度近くある教室で1コマ45分の授業を週30コマ行うのは体力的にも大変な部分はありましたが、生徒たちの屈託のない笑顔が支えとなっていました。

日本語教育に関する知識や、タイ語も全くできなかった私ですが、本当に多くの方に支えられ約1年の任期を終えました。

できることならば、もう1年延長したかった。。。(笑)

もちろん、楽しいことだけではなく、辛いことや、イライラすること、悲しいこと、様々ありました。

色んな感情にぶつかるたびに、新しい自分と出会ってきました。

こんな時に、自分は、イライラして、傷ついて、泣いて

どんなアクションをとるか
どんなふうに自分のストレスをコントロールしていくか、
なども考えさせられました。

自分と向き合う時間が多かった1年でもありましたね。

正直、タイ語検定などの試験は興味がなかったのですが、日本に帰国してからも生徒たちからよく連絡が来て、日本語を頑張っている様子に感化され
タイ語検定4級を取得しました。(笑)

Facebookで結果を報告すると、タイの生徒や先生方、町の方々からおめでとうと言われると同時に生徒は、自分も頑張る!といったようにやる気を見せていました。

離れていてもできることがあり、私は彼らにとって先生なのだなと感じます。

今でもよくメッセージや電話をくれるかわいいかわいい生徒たちです。
また、お世話になった町の方々や、先生方も日本の台風やコロナについてなど、心配して連絡をくださいます。

(写真:日本語専攻の高校生、上から当時3年生、2年生、1年生)

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4.私のトルコへの挑戦

こんな私でも役に立てることがあるのだと思えました。

このご縁を大切にすると同時に、この子たちの未来も私たちが担っているんだと強く感じます。

そして、こんなにも日本のことを好きだと言ってくれる人がいるのだと気づかされました。

私の知らない世界はまだまだあって、世界の広さは計り知れないのだと今もなお感じています。

そして、改めて日本の良さや、地元の良さを感じることができました。

今後日本は、人口が減少し、超高齢化社会になります。
つまり、海外市場へ目を向けていく必要があります。

それは、都会だけではなく、地方も必ず直面します。

そんな時、誰が先頭をきっていくのか

それは、私たち若い世代です。

地元の友達には
「宮古・岩手を捨てるのか~」なんて冗談交じりに言われますが
その真逆です!

田舎から、外に飛び出していくということは、誰しもができることではないと思います。

また、日本は島国ということもあり今後も震災、天災は必ず起きます。

そんな時、助け合える国と国の繋がりも築いて行ける懸け橋となるような人物が必要です。東日本大震災で多くの国の方々が日本を支援してくれたように。

私は、今回そのチャンスをいただきこれから飛び立とうとしています。

どこにでもいる田舎娘がこれからどんなストーリーを描いていくのか
乞うご期待です!!!

以上、私が、新卒海外研修へ参加した経緯と理由になります!

加えて、今回何かのご縁で、トルコ赴任が決まりました。
このご縁は、何かしらの意味が必ずあると思います!
次回からトルコの情報を発信してきます。
お楽しみに!

最後までお読みいただきありがとうございました!
また次回お会いしましょう。

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新卒から海外で働くなら -東京コンサルティングファームー



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インド、フィリピン、マレーシア、トルコ、インドネシア、ベトナム、バミャンマーで働く11名の喜怒哀楽の物語。 【新卒海外研修】(連載中) http://www.kuno-cpa.co.jp/recruit/shinsotsu-kaigai/